「実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。」( ローマ 5 : 6 )
「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5 : 8)
あなたは、恐れを感じずに、神様のことを考えることができますか?
私たち人間が、人間の創造主である神様を尊重し、また、従うことは当然のことです。 聖書には、こう書かれています。
「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6章5節)
しかし、誰も、その神の要望に応えることはできませんでした。 神様が、当然受けて然るべき、最低限の感謝さえ、捧げられていないのが現状です。 それどころか、私たちは、私たちの人生から神様を排除して、自分を自分の神として生きています。 それが、私たちが罪人であると、神様がおっしゃる理由なのです。
私たちの罪が、神と私たちの間の障害となっているので、神と私たちとの関係は、すっかり壊れてしまっているのです。聖書は、死後に、
「私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。」
(ローマ 14 : 12 )
と、語っています。
なんと恐ろしいことでしょう!
では、どうすれば、神の御前で、有罪の宣告を免れることができるのでしょうか?
誰が神と私たちの間に介入して助けてくれるのでしょう?
私たちの罪は、どうしたら許されるのでしょう?
聖書を通して、神様は今でも、神様の恵みにより、神様に背を向け続けてきた人々を救って下さると言っています。
なぜなら、神のひとり子であるイエス•キリストが、私たち罪人の身代わりとなって、本来私たちが受けるべきだった罰を、十字架で、その身に受けて下さったからです。
「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト•イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」(ローマ 3 : 23-24)
そうです、神の愛により、こんなにすばらしい救いの道が開かれたのです。
神は、正に、最愛のひとり子であるイエス様を十字架につけた私たち人間を許すことができるように、イエス様の十字架での犠牲を受け入れたのです。
さらに、神は、この恵みを受け入れるすべての人を、ご自分の子供として受け入れて下さるのです。
「私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。…」(1ヨハネ 3 : 1)
"La buena semilla "より