朝、トーストを食べていると、愛犬のジャッキーがテーブルの横に座って、じっと私を見つめています。 これは食べ終わりに、私が、トーストの切れはしをほんの少し、あげるからです。
たまに、考えごとをしていたり、お腹がすいていて食べることに熱中していて、切れはしをあげるのを忘れることがあります。 全部食べてしまってから、ジャッキーの熱い視線に気付くのです。 その視線には、脅迫や不満はありません。 あるのは期待だけです。 わたしは、この視線に勝てません。 新しい食パンを出して、ちぎって、与えることになるのです。
聖書で、イエス様に、悪霊に憑かれた娘を癒して下さいと、頼む女性の話があります。 この女性はイスラエル人ではなかったので、イエス様は
“子供たちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。“
と、言って、断ります。当時、イスラエル人は、異邦人を見下していました。犬は異邦人に対する蔑称です。けれども、イエス様は決して差別意識で、そんな事を言った訳ではありませんでした。これは、この女性の謙遜と信仰が、公に表されるためだったのです。なぜなら、この女性は、イエス様に、こう言ったからです。
“主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも、主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます。“
この女性の素直さ、謙虚さ、その信仰の強さ、純粋さには、驚かされます。 わたしだったら、ブーブー不満を言いつつ、怒って帰ったかもしれません。
イエス様は、“女の方、あなたの信仰は立派です。“ と、弟子たちの前でほめられました。そして、“あなたが願うとおりになるように。 “と言って、彼女の娘を癒して下さいました。
神様のパンくずほどの恵みには、偉大な力があります。
パンの切れはしを期待して、一心に私を見つめ続ける愛犬ジャッキーのように、わたしも神様のパンくずの恵みを期待し、素直に、謙虚に、真摯にイエス様を見続けなければと、毎朝、思わされています。
(Semakimo)