さて、前回は、
“聖書も、信仰も、信じる者を道徳的に改善して良くするためのものでも、また、この世界を良くするためのものでもない。“
と、いうことを書きました。
ところが、残念なことに、間違った教理を教えている教会もあります。 そのうちの二つをご紹介します。
1,社会的福音•••クリスチャンの数が増えれば世界が良くなり、神の国がこの世に実現されるという考えです。 それは、全く実現不可能です。聖書には明確に次のように書かれています。
“終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。
そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒涜し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。
また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。…“(第二テモテ 3:1~5)
“しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。“(第二ペテロ 3:7)
2,道徳的福音•••福音の目的は、信じる者を道徳的に改善することであり、救いとは、精神的なものであるというものです。 これは、宗教的な道徳運動です。 この世は、そのような人間改善、生活改良の宗教を歓迎しますから、人を集めることはできるでしょうが、これは、間違った教理です。
では、本当の救いとは、何を意味するのでしょうか?
それは、イエスキリストが十字架で全人類の罪を負って、その罰を受けて死んでくださり、三日目に甦られたことによって、すべてキリストを救い主として信じる者はすべての罪の赦しを得、罪に対する刑罰を免れ、すなわち、死んで後に受けるべきであった地獄の苦しみから救われ、永遠のいのちを無代価で受け、神の子どもとされ、神の国で永遠に愛され、栄光にあずかる特権を受けることです。
(エマオ出版 聖書教理Q&A 参照)