NINAの物語 Ⅱ

思いついたままに物語を書いています

季節の花も載せていきたいと思っています。

仮想の狭間(14)

2010-04-12 22:50:11 | 仮想の狭間
真理が撮影会から帰宅して玄関を入ると、リビングから電話のベルが聞こえた。
夫の敏之が受話器を取ったようだ。
何と同級生のK子からだという。
夫の敏之には、今日びわ湖へK子と一緒に行ったことにしているのに。
慌てて受話器を受け取ったが、真理の心臓は張り裂けそうに動悸が打っている。
「お久しぶりね。
今日、貴女の家へ行こうと思っていたのよ。
でもちょっと野暮用が出来て行けなかったの。
最近どこかへ行った?
今日は何をしていたの?
この頃何かやっている?」
たたみかける様に次から次へと話すK子の言葉に、真理は傍にいる夫を気にして、しどろもどろの返事を返していた。
電話を切ると汗が噴き出してきた。
もう少し帰りが遅くなっていたら危ないところだった。
それにK子に野暮用が出来て、来訪されなくて助かったと胸をなで下ろした。
それにしても滅多に真理の家にやって来ることがないし、電話も掛けてこないK子が今日に限ってどうしてそんな気になったのかと恨めしくさえ思う。
夫に嘘をついて出かけたことに罰があたったのだろうか。
今日はグループで撮影会に行ったのだから、何も隠すことはなかったのにとは思うが、写真のサークルに入った経緯を夫に理解させるのは難しい。
 その夜、早速山崎からメールが入っていた。
<加藤君、真理さんが気に入ったらしいね。
さっき電話があったんだけど、「俺には携帯番号を教えてくれなかったのに、どうして君は知っているんだ。」なんて言うんだよ。
待ち合わせするのに必要だよね。
だけど僕だけが真理さんの番号を知っているのって嬉しいよ。>
真理はK子の電話のことで気が動転していて、山崎にお礼のメールを入れていなかった。
急いでお礼の言葉を送った。
自分の携帯番号を知っているだけで、単純に喜んでくれている山崎に対して、温かいものが胸に込み上げてくるのを真理は感じていた。
翌日加藤から、真理のコミュの仲間に入れてほしいと、サイトのメールで依頼があった。
山崎から真理のコミュサイトを聞き出したのであろう。
拒否する理由もないのでOKした。

 数日後、秋絵が真理の家にやってきたが、浮かない顔をしている。
「最近彼とはどうなの?」
「ええ・・少し前まではお茶をしたり、美術館巡りをしたりして楽しかったわ。」
「今は楽しくないの?」
「そうじゃないけど・・・・」
秋絵は言い淀んでいる。
「何かあったの?」
「・・・・美術館へ行った帰りに、向こうからキスをしてきたので、キスくらいならいいかなと思って2度ほどしたのよ。
だけどこの頃ホテルへ誘うのよ。
勿論断っているわよ。
それでだんだん会うのがおっくうになってきているの。」
「あら、危ないわね。
もう付き合うのは止めなさいよ。」
「そうね、でも・・・」
まだ未練がありそうな秋絵である。
「男の人って最終的にはそれが目的で近寄ってくるのかしら。」
真理の頭に山崎や加藤の顔が浮かんだ。
彼らもそんな下心があるのだろうか。
いや、あの人たちに限ってそんなことはあり得ない、と否定してみるが自信がない。
「ご主人はまだ出張が多いの?」
「そうなの。
でも来月から暫く出張がないようなので要注意よね。」
「要注意だなんて、まだ彼と会うつもりなの?
コミュサイトの中だけで付き合っていれば安心なのに。」
こんな言葉を秋絵にしている真理も、一歩踏み出してしまっている。
自分も山崎や加藤と今後撮影会で会う機会があれば、秋絵と同じ展開にならないとも限らない。
心がすでに山崎に傾いている真理だが、泥沼に踏み込むような男女の関係を望んでいるわけではない。
秋絵が以前、彼との関係を「ただの茶飲み友達」と言ったが、真理も山崎や加藤とはメールや写真を一緒に楽しむだけの間柄を続けていけたら嬉しいと思う。
秋絵のことが急に心配になってきた。
「やっぱり貴女の付き合っている彼は危険だわ。
もう会っては絶対にダメよ!」
いつになく真理の強い口調に、秋絵は驚いた表情をして真理の顔を見つめた。

仮想の狭間(15)

2010-04-12 20:09:36 | 仮想の狭間
 庭のケヤキやカエデが黄や赤に染まってきた。
手芸の仲間は今月も真理の家に集まっている。
庭の芝生でゴルフのクラブを振っている真理の夫を見ていた百合子がフーと溜め息をついた。
「真理さんのご主人はいいですね。
うちの主人なんか毎日牛馬のように朝から晩まで働いているのに、給料は下がるし、ボーナスも出るかどうか分からないんですよ。
わたしもパートの仕事を探しているんだけど、事務系だと この歳ではなかなか見付からなくてね。」
「うちの主人も勤めでいる頃は、早朝に家を出て、帰りは午前様だったのよ。
あの人が勤めている頃に、バブルの崩壊があって、その時は会社も大変だったようだけど、幸いに辞める前は今のような不景気ではなかったので、給料やボーナスが減るような心配はしないで済んだわ。」
「そう、この不景気で今はどの会社も大変みたいね。
うちの主人もどこへ転勤になるか分からないわ。」
「あら、秋絵さんのご主人も転勤があるのね。
そうなったら引越しになるでしょうし、遠くへ行くようなことがあればいろいろと困ることが出てくるわね。」
真理が秋絵に意味ありげな目を向けた。
「そうよね。働いている人はみんな大変な苦労をしているのだから、贅沢は出来ないわ。」
秋絵の交友関係を知らない美代子が真理の言葉の意味を理解しないまま言った。
外にいる真理の夫を気にして小声で話を続けた。
「この前、例のダンスを習っている友達に会ったら、ちょっと気になることを言っていたのよ。
その友達がスーパーで買い物をしていたら、めぐみさんが駆け落ちをしたという相手の男性が、奥さんや子供を連れて歩いているのを見たと言うの。」
「ええっ、それじゃあ めぐみさんはどうしているのかしら。
捨てられたってこと?
めぐみさんの家は今も雨戸が閉まったままよ。」
と秋絵が首をかしげた。
真理も不思議そうな顔をして言った。
「やっぱりそんな恋は成り立たないのかしら。
それとも もう熱が冷めたのかしら。
恋をしているときには周りのことが見えなくなって、とんでもない行動に出てしまうけど、落ち着いて考えたときに自分の行動が如何に他の人を傷つけているかが分かるものよ。
めぐみさんには悪いけど、その男性が奥さんや子供のところに戻って良かったんじゃないの。」
真理は秋絵にも自分にも言い聞かせている。
山崎と加藤が次の撮影会に誘ってきている。
次回は京都の寺での撮影会だという。
その次はびわ湖の北の夕日を撮りに行くのだそうだ。
夕日はとても美しい景色で写真仲間では大変人気のあるところなので、是非来るようにと加藤がメールを送ってきた。
真理は胸がワクワクする一方で、胸をときめかせている原因が彼らに会うことなので、夫に対して後ろめたい気がしている。

 百合子は仲間のそんな会話に入れないでいた。
夫の壮介が勤める会社がだんだん規模を縮小して、人員削減が進んでいる。
夫は会社に残れるのだろうか。
会社はこの不景気に持ちこたえられるのだろうかと、最近になって不安が募ってきた。
もし壮介が失職するようなことがあれば、亮太の進学も考え直さなくてはならない。
百合子自身も職をあれこれと選んでいる余裕はなくなる。
仲間とこんな悠長な時間を持っていることに罪悪感さえ生まれてくる。
ついこの前までは、この集まりでストレスが解消されていたのに、今日は焦燥感でこの場にいることが辛く感じられる。

仮想の狭間(16)

2010-04-12 19:34:19 | 仮想の狭間
 真理の家のリビングでは刺しゅうや編み物など手芸の材料をメンバーが片付け始めた。
庭から真理の夫、敏之の声が聞こえてきた。
「やあ、暫くです。お元気でしたか」
真理が窓の外を見て、「えっ!」と大きな声を出した。
他の者もみな外を見て、驚いた様子で口をぽっかり開けている。
敏之の前に笑顔で立っているのは、あの駆け落ちをしためぐみなのだ。
真理が慌てて玄関へ迎えに出た。
リビングに入ってきためぐみは大きな紙袋を提げて明るい表情だ。
「こんにちは。お久しぶりです。
何の連絡もしないで休んでしまってごめんなさい。
やっと昨夜帰って来ることが出来ました。」
紙袋から菓子箱を取り出してテーブルの上に置いた。
何と声を掛けて良いのか、皆一瞬言葉が出ない。
「あのう・・・ぶしつけでごめんなさい。
彼はどうしたんですか?」
秋絵が皆が思っていることを代弁した。
「彼? ああ、息子ね。
あまり傍にいると甘えすぎるので、思い切って帰ってきたんですよ。」
「息子?」
その場の皆がキツネにつままれたような顔になった。
「まあ、息子だなんて。
みぐみさんたら、ごちそうさま。
でも彼とは7つしか違わないのに・・・」
美代子は彼のことを息子と無神経に呼ぶ めぐみに不快感をあらわにした。
「思い切って帰ってきただなんて、貴女が彼を捨てたの?」
詰問するように真理が単刀直入に尋ねた。
「あら 真理さん、さっきは彼が奥さんや子供さんのところに帰ってきて良かったと言っていたんじゃなかったかしら。」
百合子はめぐみの悪びれない様子に不信の念を抱いたが、事情も聞かないでめぐみを責めるような口をきく真理たちにも同調できない。
実際、百合子にはこんな駆け落ち話はどうでもよい気がする。
それより自分の家の経済の方が心配なのだ。
「7つ違うとか、捨てただとか、みんな何を言っているのかしら。
彼、彼って一体誰のこと?
私は息子と7歳どころか24歳違いますよ。」
「はあ?
めぐみさんはダンス教室で知り合った男性と、ずっと一緒ではなかったの?」
秋絵の言葉に真理も続けた。
「そうよ。
7歳年下の彼と駆け落ちしたって聞いていたわよ。」
「まあ、とんでもないことになっているのね。」
「違うの?」
真理、秋絵、百合子が情報もとの美代子の顔を一斉に見た。
顔を赤くして、目を泳がせていた美代子が暫くして口を開いた。
「だって、私の友達の話では、その男性とめぐみさんはとても親しかったって聞いたわ。
同じ時期から二人が教室に来なくなったし、家も雨戸を閉めたままだから、二人はきっと駆け落ちをしたのだろうと噂になっていたのよ。
私、その話を信じてここで話してしまったの。」
「ところでめぐみさんは今までどこへ行っていたの?」
真理の質問に答えるめぐみに もう笑顔はない。
「私の息子が東京で就職しているのは皆さんご存知よね。
その息子が交通事故で大怪我をして、東京の病院に入院していたんです。
知らせを聞いて、取るものも取りあえず駆けつけたもので、こちらには連絡が出来なくて・・・
その子が退院して一人で生活できるまで回復するのを待っていたら、こんな時期になってしまったんですよ。」
「あら、そんな大変なことがあったの。
それで息子さんはもうすっかり良くなられたんですね。
良かったわ。
何も知らずに不謹慎な噂話を信じてごめんなさいね。」
真理が謝ったのに続いて美代子もごめんなさいと頭を下げている。
「それで例の男性はどうしてダンス教室に姿を見せなくなったのかしら。」
秋絵がまだしつこく訊ねている。
「ああ、あの人は福岡に転勤になったらしいの。
子供さんの学校や持ち家のこともあるので、単身赴任だと言っていたわ。
連休ぐらいしか、こちらには帰れないそうよ。」
美代子も秋絵も、めぐみの息子の不幸中に、不謹慎な噂話をしていたことは申し訳ないと思う反面、ここで盛り上がった話が全くの想像話だったことに気落ちしている。
百合子とめぐみは他の者のより一足先に真理の家を出て行った。
「今のめぐみさんの話本当かしら」
残っていた秋絵と美代子はまだ疑っている。
と言うより駆け落ち話が事実でないことが残念でならないようだ。

仮想の狭間(17)

2010-04-12 17:23:14 | 仮想の狭間
 百合子がやっと見付けた仕事はパン屋のレジ係だ。
そのパン屋はオフィスの入ったビルや商店などが混在する通りにあった。
5階建てビルの一階に このパン屋と和食レストランがあり、このビルのオーナーが経営していた。
職場にはパン職人の40代の男性と、その助手をするパートタイムで働く20代の女性一人、それに30過ぎの女性が2人いた。
朝9時に出勤すると、パン作りの現場ではもう4人が早朝から働いている。
百合子はシャッターを開け、店の中を掃除して出来あがってくるパンを陳列台に並べる。
そうしているうちにも客が入って来る。
食パンが焼きあがるのは11時頃で、それが済むと職人も助手も帰ってしまう。
百合子が慣れるまでは助手の女性一人が残って手伝ってくれていたが、一週間もするとその一人も11時には帰って行く。
昼になると、ここのサンドイッチや調理パンに人気があるのか、近くの会社や商店に勤める人たちで店の中が賑わい、百合子は一人で忙しくレジを打ち、パンを袋に入れて客に渡す。
どんなに忙しくても笑顔を絶やさないように心がけているが、独身時代にOLをやって以来の勤めで接客仕事は初めてのうえに立ち仕事なので、疲れてどんな顔をしているのか分からない。
午後になると客も少なくなって一息つくことが出来、やって来る客と親しく話をするようになった。

 パート帰りの主婦は上司の悪口を思いっきり話して帰る。
あれだけ言えば、さぞすっきりストレスも解消するだろうと百合子は思う。
 夫と性格が合わず離婚をしたが、思わしい仕事がなかなか見つからないので生活が苦しいと嘆く女性もいる。
 赤ん坊を背負い、2~3歳の女の子の手を引いた若い母親は髪の手入れも化粧もしていない。
夫がパチンコ店に入り浸りになって給料を入れてくれないと涙を流して話す。
気の毒とは思うがどうしてやることも出来ない。
 また夕方に入ってきた女性は調理パンを幾つか買って、
「これは子供の今夜の食事よ。
私、これから勤めなの。」
と高いヒールの音を立てて急いで店を出て行く。
 このビルの50メートルほど先に大きな店構えの和菓子屋がある。
そこは最近販売網を全国に広げ規模を拡大している。
そこに勤める店員も時々やってくる。
「うちの社長や奥さん、さぞ贅沢な生活をしていると思うでしょう。
ところが凄く質素なのよ。
最近は資金繰りが上手くいかないのか、社長がイライラしていて奥さんとも上手くいっていないらしいの。」
店員は口に人差し指を当てて、
「内緒よ。」
と言って帰って行った。
外見は派手で優雅に見える家庭も内情は分からないものである。
毎日様々な客が様々な話をしていく。
まるで人生の縮図を見ているようだ。
其々の環境に住む女性たちの生活の現実を、テレビドラマを見るように百合子はこの店で見ている。
 3時過ぎに来て、カウンターでパンと自販機の缶コーヒーで間食をとりながら話し込んでいく営業マンもいる。
彼らはカウンターの中にいる百合子のことをママと呼ぶ。
百合子はそんな呼ばれ方が嫌だった。
酒場で働いているような気分になるのだ。
そう言えばもう一つ嫌な呼ばれ方がある。
パン作りの助手をしている女性たちが、時折百合子のことを「おばさん」と呼ぶのだ。
「おばさん、このパンそこに並べといてよ。」
「おばさん、はようしてや。」等と。
大抵は名前を呼ぶが、急いでいるときは おばさんである。
百合子はまだ40代半ばで、ここの女性たちとはそんなに歳は違わないと思っていたが、彼女たちから見ると既に自分は「おばさん」なのかと気分が萎えてくる。

 5時になると交替の女性が出勤してくるので、帰り支度をして外に出る。
秋の日暮は早く、薄暗い中に街灯の明かりが歩道を照らしている。
街路樹のイチョウの葉が足元に舞ってまとわりつき、風が冷たく感じられる。
襟元を掻き寄せ、首をすくめて急ぎ足で駐車場に向かい、車を走らせるころには辺りが真っ暗になっている。
帰り道スーパーで食料品を買うのが日課になった。
店の中を走るように買い物をして家に着くと、部活の無くなった亮太はいつも百合子より先に帰宅している。
百合子が働き出してから、亮太は少し素直になったような気がする。
以前のように「うるせえ。」とか「別に。」という言葉を使わなくなった。
 時間に追われて最近はパソコンを開く暇もない。
インターネットの世界に浸って、ブログに夢中になったり、通販で衝動買いをしていたころが懐かしい。
しかし今働いているパン屋で出会う女性達はみな懸命に生きている。
バーチャルの世界が素晴らしいものと、毎日パソコンを相手に遊んで過ごしていた以前の生活より、夫の収入は減ってもリアルな人々の生活が見られる今の生活の方が生きている実感があると、現在の生活に楽しみを見つけた百合子である。

仮想の狭間(18)

2010-04-12 16:49:48 | 仮想の狭間
 めぐみは息子の世話をしていた4ヶ月間、パートタイムの仕事を休んでしまい収入が途絶えていた。
その上、怪我をした息子の治療費も一部負担をしていたので、その分稼いで取り戻さなければと仕事に精を出し始めた。
働くことで時間の余裕がなくなった百合子とめぐみは真理の家で開いている【手芸の集まり】を止めざるをえなくなった。
秋絵は夫が千葉県にある支社へ転勤になり、そこへ娘と付いて行くという。
メンバーが3人も欠けて、この集まりは自然消滅する羽目になった。
先日、秋絵が夫の転勤や引越しのことを伝えに真理の家を訪れた。
先ごろまでの派手な服装ではなく、以前のようにモノクロの服に素顔である。
彼女が付き合っている彼のことを真理が尋ねると、彼とはこの前の土曜日に別れてきたという。
美術館へ一緒に行った帰りに、もう会えないからとホテルに誘われたが、きっぱりと断り最後に強く抱きしめてもらったそうだ。
「一線を越えなかったわよ。」
と秋絵は涙目で話した。
一線とはどこで引くのかと真理は疑問に思う。
何はともあれ、秋絵は彼と別れて元の落ち着いた主婦に戻っている。
しかしメールのやり取りは今まで通り続けるそうだ。

 9月末に写真サークルの撮影会が京都の高山寺であり、このときの参加者は6名で加藤は不参加であった。
小高い山の木々の間に幾つかの建造物があり、その一つ石水院の建具やその中から見る山々の景色が素晴らしい。
紅葉には少し早いモミジの間に、斜めに敷かれた四角い敷石が続く参道や、杉木立の中の小道も写真に撮るには良い被写体だ。
どこを見ても絵になる風景だった。
あの時も山崎は、いつも真理の傍にいて優しくアドバイスをしていた。
高山寺からの帰りは、山崎が真理を自動車で京都駅まで送ることになった。
「二人だけでもう一ヶ所、どこかへ写真を撮りに行こう。」
車の中で山崎が誘ったが、真理はなぜか危険なものを感じて断った。
しかし行けば良かったと後悔もする。
以前はしつこく近寄ってくる山崎を疎ましく感じていたのに、最近 真理は山崎のことが心から離れなくなっている。

毎日のメールが待ち遠しくて、何度もパソコンを開いたり閉じたりしている。
携帯のメールでも良いが、お互いに夫や妻のいるところではメールを開くことが出来ないのでパソコンのメールを利用している。
10月の写真サークルはびわ湖の夕景を撮影する予定になっているが、山崎はあまり乗り気ではないらしく、真理にそれほど勧めない。
しかし加藤は何度も誘ってきている。
『もうすぐカモなどの冬鳥が飛来し、びわ湖の水面に浮かぶ姿を写真に撮るのもいいし、枯れたヨシを近景に暮れゆくびわ湖を撮ってもいい。
帰って来る漁船がシルエットのように、赤く染まった湖に映る景色が素晴らしい』などと、しきりにその美しさをメールで書いてくる。
真理はまだ見たことがないその景色を見てみたいと思う。そして写真にも撮りたいが、夕景を撮っていると帰りが遅くなるのが気になる。
たまには遅く帰宅しても良いが、さて誰と行くと夫に言えばいいか。
写真のサークルに入ったことは高山寺へ行ったあと、その写真を見せながらそれとなく夫に話した。
K子に勧められて入ったことにしている。
これは以前、一緒に行ったはずの本人から電話がかかってきて、嘘が暴露しそうになったあの高校の同級生K子である。
またK子をダシに使おうかと思うが、また電話がかかってきてはと迷う。
山崎と加藤のメールに気を取られて、近くにいる夫の敏之のことが目に入っていなかった真理は、最近敏之が携帯を手放さないのを不審に思うようになった。
度々携帯の呼び出し音が聞こえ、その度にニ階へ行ったり庭に出たりしている。

仮想の狭間(19)

2010-04-12 16:00:02 | 仮想の狭間
 敏之の携帯の相手は一体誰だろうと真理は勘ぐり始めた。
改めて夫の行動を振り返ると、不審に思えることが幾つか思い浮かぶ。
敏之の勤めは週に二日だが、それ以外の日はゴルフとか、会社のOBとドライブだとか言って外出する日が最近多くなったように思う。
出掛ける日は洗面所の鏡の前で何十分も頭や顔の手入れをしている。以前はそんなに時間を掛けて手入れをする人ではなかったのに。
この頃敏之の服装がおしゃれになってきたのを真理は単純に喜んでいたが、ほとんど真理と一緒に外出することがなくなっていた敏之は誰のためにおしゃれをしていたのだろう。
家の中で片付けをしている時も鼻歌まじりであったり、口笛を吹きながらやっていることが多く、定年になってストレスが無くなったので日々が楽しいのかと思っていたが、真理が山崎や加藤のメールに心ときめかせているように、夫の敏之も心惹かれる相手が出来たのだろうか。
真理は敏之が遊びに出かける際に、誰と一緒なのか尋ねたことがない。
それだけ安心しきっていたのと、パソコンの中の相手に夢中になっていて、夫の行動に関心がなかったのだ。

 夕食時、敏之が皿のスープをスプーンですくいながら、真理と目を合わさずに話しだした。
「来週の土曜日、会社のOBと山梨の方へ一泊旅行に行ってくるからね。」
「そう、山梨はもう紅葉がきれいでしょうね。
それでOBとはどなたかしら。」
敏之は少し驚いたような目を真理に向けた。
「うん・・・吉田君と・・・田中君だ。」
真理が遊び相手の名前を訊いてくるとは意外だったようだ。
また真理から目をそむけてスープをすすりだした。
敏之が名前を出した2名は聞いたことがあるような気がするが、真理が全く知らない人達だ。
それより驚いたことに、来週の土曜日とは写真サークルが計画したびわ湖の夕景を撮りに行く日なのだ。
行くかどうか迷っていたが、敏之が留守なら好都合と思いびわ湖行きに参加する決心をした。
「そうだわ、その日は私も写真サークルで出かける日なんです。」
「ふうん、またK子さんも一緒なのか?」
「そうよ。今度はびわ湖の北の方へ行く予定なの。」
K子が真理の家へ電話してきても、突然来訪しても敏之は留守なので嘘がばれる心配がない。
夜に早速 加藤と山崎に参加の意向をメールした。
加藤は喜んでくれたが、山崎はその日は都合が悪くて参加できないと連絡してきた。
真理は山崎に会えると期待していただけに、寂しくて胸の中に何か重いものが溜まっているように塞いだ気分になった。
翌朝、山崎からメールが入っていた。
<せっかく真理さんと夜まで付き合えるチャンスなのに、参加できなくて残念です。>

 次の週の水曜日、敏之は珍しく家にいて土曜日の一泊旅行の準備をもう始めている。
先日買ってきたジャケットを着て鏡の前に立ったり、鞄を出してきたり、下着を用意したり鼻歌まじりで用意したものを鞄の中に入れたり出したりしている。
昼食にカレーを作って夫婦で食べていた。
「びわ湖は若いころ二人で行ったことがあるね。
景色のいいところだからきっと良い写真が撮れるだろう。
楽しんでくるといいよ。」
などと敏之は機嫌が良い。
突然敏之の携帯の呼び出し音が鳴りだした。
敏之は携帯を開いて相手を確認すると、
「あっ、ちょっと。」と言ってニ階に上がって行った。
真理が食事を済ませても敏之は下りてこない。
カレーがご飯に染み込んで冷えてしまっている。
一時間近く経ってから、やっと戻ってきた敏之の顔は先程の明るい表情が消え、眉間にしわを寄せた険しい表情に変っていた。

仮想の狭間(20)

2010-04-12 15:55:37 | 仮想の狭間
 もう何年も敏之に対する熱い感情を忘れていた真理であったが、胸の中にモヤモヤと誰に対してか分からない嫉妬心が湧いてくる。
翌日、この日は出勤日であるはずなのに、敏之は家を出ようとしないで何時までも新聞を読んでいる。
読んでいるのか同じところをぼんやり見つめているのか定かではない。
昨日の昼の電話は誰からだったのだろう。
真理は気になるが訊ねられる雰囲気ではないのだ。
ようやく立ち上がった敏之は昨日の旅行鞄に入れたものを出して、元あった場所に片付け始めた。
「あら、旅行に行かないの?」
「うん、田中君の家に不幸が出来たので行けなくなったんだ。」
「それじゃあ。」吉田さんと二人で行けばいいじゃないのと言いかけたが、敏之の落胆ぶりを見ていると、その言葉を飲んでしまった。
田中や吉田と一緒だというのは、その場しのぎの出任せであることを最初から直感で真理には分かっていた。
付き合っている女性との間に、何か亀裂が生じたのかもしれない。
 夕食時、黙り込んで食べていた敏之がとんでもないことを言いだした。
「今度の土曜日、真理の行く写真の撮影会に俺も付いて行っていいかな。」
「だってあなたはサークルの仲間ではないでしょう。」
「メンバー以外の者でも付いて行くくらいは許されるだろう。」
「そんなのダメよ。他の人が嫌がると思うわ。」
真理自身が嫌なのだ。
夫に内緒の自分だけの楽しみを、夫に覗き見られるようなことはしたくない。
「メンバーの人に訊いてみるけど、多分ダメだと思うわよ。」
その夜、夫が次の撮影会に付いて行きたがって困っていると、加藤にメールで知らせたら、意外な返事が返ってきた。
<真理さんのご主人ならOKですよ。
僕もお会いしたいので是非一緒に参加してください。>
あれだけ熱心に真理を誘っていた加藤は、自分に特別な思いを寄せているものと信じていただけに、このメールはショックが大きかった。
加藤は拒否したくても、真理に気兼ねして拒否出来なかったのかもしれないと、自分に都合のよい解釈をして気を取り直した。
敏之に加藤の返答通りOKが出たと伝えるべきか、拒否されたと言うべきか迷う。
真理の本心は、家庭から解放される自由な時間や場所を敏之に邪魔されたくないのだ。
しかし昨日からしょげ返っている敏之が少し可哀そうにも思える。
今回は真理が心動かされている山崎が参加しないので、一度くらいは気晴らしに敏之を連れて行っても構わないかと、K子が急用で不参加になったことにして、夫婦で行く決心をした。

 当日は秋晴れのよい天気になった。
駅前のレストランで早めの昼食を済ませ近鉄電車に乗った。
京都駅でJR琵琶湖線に乗り換え湖北に向かった。
米原で加藤が他のメンバーと自動車で待っている手はずになっている。
あれ以来、敏之は口数が少なく気持ちが落ち込んでいるのが表情で読み取れた。
電車の中でも二人は殆ど口を利かずに窓の外を眺めていた。
マンションや新しい住宅、田んぼや畑、農家の家並が車窓を流れて行く。
刈り取られたベージュの田中の畑に、真っ赤に熟した柿が鈴なりになって収穫されずに残っている。
真理は前の座席に座ってぼんやりと外を見ている敏之に目を移した。
目の下や頬に深い皺が数本出てきて、いつの間にか老け込んでいるのに気付いた。
それほど近頃は夫の顔を近くでまじまじと見たことがなかった。
この人はどんな女性に心惹かれたのだろうと考える。
顔に? 姿に? 性格に? 何に惹かれたのか。
しかし、今の敏之を見る限り、その女性との関係は破局を迎えているように思える。
電車は米原駅に着き、改札を出ると加藤があの満面の笑顔で待っていた。