離島暮らしと黒曜石(オブシディアン)

神津オブシディアンラボ活動誌

黒曜石通販第2弾! つがい石販売のお知らせ ~試作品につき数量限定!~

2020-06-28 14:26:04 | 黒曜石
湿気パーセンテージが本格的に高くなってきました。
この時期は家に置いてある表面ザラザラで灰色な黒曜石が空気中の水分を吸っていつの間にか黒くなってるので若干ホラーです。

東京との行き来が大分緩和されてきたので、新しいお土産品を作ろうと思っていろいろやっておりましたが、とりあえず一つ形になりそうなものができたので、島のお店に卸す前にこの場を借りて試験販売しようと思います。
本来は本土でのイベント出展に合わせて試験販売は行うんですが、何せこのご時世で11月まで今のところ参加予定のイベントないですし・・・(泣

とは言っても、正直まだ納得のできる出来栄えではないので、そのことも加味しての試験販売、と相成ります。よって個数限定3個、予定の価格よりも値段を下げて提供します!

今回は、原石を二つに切って、切った面を磨いたものを一組にした、いわゆる
つがい石
というものです。

商品コンセプトはいたってシンプル!
島にいらしたカップルや夫婦を対象に、もとは一つである石を二人で分け合うことで思い出と絆を深めてもらおう、という商品です。
また、お土産に買って帰って自分の両親にプレゼントするもよし。
好きな人や大切な人に片方を渡すもよし。
当然これそのものをワイヤーやマクラメなどの手法でアクセサリー化するもよし。
前回のさざれ石同様、なるべく自由度を損なわないようにデザインしております。

組み合わせると元通り!ざらざらになった礫面と磨いた面の比較も楽しめます。

・・・ただ、まだ平面での研磨技術が未熟で、多少研磨の際の傷が潰し切れておりません。曲面はある程度安定して磨けるようになってきてはいたのですが・・・。

平面に関しては道具や磨き方を根本的に変える必要があるかもしれません。今後の課題です。しばらく試行錯誤してみます。


そんな商品でも構わないよ!という方は、Marchelの方の販売サイトを覗いてみてくださいませ。m(_ _)m


早く雨が上がってほしいです・・・。

黒曜石の島 ~神津島にはどれだけ黒曜石があるの?~ その4 砂糠崎編

2020-06-22 17:28:29 | 黒曜石
このところ雨続きで外で石の加工作業ができず悶々としている黒曜石マニアです。
早くマクラメ用ルースとか大型彫刻とかやりたいのにー!
新しい道具の調子も試したいのにぃー!!


・・・うだうだしててもしょうがないのでこんな時はブログだ!

というわけで、今回もシリーズものでございます。未読の場合はこちら見てからの方が楽しめるかも。
神津島内の各黒曜石産地を紹介していく第三弾!

今回は、島で一番目立つ黒曜石!
誰でも見れるけど誰もが行けない場所、砂糠崎です!
ダイナミックな露頭が観光客に人気!

砂糠崎は、島の東側、三浦漁港のある多幸湾の北側の岬を覆っている巨大な黒曜石層です。
漁港の桟橋や湧水のある場所などからこの層を一望することができ、島外からの船がこの港に着いた場合、観光客を最初に出迎える観光スポットでもあります。
島を巡回する観光用のクルーズ船に乗ると、この層を間近で見ることができます。
近くでみるとより圧倒的!日が出てると、反射による黒曜石の煌めきも見れたりします

さて、そんな砂糠崎ですが、少し古い地図でこのあたりを見ると、
湧水辺りから海岸沿いに道が出ているような記載がされていて、層のある崖の真下まで続いています。

そう。
実は、一昔前までは、船に乗らずとも
砂糠崎の黒曜石層の真下まで歩いて、いや車で行けた
のです!
なんでも、昔砂糠崎の頂上の峰沿いに養蚕場があって、そこから生産した生糸の運び出しや物資のやり取りのために道が敷かれてたんだとか。
しかし、三宅島の噴火の際に起きた地震で、天上山の多幸湾側が大崩落し、道路がほとんど埋もれてしまったとのこと。
しかも、そのあと道路を直そうとしても、火山灰質の崖から継続的な崩落が続いて道路を埋めなおしてしまうため、遂には放置せざるを得なくなったそうです。

そんな常に落石崖崩れが起きる場所なので、当たり前だが現在は立ち入り禁止の看板が立てられています。

実は、この看板が立つ前に、何度かこの道を通ったことがあります。
目的はもちろん砂糠崎の黒曜石!!
・・・・・ですが、ええ。これがまたひっどい道でして。

地面は火山灰な砂地で安定しないし、自分よりも大きな石が今にも転がってきそうな場所に落ちてるし、見えない穴が開いてて足踏み外しそうになるしで、生きた心地がしませんでした・・・。上の写真のように、道路だったところに大型の石が我が物顔で鎮座している様を見ると、人は自然の猛威の前には無力なんだな・・・、と、しみじみ感じました。

話は変わって。
ここの黒曜石は、神津島エリアの中では恩馳島の次点で質が良いですが、ヒビと白い点々が多く入っていてあまり石器には向いてません。


崖から剥がれて周囲に散乱している。それが積みあがっているところもあって、マニア垂涎のポイントである。

昔の人たちもそれは分かっていたようで、旧石器から縄文時代までの間、ここの黒曜石はほとんど利用されていませんでした。
ただし、弥生時代辺りになってくると、伊豆諸島や伊豆半島南部に限定して大量に砂糠崎の黒曜石が確認されるようになります。
ただ、言った通り石器としては適していない石で、実際遺跡から見つかるものもほとんどが石器としての体をなしていないものばかり。
なので、一説として、これらの石は実用的な道具としてではなく、
祭祀目的で利用されていた可能性がある
と言われてたりします。



・・・もし、神津の黒曜石が、太古の昔に信仰の対象であったとするならば、
今この島が「神々が集う島」といわれている理由、その原点がこの石にあるのではないか


・・・・・そう考えたくなる今日この頃です。

黒曜石の島 ~神津島にはどれだけ黒曜石があるの?~ その3 長浜編

2020-06-12 16:07:36 | 黒曜石
シリーズものでございます。未読の場合はこちら見てからの方が楽しめるかも。
神津島内の各黒曜石産地を紹介していく第二弾!
今回は、美と神秘、そして怪奇をも兼ね備えた浜、長浜海岸です!


この浜は、前回紹介した沢尻湾からさらに北、温泉やらぶっ通し岩やらを超えた先にあります。
温泉?ぶっ通し岩?詳しくは島の観光案内を見てね!(投げやり

この浜は、別名と呼ばれています。
なぜこんな名前かというと、この浜に打ちあがる石がいろんな色をしているから!
赤、水、緑、黄、白、黒、その他色が混ざっているものもあり、文字通り色とりどり!

そして、この五色の内の黒が、お察しの通り黒曜石、というわけです!
ここの黒曜石は、沢尻のもの以上に角が取れて丸くなっているものが多く、大きさも手のひらサイズ以上のものはあまり見つかりません。分布している数、密度も、沢尻よりかは少ない印象です。
分析結果を見ると、沢尻の石とほぼ同じになるようなので、この分布状況からすると、同じ鉱脈から流れ着いていて、こちらの方が位置的により遠いことを示しているのではないかな、と思っています。
真っ黒なものもガラスらしく透明なものも、茶褐色が混じるものもある。これも沢尻の石と同じ特徴。

そして、実はこの浜の黒曜石、私は集めたり加工品として扱ったりはしていません。

なぜか?

・・・それは、
長浜様に祟られるからです。
・・・・・いやいやいや、何言ってんだこいつ、って思われるかもしれませんが、
この島では実しやかに信じられている伝承でして、
実際に起こった祟りの話をよく聞くんです。しかも結構最近(平成入ったあたり)の話もあります。
ちなみに、長浜様、というのは、
この浜の傍に建立されている「阿波神社」で祀られている神様「阿波命(あわのみこと)」様の島での呼ばれ方です。
 
これが阿波神社。集落から離れている神社としてはかなり大きいお社だそう。どれだけ島民に厚く信仰されているのかが覗える。

愛称?にもなっている通り、この長浜は阿波命様の持ち物(正確には、神社の境内に含まれている)とされており、この浜から石を持ち出すと、持ち主である阿波命様からの神罰が下る、とされています。
島の人が作った看板。長浜のど真ん中に立ててあって目立つ。

聞いた話だと、観光に来た人が冗談だと思って持ち帰った結果、自身や家族に不幸が立て続けに起こったため、「石を持ち出して申し訳ありませんでした。阿波命様にお返しください。」といった内容の手紙を添えて石を島の役場に郵送した、なんてことがあったそうです。
また、私がまだ学生時代、大学の研究室の教授とこの浜に来た際、教授がここの砂を研究のために持ち帰ろうとしたところ、その日のうちに大事な研究道具を一つ失くしまして、島の人に「長浜様に持ってかれたね!」と笑われてたりしました。
ちなみに、西暦838年に起きた神津島での最後の大規模な火山噴火も、この神様が怒ったからだと当時言われたそうな。・・・怒らせると怖い神様なのかも?
怒った理由?書くと長くなるのでwikiさんに聞いてみて!(さらに投げやり

・・・というわけで、この島に住んでいる以上、島の神様を怒らせたくはないので、私はここの石には手を出していないのです。時々現地に行って手に取ったりニヤニヤしながら眺めたりはしますがね?
・・・・それはそれで神罰下りそう?   ・・・・・・・・確かに。

それはそれとして、
先ほど、ここの石は「分析結果として沢尻と同じ」云々と書いたと思います。



・・・察しの良い方は分かりますね。

ここの黒曜石を(研究のために必要だったとはいえ)多数お持ち帰りした研究者がいらっしゃるんです。


・・・その方は、後々どんな対価(犠牲)を支払ったのかな、と思案せずにはいられない、今日この頃です。

自分と神津島をつないだ船 ~さるびあ丸引退で思うこと~

2020-06-08 21:43:24 | 離島暮らし
久しぶりの投稿な気がします。
宣言解除に伴って久しぶりの東京(病院通い)、
から
島に戻って自主的な自宅待機を行い、ダラダラしてたら
あっという間に一週間が経ってしまった・・・
まるで五月病が遅れてきた感覚です。これは良くない。

ということで、リハビリがてら黒曜石以外の小話をば。ある意味離島暮らし話。

昨日、東京と伊豆諸島間の輸送を長いこと支えていた東海汽船の
さるびあ丸
が、東京ー神津島間での最後の航海を行いました。
右手前の船がさるびあ丸。正確には2代目で、後ろの船が新しく就航する3代目である。
自宅待機中につき桟橋での見送りができず、自宅そばの高台から遠巻きに見送り。

この船には、神津島に研究目的で来ていた学生時代からずっとお世話になっており、たくさんの思い出があります。
急な用事でお盆時期に予約を入れようとしたら席がなくて「席なし券」を発行され、外の甲板で雑魚寝した・・・のも、今となってはいい思い出です。
たくさんの荷物、人を乗せられる逞しい大型船で、時化(海が荒れること)にも強く、神津島と東京との繋がりを強力に支えてくれました。
そして、私と神津島を繋げてくれた、言わば「仲人」のような存在でした。
これまで、本当に、本当にお世話になりました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

お疲れさまでした!



ちなみに、さるびあ丸自体の最終就航は東京~八丈島間の航路で6月25日(木)(22時30分発)に行われる予定、とのことなので、もし興味がありましたら、その雄姿を見に行っても良いかも、です。