狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

神を知るために

2021年05月28日 | 聖書
「御子 (イエスキリスト)は、見えない神のかたちであり…」
(コロサイ 1 : 15 )

聖書は、神が見えないと言っています。では、どのように神を知ることができるのでしょうか?
私たちは、私たちを取り巻く自然とその秩序の一つ一つによって、創造において発揮された神の能力と知性を発見することができます。

しかし、聖であり、また、光と愛であられる神は、神の言葉である聖書を通して、人間に御自身を明らかにすることをお選びになりました。 聖書が私たちを説得し、私たちの中に信仰を生み出すのです。

聖書は私たちに、神が確かにご存在するということだけではなく、神が完全に正しい方であること、また、罪が無く、完全に聖なるお方であることも教えています。

「私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。」( 1 ヨハネ1 : 5 )

それだけではありません。 神は私たち人間を愛しておられるのです!

科学は多くの分野で私たちに光を与えることができますが、神の言葉は人間の最も深い質問に答える唯一のものです。
聖書は、私たちの生活の中にある、神の性格に反するすべてのものを示しています。
聖書に書かれている、神が愛するすべてのもの、神が憎むすべてのものは、私たちが神がどんな方であるかを理解するのに役立ちます。

さらに、神の御子イエスキリストは、人間として生まれ、私たちの間に住み、何が善であるかを示して下さいました。 それにより、私たち人間が、いかに罪深い者であるか、また、そんな人間に注がれる神の愛と恵みが、いかに大きいかがわかるのです。

十字架でのイエスキリストの犠牲の死は、神と私たちの間の隔たりとなっていた罪の問題を解決し、私たちが完全に神に受け入れられて、罪を犯す前のアダムとイブのように、神と交わりを持つことができるように、道を開きました。

なぜならキリストは、十字架上で、私たちが死後受けるべきだった全ての罪の罰を身代わりとなって受けて下さったからです。 誰でも、悔い改めて、イエスキリストを救い主と信じる人は、罪を許され、死後、永遠の天国に行くことができるのです。 そして、また、信じた者は、この世において、神を父として、生きることができるのです。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」(ヨハネ 1 : 12 )

(La buena semilla より)

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テイ湾の鉄道橋

2021年05月10日 | 聖書


スコットランド沿岸のダンディー地域では、嵐が発生していました。 潮は高く、波はテイ川の河口の鉄道橋を支える鉄の柱に激しくぶつかっていました。 そこへ、ロンドンから来た急行列車が走ってきました。 列車は減速して橋のすぐ前で止まりました。
運転士は、この橋が、荒れ狂う海と列車の重さに耐えうるほど堅固かどうか一瞬疑いました。 しかし、乗客たちは、目的地に着くのを急いでいます。 運転士は、橋の強さに信頼して、蒸気を稼働させて、列車を再び始動しました。.....そして、大惨事が起こってしまったのです! ほんの数秒で、列車も橋も荒波の中に消えてしまいました。

この事故は、1879年12月28日の夜に起こりました。
運転士を始め、乗客たちは、橋が充分に強いことを信じていました。 しかし、彼らは間違っていたのです。 運転士も乗客も、全員が死にました。

この、人生という旅の中で、たいていの人は、天国に到着したいと願っていると思います。 しかし、なんと多くの人々が、このテイ川の鉄道橋よりも、はるかに不安定な橋を渡ろうとする運転士に信頼を置いていることでしょうか。

「私は、こんな本や、あんな本を呼んだ。こんな話や、あんな話を聞いた。 それらは、“ 神は愛だから、人間はみんな天国に行ける“ と言っていた。 “良いことをするように、心がけていれば天国に行ける“ と言っていた。」

その本の著者は、何を根拠にそう言っているのですか? その話をした人が、自分の利益のために、嘘をつく可能性は、ありませんか?

漠然とした希望に甘んじて、耳に心地よくひびく話をむやみに信じてはいけません。 どうか、聖書を調べてください。 そして、イエス・キリストに信頼を置いてください。

「この方以外には、だれによっても救いはありません。 天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。 」 (使徒の働き 4 : 12 )

イエス様は、私たちの身代わりとなり、私たちが死後受けるべきだった、全ての罪の罰を、十字架上で、その身に受けてくださいました。 それは、私たちが、全ての罪を許されて、永遠の地獄から救われ、永遠の天国に行けるようになるためだったのです。

どうか、このイエス様という、尊い犠牲によって与えられている、この神様の恵みを無駄になさらずに、罪を悔い改めて、イエス様を救い主として、受け入れて下さいますように。


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驚くべき漁

2021年05月02日 | 聖書
福音書には、イエス様が弟子たちと一緒に船に乗っている場面が何度か出てきます。
この船は私たちの人生の象徴です。 この船は壊れやすく、しばしば試練の波に揺られますが、常に神に支えられ、導かれます。

ルカの福音書(5 : 1-10 )によると、その朝、イエス様は、岸に集まった群衆と話すために、弟子のペテロの船に乗り込みました。 それからイエス様は、ペテロに、網を投げるために沖に向かうように命じました。
実は、ペテロはその前に、夜通し働いたのですが、一匹の魚も捕れなかったのです。 しかし、ペテロはイエス様の言葉に従いました。
すると、なんという驚きでしょう!
ペテロの網は魚でいっぱいになったのです。網を水から引き揚げるために、仲間に助けを求めなければならないほどでした。
その時、ペテロは恐れに満たされました。彼は神の前での自分の状態に気づいたのです。

「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」

これが、その時、ペテロの口から出た言葉でした。
しかし、そう言いつつ、ペテロはイエス様の足もとにひれ伏しました。
突然、自分よりもはるかに優れた人の前にいることに気づいたのです。
その漁の奇跡を命じたのは、神の聖なる御子だったのです。
恐れおののくペテロに、イエス様は、言葉をかけて下さいました。

「恐れることはありません。」


おそらく、神の御前に出るとき、私たちは自分自身を恥ずかしいと感じ、また神に対して恐れを感じるでしょう。けれども、イエス様のこの言葉を思い出して下さい。

「恐れることはありません。」

私たちの人生に光を当てることを恐れないでください。イエス様に信頼してゆだねましょう。
イエス様は私たちに、私たちの罪を認める力を与えてくださいます。神様の前に自分の罪を認め、悔い改めましょう。
そして、神の御子イエス様は、自分の身代わりとなって、自分が死後、永遠の地獄で受けるべきだった全ての罪の罰を、十字架上で受けてくださった救い主であると受け入れましょう。
そうすれば、あなたの罪は許されて、死後、永遠の天国に行ける者となるのです。
この神様の恵みを、どうか無駄になさらないでください。

「…主はこう言われる。…わたし、
このわたしは、わたし自身のために
あなたの背きの罪をぬぐい去り、
もうあなたの罪を思い出さない。
わたしに思い出させよ。
ともにさばきに向かおう。
あなたが正しいとされるために、
あなたのほうから申し立てよ。」
(イザヤ 43 : 25-26 )

(La buena semilla より)