広汎性発達障害(自閉症・ADHD)の男の子を育てるクリスチャン・ホームの日記

素敵な青年に育ったにいにと一緒に、サポート活動もするようになりました☆

にいにと一緒に読んでいる本:「キリストにならいて」「天路歴程(てんろれきてい)」

2019年03月03日 | パパ登場
パパです。

去年は一年を通して、にいにと一緒に聖書を通読しました。

その後、どんな本を読んでいるのかといいますと、いろいろ読んでいます。

少しづつ読んできた本をご紹介したいと思いますが、今、何を読んでいるかご紹介します。


「キリストにならいて」トマス・ア・ケンピス著書 池谷敏雄訳 新教出版社

これを読んでいます。

15世紀に書かれた本です。キリスト教の書籍の中では古典になります。


この本の前は、

「天路歴程(てんろれきてい)」ジョン・バニヤン著書 

16世紀に書かれた本を読みました。

数世紀を経ても、読み継がれているだけあって、名著です。

多くの人にこれらの名著を読んでもらいたいと願いますが、

やはり新約聖書を読んでいないと、何をいっているのかわからないのではないかと思います。



新約聖書は初心者がマタイから読み始めると、ほぼ全員がつまづきます。

なぜなら、マタイはイエス・キリストの系図から始まるからです。

人の名前がつらつらと書きつづられているのでとっかかりとしてはつまらないのです。

なぜ、新約聖書を編纂したときに、マタイを最初にしてしまったのだろうかと疑問に思います。

この部分を突破すると大丈夫なのですが、初めて新約聖書を手にするひとには一つの難関になります。


なので、新約聖書を読むときは、ルカによる福音書から読み始め、

次は使徒言行録を通読してから他の福音書を読むのをおすすめします。



英語で book は本ですが、これに、The がついて、The Book になると聖書という意味になります。

蛇足でしたが、新約聖書は本当に素晴らしく面白い本ですので、ぜひ手に取って読んでみてください。

その先には素晴らしい世界が広がっていますので。

宗派について パート3 (パパの見解)

2019年01月12日 | パパ登場
今日は僕がたどった道でハッとしたことを書きます。

まず、ユダヤ人と異邦人の位置付けがわかりませんでした。
聖書を適当に読んでしまうと、有名な聖句だけをつまみ食いしてしまい、
??って場所がたくさんあります。

たとえば、イエス様とやもめのやりとりで子犬にパンくずの話を思い出してください。
あの時、冷淡にも思える口調で、イエス様はやもめの懇願を断ります。
しかし、やもめが食い下がってあの箇所があります。

そもそも論ですが、神様はユダヤ人を選ばれ、ユダヤの救いのためにイエス様は遣わされました。
だから、異邦人であるやもめに断りを入れるのは当然の話であります。

しかし、当のユダヤ人はイエス様のことをうけいれることも理解することもせず、十字架にかけました。

聖書を読んでいると、使徒ペテロでさえ、ユダヤ人以外が神の恵みとして、救いを得ることをイエス様の
復活後、まぼろしをみて、気が付きます。

本格的に異邦人(ユダヤでない民)に福音が伝えられはじめたのは、パウロが召命されてからです。

僕はこのユダヤ人と異邦人の位置付けがずっとわかりませんでした。
なので、ロマ書とか読んでも、意味がわからず、ちんぷんかんぷんでした。

この位置付けがはっきりわかって聖書を読むと、目からうろこがとれたみたいにいろいろな事が
わかりました。


さて、宗派の話にもどります。

いま私たちが住んでいる日本の教会は戦後、アメリカのサポートによって作られた教会がほとんどだと思います。
なので、日本人はアメリカの宗教だと勘違いしている人たちも多くいます。
アメリカ人の宣教者の人たちよってもたらされたものなので、アメリカ文化もいっぱいくっついてきます。

アメリカ文化だけではありません。イースターやハロウィン、クリスマス、サンクスギビングデーなど、数えれば
きりがありません。

僕が最初に通っていた教会はなぜか独立記念日まで祝っていました。

ザビエルや歴史的な話はさておいて、今の日本のキリスト教はアメリカを通して宣教されましたが、
もともとはユダヤの宗教でした。アメリカの宗教ではありません。
アメリカ建国されるまえ、イギリスからピリグリムファーザーたちが渡りましたが、イギリスの宗教でもありません。
ローマの宗教でもありません。

ユダヤ人のためのユダヤの宗教なのです。

ただ恵みにより、わたしたち異邦人は接ぎ木された存在なのです。アメリカ人もそうです。

そこを理解せずに、聖句を乱用していると、わけのわからない教会になります。

クリスチャンになったら十一献金しなければならない、伝道しなければならない、奉仕しなければ
ならない、使徒信条を守らなければならない、会員にならなければいけない、などなど、いろんな縛りを
つけてくる教会があります。

では、聖書のみことばからどのように書いてあるか読んでみましょう。

イエス様の復活後、パウロが宣教し、異邦人が増えてきます。そこでパウロをはじめとする使徒たちは
エルサレムで会議を開きます。異邦人の取り扱いをどうするか話し合うためです。

聖書の箇所は 使徒の働き15章 です。

この会議で決まった結果だけ、ここに書きます。

使徒15:28-29
聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなた方(異邦人)にその上、どんな重荷もおわせないことを決めました。すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行を避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。

エルサレム会議で決まったのは以上のことでした。割礼はもとより、献金、奉仕、伝道、なに一つ重荷を課せられませんでした。

キリストを信じることにより、本来は自由になるはずなのに、人間がきめたいろんな取り決めにより不自由な人たちがどれほど多いか、憂いを覚えます。

人ではなく、キリストに従おうとしているかどうか、それは教会選びの重要なポイントになると思います。

通っている宗派について パート2(パパの見解)

2019年01月11日 | パパ登場
パパです。

ブログ読んで、元気が出る人がいらっしゃることを知って、イエス様と主なる神様に感謝です。

宗派についてはなかなか難しく奥が深いですよね。

妻が書いた記事に付けたしになります。

僕が注意している点を書きます。

「神様は……」といろいろなところで神様は出てくるのですが、
イエス・キリストのことはすっぽりと抜けていて、忘れたころにちょろりとイエス様が
付けたしのようにある教会が悲しいかなあります。

その反対にイエス様のことを軽々しく「ジーザス」とか、おれの友人だぜ、みたいな軽いのりの
ところもあります。

イエス様に対しての態度ですかね。
たしかに、イエス様はイエス様が命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友だ、とおっしゃいました。
ありがたいことです。
イエス様がこの地上で行われたことを知ると、簡単に「マイ ジーザス」とか軽々しくお名前を口にするのが
本当に敬意を払っておられるのか、と思ってしまいます。

本当に敬意をもって心から叫ばれている方も中にはいらっしゃると思いますので、ひとくくりにはできませんが。。。


長くなりそうなので、ちょっとずつ書きます。

イエス様をかしらとする集まり(エクレシア)に体の一部としてつながることはもちろんすごく大切なことです。

同じように大切なのは、みことばにとどまることです。
イエス様はこのように約束されています。

「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」ヨハネ8:31

イエス様が言う「自由」になりたければ、みことばにとどまる、これが重要だと思うのです。





いよいよヨハネ福音書、ラストです。

2018年11月18日 | パパ登場
パパです。

今年の1月1日から聖書を読み始め、とうとうラストまで来ました。
新約聖書はルカ→使徒行伝と読み進めて、黙示録まできたら、
福音書にもどってきて、マタイとマルコを読みました。

年内、通読するという目標、ゴールが見えてきました。

睡魔と戦い、時に長ーーーい1章をトンネル掘削作業のように
読み進み、ここまできました。

日曜日、信仰の旧友に久々に再会し、話をする機会がありました。
友人は聖書を通読するのに、5年かかったと言ってました。

にいにも読むのが上手になりました。いや、なっている最中です。

読み終わったら、ウィクリフとティンダルの自伝を読もうと思ってます。

聖書の翻訳に命をかけた人たちの人生を息子にもぜひ、知ってもらいたいと
願っております。





車を運転してみたい

2017年11月07日 | パパ登場
「車を運転してみたい」
にいにがあるとき、僕に言いました。

僕は今、自宅待機の身分。
実は去年、もらい事故にあって、今頃免停中なのです。
今の制度上、もらい事故でも事故起こした時点で
いろいろペナルティーがあるのです。
幸いぶつかってきた相手の人は軽症ですみましたが。

車の怖さを十分すぎるぐらい知る僕にとって、
にいにの「車を運転してみたい」という発言には
言いようのない戦慄がはしりました。

瞬時に状況を判断して運転しなければいけない車を
将来、運転できるようになるのかと。

いずれ免許を取れる歳を迎えるのでしょうが、
できれば車もバイクも乗ってほしくないなぁと思います。

思い煩いはすべて主にゆだねます。