日本の町であれば、どこにでも行き先をはっきりと示した道路標識があり、大変便利です。
昔、“八甲田山“という映画がありました。 山中、大雪によって遭難した陸軍の部隊の話です。 ふもとに降りる道が分からなくなってしまったその時、ひとりの兵隊が、かつてこの山を登った時に見た一本の木を見つけたと言ったのでした。 そして、全部隊は、彼の言葉を信じて、やっと家に帰れると期待して、彼の指し示す道を行ったのです。 しかし、道しるべと思われたその木は、全くの勘違いで、その結果、全員、死んでしまったのでした。 皮肉なことに、その木さえなければ、もう少しで、ふもとに降りることができるところでした。
道しるべ…間違っているのなら、無い方が良いのです。
なんと、多くの間違った道しるべが、この世にはあるのでしょうか?いいえ、道路標識のことではありません。この人生においてです。 色々な道しるべが、それぞれ全く矛盾したことを示しています。
生き方について。
幸せについて。
死について。
死後について。
あまりの道しるべの多さと、その示すことの違いに、“一体、なにが 真実なのか!?“と、叫びたくなるほどです。
しかし、本物の道しるべを見つける方法はあります。 それは、それらから、根拠の無いものを、一つ一つ除外していくことです。そうすると、ただひとつ残るのは、聖書です。
“ わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。“
(ヨハネ14:6)
イエス•キリストは、聖書の中で、こう宣言なさっています。イエス•キリストだけが、唯一、わたしたちを、正しい道、そして正しいゴールに導くことのできるお方なのです。
(Grace album より)