ママです(*'▽')
実は、我が家に、大きな祝福が与えられました。
5月20日の日曜日、
にいにが洗礼を受けたのです。
私やパパが命令したのではなく、
本人が望み、
本人のタイミングで受けることができました。
こんなに感謝なことはありません。
思い出すと、涙が出てきます…。
実をいうと、私もパパも、びっくりでした。
しばらく前から牧師さんからは、
「にいに君は聖書のこと、イエス様の十字架のこと、
神様のことなど、よく理解しているようだから
あとは本人の気持ち次第だと思いますよ」
そう言われていました。
たまたま、にいにのお友達のお母さまが
教会に通われるようになって
十字架について学び、信仰を持つようになり、
洗礼を受けるということになったので
このタイミングでにいに君にも
気持ちを確認してみたらどうですか?と言われ
聞いてみました。
でもその時は、
「不完全な自分には聖書が言っていることを
ちゃんとはできない。
中途半端なことになるのも神様は喜ばれないから、
僕はもっとしっかりと信仰が成長してから
洗礼を受けることにしたいと思う」
そう言っていました。
私やパパは
「お父さんお母さんだって、今でも失敗するよ。
だからこそ、励まし合うことが大切だし、
罪をゆるしていただくことが必要なんだよ。
完璧な行いなんて、神様は求めておられないよ。
神様に対するこれまでの自分の罪の悔い改めと、
イエス様への信仰だけが必要なことなんだよ。」
そう伝えて、
でもあせらせず、本人が望むときにしようと思って
ただ待っていました。
そもそも、
私もパパも、普通の仏教徒の家で育ちました。
親に反対されてもクリスチャンになったタイプです。
「なんとなく…親がクリスチャンだから僕もそうかも」
みたいな子には育てたくありませんでした。
「どうしても洗礼を受けたいです、
反対されても、分かってくれるよう努力します、
どうか受けさせてください。」
そう言われるまで、受けさせたくなかったんです。
この前の私の記事で
にいにとパパが広島に男二人旅に出かけた、と
書きました。
その旅行中、にいにはパパといろんなことを
話す機会を持てました。
思春期のにいに。
のんびりな成長のにいにでも、
ときどきは、親に反抗的な態度になることもあります。
うっすらとですが…(;^ω^)
世の中の、人の心の闇深さと、その結果を
見る機会もあったようです。
(平和祈念公園や資料館にも行きました。)
それ以外にも様々なことを思い、
考える機会がありました。
その中でいろいろと感じることもあったと思います。
「いろいろ迷ってたけど、
今、決心してクリスチャンにならないと、
もうなれないかもしれないと思ったから」
そう言って、自分で、牧師さんに
洗礼のお願いをしたそうです。
にいにとパパが出かけたのが金曜の夕方。
そして土曜の夜おそくに帰ってきて、
その場で私に決心を伝えてくれました。
「本当に、なりたいの?」
「うん、神様を信じてるし、
イエス様にしたことも、
十字架のことも、分かる。
これからは、神様とイエス様のことを
大切にして、生きていきたいから」
「あとから、やっぱりやめた、とか、
そういうのは、なしだよ」
「うん、大丈夫」
そんな会話をしたことを
覚えています。
にいにがトラブルばかり起こしていた頃、
私たち夫婦の子育てに自信が持てなくなった頃、
叱ってばかりで毎日イライラしてしまっていた頃、
夫婦の関係も上手くいかなくなった頃、
学校からの電話が怖かった頃、
にいにが発達障害と診断された頃、
不安に押しつぶされそうになっていたあの頃。
将来に希望を持つのが大変だったあの頃。
必死に闘っていたあの頃。
「大丈夫だよ」
「いつか素敵な青年になるよ」
「きっと笑顔になれる日がくるよ」
あの頃の私に、パパに。
そしてにいにに。
伝えてあげたいです。
ほんとうに、ほんとうに。
苦しかったけれど。
そのぶん、
とても美しいごほうびをいただけた気持ちです。
にいに、バプテスマおめでとう。
ママとパパは、
あなたのことを心から誇りに思います。
実は、我が家に、大きな祝福が与えられました。
5月20日の日曜日、
にいにが洗礼を受けたのです。
私やパパが命令したのではなく、
本人が望み、
本人のタイミングで受けることができました。
こんなに感謝なことはありません。
思い出すと、涙が出てきます…。
実をいうと、私もパパも、びっくりでした。
しばらく前から牧師さんからは、
「にいに君は聖書のこと、イエス様の十字架のこと、
神様のことなど、よく理解しているようだから
あとは本人の気持ち次第だと思いますよ」
そう言われていました。
たまたま、にいにのお友達のお母さまが
教会に通われるようになって
十字架について学び、信仰を持つようになり、
洗礼を受けるということになったので
このタイミングでにいに君にも
気持ちを確認してみたらどうですか?と言われ
聞いてみました。
でもその時は、
「不完全な自分には聖書が言っていることを
ちゃんとはできない。
中途半端なことになるのも神様は喜ばれないから、
僕はもっとしっかりと信仰が成長してから
洗礼を受けることにしたいと思う」
そう言っていました。
私やパパは
「お父さんお母さんだって、今でも失敗するよ。
だからこそ、励まし合うことが大切だし、
罪をゆるしていただくことが必要なんだよ。
完璧な行いなんて、神様は求めておられないよ。
神様に対するこれまでの自分の罪の悔い改めと、
イエス様への信仰だけが必要なことなんだよ。」
そう伝えて、
でもあせらせず、本人が望むときにしようと思って
ただ待っていました。
そもそも、
私もパパも、普通の仏教徒の家で育ちました。
親に反対されてもクリスチャンになったタイプです。
「なんとなく…親がクリスチャンだから僕もそうかも」
みたいな子には育てたくありませんでした。
「どうしても洗礼を受けたいです、
反対されても、分かってくれるよう努力します、
どうか受けさせてください。」
そう言われるまで、受けさせたくなかったんです。
この前の私の記事で
にいにとパパが広島に男二人旅に出かけた、と
書きました。
その旅行中、にいにはパパといろんなことを
話す機会を持てました。
思春期のにいに。
のんびりな成長のにいにでも、
ときどきは、親に反抗的な態度になることもあります。
うっすらとですが…(;^ω^)
世の中の、人の心の闇深さと、その結果を
見る機会もあったようです。
(平和祈念公園や資料館にも行きました。)
それ以外にも様々なことを思い、
考える機会がありました。
その中でいろいろと感じることもあったと思います。
「いろいろ迷ってたけど、
今、決心してクリスチャンにならないと、
もうなれないかもしれないと思ったから」
そう言って、自分で、牧師さんに
洗礼のお願いをしたそうです。
にいにとパパが出かけたのが金曜の夕方。
そして土曜の夜おそくに帰ってきて、
その場で私に決心を伝えてくれました。
「本当に、なりたいの?」
「うん、神様を信じてるし、
イエス様にしたことも、
十字架のことも、分かる。
これからは、神様とイエス様のことを
大切にして、生きていきたいから」
「あとから、やっぱりやめた、とか、
そういうのは、なしだよ」
「うん、大丈夫」
そんな会話をしたことを
覚えています。
にいにがトラブルばかり起こしていた頃、
私たち夫婦の子育てに自信が持てなくなった頃、
叱ってばかりで毎日イライラしてしまっていた頃、
夫婦の関係も上手くいかなくなった頃、
学校からの電話が怖かった頃、
にいにが発達障害と診断された頃、
不安に押しつぶされそうになっていたあの頃。
将来に希望を持つのが大変だったあの頃。
必死に闘っていたあの頃。
「大丈夫だよ」
「いつか素敵な青年になるよ」
「きっと笑顔になれる日がくるよ」
あの頃の私に、パパに。
そしてにいにに。
伝えてあげたいです。
ほんとうに、ほんとうに。
苦しかったけれど。
そのぶん、
とても美しいごほうびをいただけた気持ちです。
にいに、バプテスマおめでとう。
ママとパパは、
あなたのことを心から誇りに思います。