目次
第1章から第9章へのリンク
第10章から第12章へのリンク
13.あいさつについて良く言う場合と悪く言う場合
14.あいさつは政略結婚のようでもある
15.学校のあいさつ運動というあいさつ信仰の押し売り
16.みんなを家族みたいに思うようになったら、一部の人にはあいさつをしなければならないという信仰心も終わるだろう
17.一抜けたくても一抜けることが出来ない
18.みんなほとんどのことを知らない
19.袴田事件とあいさつと信仰心
20.他人の姿は自分の姿、他人は自分を映す鏡、目くそ鼻くそ、五十歩百歩
第21章から第23章へのリンク
第24章へのリンク
第25章から第28章へのリンク
第29章から第37章へのリンク
第38章から第47章へのリンク
第48章から第52章へのリンク
第53章から第56章へのリンク
第57章から第59章へのリンク
第60章から第67章へのリンク
第68章から第75章へのリンク
第76章から第81章へのリンク
第82章から第86章へのリンク
第87章から第93章へのリンク
第94章から第99章へのリンク
13.あいさつについて良く言う場合と悪く言う場合
あいさつを良く言う人は、常識、社会のルール、人間のルール、人間の基本、当たり前、マナー、モラル、社交辞令、コミニケーションなどという言葉で言い表す。
これはあいさつをしている人たちの心理や、動機、目的などについては一切触れてはいないのだ。
例えば、「多くの人たちは食べ物、料理を食べています」と言えば、
多くの人は同じように食べ物、料理を食べていて
同じことをしているように思えても、実際はみんなが同じ食べ物や料理を食べているわけではないし、同じ目的、理由で食べ物、料理を食べているわけではない。
食べ物、料理を食べている目的、動機が
・体の健康のために食べている人
・味覚を満たすために食べている人
・健康のためと味覚を満たすために食べている人
・どんな味かを知るために試食で食べている人
・人に食事に誘われたから、本当は食べたくないけど仕方なく付き合いで食べている人
・不快なことがあり、それを忘れたりするために食べている人
・本当はまずいから食べたくないけど、捨てたら罰が当たるかもしれないとか、もったいないからとかで食べている人
などの目的、理由で食べていて、みんなが同じ目的、理由で食べていない。
別の例えで言えば、「大勢の人が働いて仕事をして給料や印税という形で金を貰っています」と言っても、
同じ目的、動機、理由で働いてはいない。
好きなことや、自分が言いたいことを言って給料や印税という形で金を貰っている人がいる一方で、
ほとんどの人はこういうことで金を貰っていないだろう。
多分、シンガーソングライターとか作家などの一部の人は、自分が言いたいことを言って、自分のやりたいことで給料や印税という形で金を貰っていたり、好きなことをやっていたら後から給料という形で金を貰えるようになったという人もいるだろうが、ほとんどの人は金がないと生活していけないし、欲しいものが買えないので、金を貰うために給料を貰うような仕事をやっていると思うが、同じ仕事をしているわけではないし、
給料や印税で貰っている金は人によって違うのだ。
あいさつをしている人全員が同じ目的、動機、理由であいさつしているわけではないが、ほとんどの人にあいさつしていないし、大人から教えてもらったと言っていても、実際は自分が勝手にあいさつの決まり(ルール)決めていたり、気分次第の適当、いい加減なあいさつをしていたりする。
正しくもないあいさつを正しいと信じていたり、正しくもないあいさつを人にやらせようとしたり、あいさつを初めにされたがってたり、
あいさつ返されたがっていることなど、あいさつを悪い感じに言えば、
・勝手なあいさつ ・自分勝手なあいさつの決まり(ルール) ・勝手なあいさつの決まり(ルール)
・自分勝手なあいさつ
・自分中心なあいさつ ・自分中心なあいさつの決まり(ルール)
・いい加減なあいさつ ・いい加減なあいさつの決まり(ルール)
・適当なあいさつ ・適当なあいさつの決まり(ルール)
・我がままのあいさつ ・我がままのあいさつの決まり(ルール)
・気分次第のあいさつ
・やりたいときにだけあいさつ
・上から目線のあいさつの決まり(ルール) ・上から目線のあいさつ
・支配的なあいさつ ・支配的なあいさつの決まり(ルール)
・独裁的なあいさつ ・独裁的なあいさつの決まり(ルール)
・バカのあいさつ ・バカのあいさつの決まり(ルール)
・アホのあいさつ ・アホのあいさつの決まり(ルール)
・意地悪あいさつ ・意地悪なあいさつの決まり(ルール)
・イカレてるあいさつ ・イカレてるあいさつの決まり(ルール)
・あいさつ自分ルール
・オレ様あいさつルール
・あいさつはウソルール ・ウソあいさつ ・あいさつはウソ
・あいさつはウソの決まり(ルール)
・変なあいさつの決まり(ルール) ・変なあいさつ
・あいさつは差別 ・あいさつ差別ルール
・あいさつの押し売り
・あいさつの押し付け
・あいさつ返せの押し付け、押し売り
・異常なあいさつ ・異常なあいさつの決まり(ルール)
・あいさつ自分宗教
・あいさつ自分勝手宗教
・あいさつ宗教自分宗派
・あいさつオレ様宗教 ・オレ様あいさつ宗教
・あいさつカルト宗教
・あいさつされたがるバカ
・あいさつ返されたがるバカ
・あいさつを初めにされたがるバカ
・あいさつの奴隷
・暴走あいさつ ・暴走あいさつ人 ・暴走あいさつ族 ・あいさつ暴走族 ・あいさつ暴走人(ぼうそうじん・ぼうそうにん)
・あいさつの呪縛
・あいさつで人を呪縛する
・自己満足あいさつ
・無茶苦茶なあいさつ
・統一されてもいない支離滅裂なあいさつの決まり(ルール)
・支離滅裂あいさつ
・統一されてないあいさつ
・バラバラなあいさつの決まり(ルール)
・あいさつにうるさい奴にロクな奴いない
仕方ないから渋々、嫌々あいさつしていたり、
好かれたい、嫌われたくない、攻撃されたくない、気に入られたい、大勢と同じだと思われたいからやっているようなあいさつの場合は
・機械的なあいさつ
・あいさつロボット
・あいさつマシーン
・形だけのあいさつ
・表面的なあいさつ
・うわべだけのあいさつ
・血も通わないあいさつ
・薄っぺらいあいさつ
・嫌々あいさつ
・渋々あいさつ
・仕方なくあいさつ
・あいさつは見栄
・あいさつは体裁
・あいさつは虚栄心
・あいさつは媚売り
・媚売りあいさつ
・あいさつは胡麻すり、胡麻すりあいさつ
・攻撃回避のためのあいさつ
・嫌われることを回避するためのあいさつ
・あいさつは建前 ・建前あいさつ
・あいさつ擬態 ・あいさつ型擬態
・あいさつするという演技
・恐怖のあいさつ
・恐れからあいさつする
・あいさつの恐怖
・あいさつ地獄
とも言える。
14.あいさつは政略結婚のようでもある
AさんがBさんにCさんに初めにあいさつしろと指示を出して、CさんにDさんがBさんにあいさつ返せと指示を出して、
AさんやDさんは他人を自分の思い道理にさせたがっていて、BさんとCさんはあいさつしたいとは思っていなかったり、
あいさつを正しいと信じていないのに、他人に指示されたことに従い、形だけあいさつしているのは、政略結婚にも似ているのだ。
あいさつしあった人達がお互いどちらともが相手と関わりたいとも思っていなかったり、お互いどちらともが、あいさつすることを正しいと思っていなかったり、あいさつを面倒だとか窮屈だと
思っていても、周りの人などが「あいさつできる人は素晴らしい」などと褒めて良く言い、あいさつしていることに満足していても、本人たちは本当は嫌々、渋々あいさつしている。
政略結婚でも親や一族の都合で結婚させて、本人たち以外が満足している感じだ。
大勢と同じことをさせたいという親や祖父母の見栄や体裁で、子どもや孫にあいさつしろと指示出して、命令して、孫や子どもが自分の言いなりになると自己満足するだけだ。
もしくは、政略結婚でも、片方はかわいい子と結婚出来て、セックス出来て良かったと思っていても、もう片方は結婚したことを嫌がっているような感じだ。
あいさつも、片方はあいさつを初めにされたり、あいさつ返されてうれしがったり、満足しても、もう片方は本当はあいさつしたくはなかったり、相手と関わりたいとも思っていない場合もあるだろう。
あいさつは自己満足とも言える。あいさつしあった両方があいさつされたことに満足していたら、自己満足している人が2人いるとも言えるわけだ。
言葉など言葉遊びなので、2人ともが満足していたら自己満足とは言わないと言いたい人は自己満足とは言わないと言うのだろうけど。
15.学校のあいさつ運動というあいさつ信仰の押し売り
学校のあいさつ運動というおかしな変なことをしているが、
先生や地域の大人が、どういう目的、理由であいさつ運動などしているのだろうか?
「あいさつは人として絶対にしないといけないこと」と子どもに信じさせたいのか、「あいさつを初めにされたらオウム返しをしなければいけないのが人として正しいこと」と言いたいのか、「学校の一部の人や、近所の人や職場の人にはあいさつしろ」と言いたいのだろうか?
何で一部の人にだけあいさつをさせたいと思っているのだろうか?
親や先生や、地域の人が子どもにあいさつしろと言っても、子どもが誰にでもあいさつをするわけないし、大人も誰にでもあいさつするわけではない。
自分が勝手にあいさつの決まり(ルール)を決めつけて、独自の勝手なあいさつをしているだけだ。
先生も親も大人も、誰でも人間や世の中、社会などと呼ばれているところをあまり知らないのに、適当、いい加減なことを言ってるところがあるのだ。
まるで、人は誰でも初めにあいさつされたらオウム返しであいさつを返すとでも言いたいかのようにあいさつ運動をしているのだろう。
みんながあいさつを正しいとは信じてはいないし、多くのあいさつ信者はあいさつの決まり(ルール)は人によって違うことが分かっていないし、知らないし、ヘレンケラーみたいに耳が聞こえない、喋れない人がいることさえ忘れていてバカでおかしいところがある人もいるのだ。
みんながあいさつを正しいと信じていないということを言っておいた方がいいが、それを言ってないから、20才過ぎても、60才過ぎても、あいさつ返されなかったり、言葉であいさつ返さずに会釈した人に
不満や疑問を持ったり、攻撃してくる人がいるのだ。
日本人は小さい時からあんまり人のことが分かってないだろうし、
老人になってもあまり分かっていないだろうが、日本人は人の気持ちが分かるなどと言っている人もいて間違ったウソを言っている人もいる。
世の中ウソが多いのだ。
学校教育を良く言わない人は「学校狂育」とか「学校という洗脳教育機関」などと言う。
戦争のことでも誰かが「学校やメディアが競って軍国少年を作り上げ」という感じのことを書いていたが、
あいさつも子どもに対して大人の一部がウソを言っているが、子どもは人が見抜けるとか、正しいことが分かるかのように言う人がいるが、
大人と同じで、子どももあまり人のことを分かってないところがあり、
あいさつされたらオウム返しであいさつを返すことが正しいことだと間違ったことを信じている子どもがたくさんいるのだろう。
ある作家の子どもの先生が「仕事が軌道に乗るまで3年はやらないといけない」と言っていたと、
その作家に言ったら「分かる人は分かるから3年は行かなくてもいい」というようなことを言ったみたいで、
同じことを思っていないのだ。あいさつでもみんなが同じあいさつの決まり(ルール)を信じているわけではないし、
あいさつ非信者もいるのだ。仕事が軌道に乗るまで3年やらなければいけないと言っていた先生は誰かがそういうことを言っていたことを
信じたのだろう。
あいさつを「学校狂育」に似せた言い方をすれば、「あいさつ狂育」とか「あいさつ狂育運動」とも言える。
正しいと信じていることを良く言う場合は、教育や育てる、躾などと言い、
正しいと信じていないことや間違っていると思っていることを子どもや他人に言うことを、「押し売り、押し付け、洗脳、マインドコントロール、支配、命令、指図、呪縛」などという言葉で言い表していたりする。
あいさつは正しことではないので、あいさつのことを「押し売り、押し付け、洗脳、マインドコントロール、支配、命令、指図、呪縛」
という言葉を使ってあいさつ運動に似せた言い方をすれば、
あいさつの押し売り運動、あいさつの押し付け運動、あいさつ洗脳運動、
あいさつの命令、あいさつ信仰の押し売り運動、あいさつの指図、あいさつ呪縛、あいさつで呪縛する、あいさつ命令、という感じだ。
誰かがブログに、子どもの時に学校であいさつ運動がある日は学校を休みたかったと書いている人がいて、
はっきり覚えていないが、その記事の題名か、記事にあいさつの押し売りと書いていた気がする。
この人は、学校のあいさつ運動の時に、あいさつしたらあいさつを返せというのとか、一部の人に初めにあいさつしなければいけないというような押し付けが嫌だったのではないかと思う。
16.みんなを家族みたいに思うようになったら、一部の人にはあいさつをしなければならないという信仰心も終わるだろう
言葉の定義は人によって違うので、家族の定義も人によって違うが、多くの人の家族の定義は、親、兄弟を家族という人が多いと思う。
一部の人は嫌いな家族を家族と呼ばない人もいるが、ほとんどの人は親、兄弟を嫌っていても家族と呼ぶ人が多いだろう。
家族や親戚にあいさつしない人もたくさんいるだろうし、
家族や親戚にあいさつして、あいさつ返されなくても、例外あれど不満は持たない人の方が多いだろう。
不満を持たない理由は、家族や親戚に生きているだけでいいと思っていたり、過去にたくさん自分の役に立っているところがあるからとか、
好きだからとか、魂で繋がっているからとか、仲間だからとか、血が繋がっていて特別な関係だから、という理由だろうが、全ての人間に対して同じようなことを思っていれば、あいさつなど要らないのだ。
友達、恋人や子どもにも、家族と同じようなことを思ってる人が多いだろうから、例外あれど、友達や恋人や子どもに初めにあいさつして、あいさつを返されなくても不満を持たないだろう。
みんなを家族みたいに思うようになったら、一部の人にはあいさつをしなければならないという信仰心も終わるだろう。
あいさつ非信者の中には、あいさつをやりたくないとか、面倒だと思っていたり、嫌がっている人が「あいさつから解放されたい」というようなことを思っている人もいるはずだ。
別のいい方をすれば「自分が正しいと信じていない決まり(ルール)から解放されたい」という感じだ。
あいさつ信仰がなくなれば、一部の人にあいさつしなかったら、自分や家族が嫌われたり、不満を言われたり、悪態つかれたり、身体暴力を振るわれたり、影から嫌がらせされるかもしれないという不安や恐怖心を持たなくてもいいし、煩わしいあいさつから解放されるだろう。
17.一抜けたくても一抜けることが出来ない
誰かと一緒に何かをしていて、それを辞めたり、何かの集団に属していて、そこから出ていくことなどを「一抜けた」「一抜ける」
と言ったりするが、この一抜けたをやりたくても、一抜けた後のことを考えると、自分や家族などに不利益がある可能性があり、
それが恐ろしかったり、怖くて一抜けたが出来ない人は多いだろう。
給料を貰うような仕事を辞めるのにバックレと言われているものがあるが、許可なく連絡なしで辞めることは簡単にその集団から離れることは出来るが、その後に職場の人や、それ以外の人から、バックレをやったことに対して不満を持たれたり、不満を言われたり、
見下されたり、何かの攻撃をされることを嫌がって恐れて、バックレで一抜けたができない人もいるだろう。
見栄、体裁、虚栄心などで一抜けたが出来ない場合もあるだろう。
バックレ以外でも、辞めたいと言うと職場の人などに不満を持たれる場合があったりするから、それが嫌で辞めたいとは言わないとか、
辞めてもいいという許可をされても、数週間後や数か月後などに辞めていいと言われた場合はすぐに辞めることが出来ないので、すぐに簡単に一抜けたが出来ないのだろう。
金がないとやっていけないので、辞めた後に次の仕事が見つかるまでの期間に、金が入ってこないと死活問題なので今やっている辞めたい仕事を辞めるわけにはいかない人もいるだろう。
あいさつでも、あいさつから一抜けたは簡単にできることで、あいさつをしなければいいだけのことだが、あいさつしなかった後のことを考えたり、想像すると怖くて、あいさつから一抜けれない人もいるだろう。
あいさつ返さなかったりとか、初めにあいさつしなかった時に、絶対に嫌われたり、不満を持たれたり、不満を言われたり、何かの攻撃をされたりするわけではないが、それをされる可能性や危険性もあるので、
自分の気持ちにウソをついて、あいさつをする人もいるだろう。逮捕などで牢屋に入れられたりなど、どこかに閉じ込められている場合は、
その場所からの一抜けたはしにくい。
宇宙飛行士などは別として、生きている人間のほとんどの人はこの地球から体は出ていけない。
地球に体がありながらも精神、心、意識は地球の外の世界の宇宙や地球以外の惑星や銀河や月を意識することが出来るから、
目に見えない所では地球から一抜けたが出来ているとも言えるが、体は地球から一抜けたは出来てはいない。
宇宙飛行士などが宇宙空間に行ったことを地球から一抜けたと言ったとしても、それは一時的なもので、また地球に戻って来て地球に住むのだ。
例外あれど、大勢がやっていることが正しいというような信仰を多くの人が持っていて、大勢の多数派の信仰が世の中で強い影響力を持っているのだ。
金でやっていく世の中が正しいという信仰を多くの人が持っているから、
金でやっていく世の中はなくならないのだ。
地球が金の惑星みたいになっているのだ。
表向きは人のために給料貰う仕事をして働いていて、金ではないというようなことを思っている人もいるだろうが、
本当に全ての人のためにやっているのならば金など要らないのだ。
つまり、金でやっていく世の中をやっているということは、
みんなで助け合いすることが出来ていないということなのだ。
例外あれど、あいさつを一部の人にしないといけないと信じている人がいるのも、ほとんどの人を仲間と思っていないし、大切ではないからだろう。
金でやっていく世の中が正しいと思わないからと、値段ついているものに金を払わなったり、金でやっていく世の中は正しいと信じている人でも、
税金を払うことは正しいと信じていない人が税金を払わなくて、
金でやっていく世の中や、税金制度の決まりから一抜けたをしたとしても、
金でやっていく世の中が正しいと信じている金信者たちから不満を言われたり、逮捕されたり、税金Gメンから差し押さえをされたりして、一抜けたくても抜けきることが出来ずに、自分のやろうとしていることを押さえ付けられて止められるのだ。
大勢の多数派の信仰が、金非信者が金でやっていく世の中から一抜けきることを許さないのだ。
誰にでもあることだろうが、自分の自由は許すけれど、他人の自由は許さないところがあるのだ。
あいさつの決まり(ルール)を勝手に決めて、一部の人にだけあいさつする自分の自由は許しても、あいさつされた人があいさつを返さない自由は許さなかったり、自分がほとんどの人に初めにあいさつをしない自由は許しても、ごく一部の人が自分や自分の家族に初めにあいさつしない自由は許さない人もいるのだ。
金でやっていく世の中が正しいと信じて、この金社会を辞めようとしない自由はまかり通らせても、金でやっていく世の中から抜けようとする人の自由は許さない人がたくさんいる。
18.みんなほとんどのことを知らない
日本人が人の気持ちが分かると言ってる人もいるが、日本人はあまり人の気持ちは分からないだろうが、自分は人の気持ちが分かるところがあるから、
あいさつしないのは嫌われているからだとか、嫌われている可能性があると思ったら、それが正しいと勝手に信じる人もいるのだ。
あいさつするのを嫌がっている人もいて、あいさつをみんなが正しいと信じているわけではなく、あいさつの信仰心は人によって違うことを知れば、あいさつしてほしいのにあいさつしてこない人がいてもほとんどの人は不満を持たなくなると思うけど。
常識の定義も人によって違うが、大勢がやっていることや大勢が正しいことだと信じていることを常識と定義づけるとするならば、
今はあいさつすることが常識ということになるが、今後もあいさつが常識ということにはならない。
日本人も数十年前までは、スマホもガラケーも持ってないし、昔はインターネットもラインもSNSもやっていなかったのが今は大勢の日本人がスマホを持ち、インターネットやラインやSNSをやっているのだ。
昔の日本人が和服を着ていたり、ちょんまげを結ってた時があっても、今の日本人は普段は和服を着ていない人が多かったり、ちょんまげなど結っている人はほとんどいない。
法律でも大麻取締法などは昔の日本の法律にはないから、昔は大麻吸ってても、大麻栽培してても、大麻を持っていて所持していても逮捕されることなどなかったのだ。
今も他の国では大麻を吸ったり、所持していても逮捕されない国もある。
同じことをしているのに許される場合もあれば、許されない場合もある。
大麻についても逮捕されることだから大麻は良くないと信じている人もたくさんいるだろうが、みんなが大麻を悪く思っているわけではない。
自分で調べようとはせずに、逮捕されたから悪いことだと思い、いい加減で適当なことを信じているのだ。あいさつ返されたくてあいさつして、相手があいさつ返さなくても、みんながあいさつ返さなかった人を許さなかったり、嫌ったり、見下したりはしない。
テレビ番組で「土産物を返す文化がなくなってほしい」とツイッターに誰かが書いたものがその番組に出ていた。
土産や貰い物を返したくないのならば、返さなければいいだけのことだが、見栄、体裁とか、嫌われたくないとかで嫌々返しているから不満を言うのだろう。
大勢がやらなくなったら、堂々とやらないんだろうが、大勢が土産物などの貰い物を返しているから、形だけ大勢と同じことをやる人が多いのだろうけど。
他人に物をあげて、何かを返されたら、あげた物を嫌がられていないとか、嫌々何かを返しているとは思わない人もいるのだろうが、
あげると言われたものを嫌がっている場合もあれば、何かを貰って返すのを嫌がっている人もいるが、それを知らない人もいるだろう。
あいさつも同じで、大勢があいさつしなくなったり、あいさつ返さなかったら、大勢と同じ人間だと思われたい人や、大勢がやっていることが正しいと信じている人もあいさつしなくなるだろう。
はっきり覚えていないが、以前、しゃべり場というテレビ番組で、、
10代の女の子が「あいさついるか?」みたいな感じのことを言っていた。
この人はあいさつ非信者で、あいさつを正しいとは思っていない人だろう。
こういうことを言っている人が概にテレビに出て喋ってても、
ほとんどの人はこのテレビ番組を見てないだろうから、
みんながあいさつ正しいと思っていなかったり、あいさつしたいと思っていない人がいるということを知らないのだ。
知ったとしても、大勢があいさつしていれば、これからもあいさつを一部の人にだけする人もいるのだろうけど。
私と同じ家に住んでいる親戚の叔父が、近所の人のことを「○○町にも変なのがいる。ほとんどの人は変ではない」というようなことを以前言っていたが、叔父は近所の人のことなどほとんど知らないだろうけど、ほとんどの人は変ではないと思っているようだ。
誰にでも叔父みたいなところはあるだろう。
他人の一面、一部分を見聞しただけで、その人のすべてが分かっているかのように思っている人もいるだろう。
誰かに悪印象を持っていない人が、その後、その人に悪い印象を持つと「印象変わった」などと言っていたりする人もいるが、人のことなど一面を見聞しただけで、その人の全てなど分かるわけないのだ。
このあいさつについて書いている文章の題名をあいさつの闇という題名にしたが、信仰の闇、心の闇、心理の闇などとも言えるだろう。
日本人も日本人以外も、人のことなどあまり分かっているわけないのだ。
あいさつ信者やあいさつ非信者の多くも、あいさつされたら人はあいさつ返すものであると思っているのだろう。
だから、あいさつ返さないことに、違和感を感じておかしいとか変だと思ったり、大勢と同じようにあいさつ返さなかったり、最低限でも会釈しないことに不満を持つ人がたくさんいるのだろう。
人のことをあまり分かっていないのだ。人の心、人の心理や信仰をあまり分からないという心の闇が隠されている。
他人の分からない心の中を自分は知っているところがあると信じていて知ったかぶっているところがあるが、
あいさつについて人が何を思って、信じているのかをあまり分かっていないし、あいさつ以外のことについてもほとんど分かっていないのだ。分かっていないのに人はみんな初めにあいさつをされたら、あいさつを返すことが正しいと信じていて、みんながあいさつを返すのだと知らない人の内面を分かっていると知ったかぶっている人のことを、あいさつ出来る人は素晴らしい、常識人、普通の人、一般的な人などと呼んで片付けているのだ。
人間のことを全てがみんな同じ人間だと思っていなかったり、
あんな人と同じ人間だと思われたくないと思ってる人も、一部のことは
大勢と同じことをしなければいけないと信じている人がたくさんいるのだろうけど。そのうちの一つがあいさつだ。
みんな世の中のことも、人のこともあまり知らない。
知っていることの方を持ち出して、自分が知っていることを知らない人を下に見て優越しても、所詮ほとんどのことなど知らないのだ。
多くの人に知られていないことを闇と言うとすれば、世の中のほとんどは闇だ。
今後は今までよりは、大勢には秘密にされていて一部の人しか知らなかったことや、大勢に知られていなかったことが今までよりは知られていくだろう。
他の人が言っていることでも、「今後は社会の片隅でひっそり生きていた人が日の目を見る」というようなことを言っているが、実際そうなるだろう。
例外あれど、今までは多数派のやっていることが素晴らしいことであるとか、大勢と同じことをすることが多くの人から求められて、望まれていたところがあるだろうが、今後は少数派がいい意味で注目されることも増えるだろう。
下剋上という言葉があるが、意味、定義は人によって違うことを言っていたりするが、誰かの定義では「下の勢力が上位の者にうちかつこと」などと言っているが、今後の世の中もこんな感じになり、色んなことが逆転すると思う。
多くの人から立場が下だと思われていて、見下されている人やバカにされていた人や物などが、高評価されるようになったり、今までほど悪くは言われないようになったり、今まで大勢が正しいことで正義だと信じてきたことが、間違っていて不正であると逆のことを信じるようになるだろう。
勢力が強い人達と言えば、権力者やその権力者を支持する人や多数派や、少数派であったとしても大勢から支持されている歌手や芸能人などや
その少数派を支持している人達や、あいさつしなかった人を見下してバカにしている人がいる理由の一つは、大勢と同じことをしないからだろうけど、
今後は一人一人の個人の信仰が色々知られていけば、あいさつ返さないことにびっくりしたり、見下したり、バカにしたり、嫌う人も減ってくるだろうし、あいさつ以外のことでも色んな信仰を持っている人がいるということが今までより知られてきて、今までよりは個人や少数派が尊重されやすくなると思う。
19.袴田事件とあいさつと信仰心
袴田事件が冤罪なのに裁判で死刑判決になったが、この裁判の時に裁判官は3人いたみたいだが、一人の裁判官は無罪にしたのに、裁判長と他の裁判官は無罪に反対して死刑判決になったようだ。
裁判に関わらず、こういうことは日々、色んなことでたくさんあるだろう。
自分が属している集団の中で自分の信仰心や感じたことを言うと否定されたり、自分の言い分が通らないことなどよくあることだろう。
集団の中で立場が上の人の決めたことで決まったり、袴田事件の裁判の様に多数決で決めて大勢の方で決まることが多いだろう。
あいさつも同じことだ。大勢の人が一部の人にだけ初めにあいさつして、あいさつ返す人が多かったり、
自分が数少ない人に初めにあいさつしたら必発百中でオウム返しであいさつを返された人が多いだろうから、
誰でもあいさつ返すと信じ込んでいる人がたくさんいるだろう。
もし、大勢の人があいさつを返さないのならば、あいさつを初めにしてくる人自体がほとんどいなくなるだろう。
袴田事件のことについて、雑誌か何かに書かれていたことに、
冤罪なのに袴田巌さんがやったことだとデッチあげた警察や検察の名前を実名で告発するというようなことが書かれていたが、
警察や検察がウソをついて、やっていない人をやった人であるように仕立てたと不満を言いたいのだろうが、それならば、法律のほとんどを知らないし知る気もなく、知っている法律のほとんどを守らずに、守っている法律でも原則道理には守らなかったりして、自分達に都合のいいように法律を利用している人たちにも問題はあるということになる。
死刑賛成だったり、裁判官が人を刑務所に入れることを決めていいとか、損害賠償を払えなどということを決めてもいいなどと、
正しい根拠もなく信じている人はたくさんいるだろうが、裁判官の判決が気に入らない時にだけ不満を持ち、裁判官の判決に共感して正しいと思えば満足するようなことをしていたり、警察が人を逮捕することをやってもいいと信じている人にも問題はあるということになる。
ほとんどの人は裁判官や警察や検察をやっていないから、自分が決めたことではないし、関係ないと言いたいのだろうが、
裁判官や警察や検察という職種はあってもいいと、まかり通らせている人達もたくさんいるのだから、警察や検察や裁判官がやったことや判断に不満を持った場合は、警察が人を逮捕してもいいとか、裁判で裁判官が判決してもいいと信じている人も同罪だろう。
裁判官や警察や検察がやった言動や判決に対して気に入らないとか、共感しない時にだけ不満を持ち、自分達が共感したり、やってもいいと許していることをやった場合は不満を持たずに許すような勝手なことを思っているのだ。
袴田さんのことで警察や検察や裁判官をおかしいと思う人で、警察が人を逮捕したり、裁判官が判決することを正しいとか、やってもいいとか信じている人にも問題があるのだ。
人や人以外の生き物が嫌がるようなことをやっていても、ほとんどの人は逮捕にはならないのに一部の人だけ逮捕することをおかしいとは思ない人が多いだろう。
警察が逮捕することが正しいとか、裁判官が判決することが正しい根拠などどこにもない。
多くの人は自分に都合のいいように法律を利用しているのだ。
正しいと思う法律をまかり通らせているというよりは、自分に都合のいい法律だけを適用して利用しているのだ。
あいさつも同じで、先生や親にあいさつを教えてもらったとか、大人や親の真似をしてあいさつをしたという人が一部いるが、
親があいさつしたこともない人にあいさつしたり、ほとんどの人にはあいさつをしないのに勝手に一部の人にだけあいさつしたり、
あいさつを返すことが正しと誰かから言われたことがない人の方が多いだろうに、勝手にオウム返しであいさつを返すことが正しいと信じているのは、
親や先生に教えてもらったからではないだろう。
自分が勝手にあいさつは誰にでもやらなくてもいいとか、あいさつ返しが正しいと信じたのだろう。
裁判官や警察や検察の職種があってもいいとか、自分が共感できる判決や言動を裁判官や警察や検察がやったら許すのも、
あいさつが正しいと信じているのも、それ以外のことでも、自分が感じたことが根拠や裏付けもなく正しいと信じている信仰心なのだ。
20.他人の姿は自分の姿、他人は自分を映す鏡、目くそ鼻くそ、五十歩百歩
以前、何かのテレビ番組でAV男優のしみけんが、「セックスする時にコンドームをつけない人はあいさつができない人と同じ」というようなことを加藤鷹というAV男優が言っていたと喋っていた。
意味は多分、子作りではないセックスをする時にコンドームなどの避妊具をない付けなかったりして避妊をしていない人や、
あいさつされたのにあいさつ返しをしない人はダメ人間で劣っていて、人としてすべきことが出来ていない人だとでも言いたいのだろう。
この加藤鷹のことをある占いをしている人がブログで取り上げていて、
「インドだったらアウトカーストだ。でも羨ましい」というようなことを書いていた。
私はアウトカーストという言葉は、この人のブログを読んだ時に初めて知ったのだが、その時はアウトカーストという言葉がどういう意味か調べていなかったが、この文章を書く時にグーグルでアウトカーストと検索して調べた。アウトカーストの定義については人によって違うことを言っていて、
カーストの身分制度にも入っていない人と書いている人や、最下層と書いている人がいた。
AV男優やAV女優の人みたいに人にセックスをしていることを見せるのを誰かは格下に見てバカにしたり、やってはいけないことだと思っていても、
色んな女とセックス出来ていることを羨ましがっている人もいれば、AV女優やAV男優を下に見ていない人もいるわけだ。
AV男優の人があいさつを返さない人をおかしいと思って、あいさつは返さなければいけないことだと思っていても、
AV男優やAV女優をバカにしていたり、セックスしているところは見せたらだめだと思っている人もいるわけで、
自分が誰かをおかしいと思っていても、自分も他の誰かや、おかしいと思っている人からおかしい人だと思われているのだから、
五十歩百歩であり、目くそ鼻くそだ。
同じ国に住んでいる同国民であっても、同じ人間だとは思っていなくて、同国民を上に見たり、下に見たりして、縦社会のヒエラルキーがある。
この縦社会、ヒエラルキー、カーストがあるのは日本や他の国でも同じだ。
違いは誰をどうゆう理由で上に見たり、下に見たりしているのかが違うだけだ。
日本人には天皇家の人や天皇を日本国民より上に見ている人もいるが、そうは思わない人もいるわけだ。
同じ日本人でも同じことを思っていない。
ネットでGanasuというサイトと、こくちーずプロというサイトに書かれていたのを読んだのだが、インドのカースト制度は1950年に憲法で廃止されて、アウトカーストの低いカーストの人のための留保制度というものが出来たらしい。
留保制度で大学への進学や公務員への就職が低いカーストの人に優遇されているらしい。
それで高いカーストの人が入りたい大学にも入れないと不満を持っているインド人の人がいるみたいだ。
こういう不満はたくさんの人が持っていると思うが、
今までなかった決まり(ルール)を決めると、その決まりがなかった時に自由にやれていた人たちなどや優遇されていた人が不満を持ったりする。
今までなかった新しい決まりで得をする人もいれば、不利益になる人もいるのだ。
あいさつでも、あいさつ返されたいと思っている人が初めにあいさつして、
あいさつ返されたら、自分の思い道りになって満足したり、喜んだりしても、あいさつ返している方は嫌々あいさつしている場合もあるわけだ。
誰か片方が得をしていい思いをすると、他の誰かが嫌がっていたりする。
大勢がやっていることで、大勢が得しているようなことは良いこととして片付けて、嫌がっている人がいることも知らなかったり、嫌がっていることを知っていても大勢と同じことをしない人や、嫌がっている方が悪く言われやすい。
多くの人は誰かを嫌ったり、見下したりしていることをカーストやヒエラルキーや差別とはあまり言わないだろう。
人間は自分が感じていることが正しいと信じているところがあり、
自分が正しいと信じていることをやらない人を見下しても差別、カーストなどとは言わない人が多いだろう。
見下された人や嫌われた方に問題や原因があると信じているのだろう。
私の住んでいる近所で、私が初めにあいさつしないことに不満を持って、
私の近くで不満を言ってきたり、悪態ついてきた老人達がいるが、
この人達が誰に対しても初めにあいさつさせたいと思っているわけがないし、自分が住んでいる近所を通りすがる人の全てにあいさつを初めにしてほしがっているとは思えない。
推測だが、この老人達が初めにあいさつしないことに不満を持っているのは、私にだけ不満を持っているのではないかと思っている。
田舎で近所を通りすがる人もほとんどいなくて、生まれた時からずっと60年以上同じ場所に住んでいたり、
結婚して引っ越してきてから数十年、同じ場所に住んでいて、近所で直接見かける人もほとんどいなくて、
人を見かけても以前から知っている人ばかりだったりするところに、知らない人が引っ越してきたり、知らない人が近所を通りすがると、
初めて見る人でも好きな子どもとかではない場合は警戒したり、嫌がったりする人もいるのだ。
私の住んでいる近所で、私が初めにあいさつしないことに不満を持っている人は多分、自分達が住んでいる地域は、例外あれど、以前から長年この土地に住んでいる人のもので、それ以外の人の土地ではないと思っていたり、
先にこの土地に住んでいる人の信仰に合わせろとか思っていそうだ。
例外は長年住んでいなくても子どもや、好きな見た目をしている人や、好きな人などは受け入れていそうだ。
つまり、地球上のごく一部の場所、土地を自分達ごく一部の人のものだと勝手に信じているのだろう。
上から目線で支配的なのは権力者や白人や信長や秀吉などの武将だけではないのだ。
土地を一部の人のものと信じていて、自分の住んでいる地域に好きでもない人が引っ越してきたり、同じ地域に親しくない人が来て気に入らないと思い、引っ越してきた人に悪態ついたり、見下している人のことをガラが悪いなどの意味でやくざ、チンピラ、極道という言葉で言い表すならば、
「地域やくざ」「地域チンピラ」とか「組長気取り」とか
「地域組長」「土地組長」「土地チンピラ」「土地やくざ」とも言える。
自分の住んでいる地域に好きでもない人が引っ越してきたりして、
同じ地域に親しくない人が来て気に入らないと思い、引っ越してきた人に悪態ついたり、見下している冷酷さを持っている人を悪魔という言葉で言い表すならば「悪魔の土着民」とか「悪魔の現地民」とか「悪魔の先輩現地民」「悪魔の先輩住民」という感じだな。
あいさつをしてほしいのにあいさつをしない人に不満を持ったり、
悪態ついてきたり、不満を言ってくる人や、嫌がらせをしてきたり、身体暴力を振るってきたり、見下す人を「あいさつ鬼」「悪魔のあいさつ信者」「悪質あいさつ信者」「悪徳あいさつ信者」などとも言える。
あいさつ信者であいさつしない人を見下したり、不満を持つ人をガラが悪いという意味でやくざやチンピラ、極道という言葉で言い表すならば「あいさつやくざ」「あいさつチンピラ」「あいさつ極道」という感じだ。
大勢が正しいと信じているあいさつをする人のことを、あいさつ出来る素晴らしい人や、コミ二ケーション能力が高いとか、心の成長が出来ているなどと言って、甘やかして高評価している人もいるけど、自分の言いなりにならずに、自分の思い道りにあいさつしない人を嫌ったり、見下したり、
あいさつ返すまで執拗にあいさつしてきたり、あいさつしてほしいのにあいさつしない人に対して色んな悪態ついてきたり、
不満を言ってきたり、嫌がらせしてくる人を、あいさつした一面だけ持ち出して素晴らしいとか、心の成長が出来ていると言っているのもおかしいのだ。
あいさつにしろ、あいさつ以外のことでも、自分が勝手に正しいと信じたことをまかり通らせようとして、
自分に合わせてほしいけど自分は相手のことを全くか、ほとんど知る気もないような人は、自分が思いたいように勝手に色んなことを信じたり、感じたというだけだろ。
あいさつを正しいと信じ、あいさつ返しは人としてしなければいけない勝手に信じて、大勢と同じことを感じて、大勢と同じことを信じたというだけのことだろう。
あいさつを初めにしてほしいのにしなった人に不満を持つ人は上から目線であり、悪態ついた相手を仲間だと思っていないのだ。
以前、テレビか何かで知ったのだが、自分の住んでいる地域の海を他の人に使わせたくないというような感じのことを言っている人がいた。
同じ人間だとも思っていないし、仲間扱いしていないから、自分達の縄張りだと思っている所に、好きでもない人や仲間扱いしていない人が入ってきてほしくないのだろう。
控えめ、謙虚と一部の人が言っている日本人が、結構、図々しくて、上から目線で高慢、傲慢なところがあるのだ。
やくざ、暴力団、チンピラ、極道と言われている人を悪く思っていたり、格下に見ている人もいるだろうが、
やくざと言われていない人達も誰かから嫌われたり、格下に見られたり、バカにされているのに気づいていない場合が多いのだろう。
やくざの人とやくざと呼ばれていない人では、やくざの人の方がガラが悪いと思っている人の方が多いだろうが、
やくざではない人で普通の人や一般人や堅気の人間などと呼ばれている人なども誰でもガラが悪いところがあるとも言えるのだ。
ひどいと思う態度を取った人に、人のことを人間扱いしていないなどと言う場合があるが、仲間だと思っていない人や大切ではない人にあいさつをしてほしいと思ったのに、相手があいさつをしないことを許さないのも、相手のことを人間扱いしていないとも言える。
こういう人は、自分があの人に初めにあいさつさせたいのにあいさつされなかったと勝手に不満を持ったことをおかしいことだとか差別とは思わないだろうし、相手の方がおかしいと思っているのだろう。
根拠がなくても自分が正しいと信じているところがあるのだ。
こういう人の信仰心は、下が上に合わせて従えという信仰を持っている人もいるだろう。
先に住んでいた人の方が立場が上だと信じている人もいるのだ。こういう人は田舎に多そうだ。
昔から先祖や親や自分が同じ土地に住んでいたり、先祖や親が同じ土地の田んぼや畑を長年使ってきているので、
その土地は自分達一部の人のものだと思っている人もいるだろう。
勝手な縄張り意識を持ち、高慢、傲慢なところがあり、排他的、閉鎖的なところがある。
日本人は、日本人という同じ民族だとは言っても、日本人みんなを同じ人間だとは思っていないのが日本人なのだ。
土地に対する日本人の信仰はみんなが同じことを信じているわけがない。
多くの日本人は、土地はその土地を金を払って買った人のものであるとか、
今使っている土地を先祖が昔から使っていて、そこの土地を土地税を払って使っている場合は、その土地は土地税を払って使っている人やその人の家族のものであると信じていそうだ。
つまり、地球の一部は特定のごく一部の人のものであると信じている人もいるのだ。
日月神事には、人間に与えられているのは食べ物だけと書いていた。
これを知ってもみんなが正しいと信じるわけではないだろう。
日月神事に、衣類や家や土地は預けられていると書いていたが、
これを知っても、地球の一部分は特定の一部の人のものであると信じる人もいるだろうし、日月神事を知らなくても、
土地は人間のものだとは信じていない人もいるだろう。土地に対してもみんなが同じことなど思っていないのだ。
ほとんどの決まりを正しいとは信じない人達が、あいさつをされたらオウム返しであいさつを返すことが正しいとか、
絶対にオウム返しであいさつ返されると信じている人がたくさんいる信仰の謎だ。
あいさつのことも、多くのことも信仰心だが、信仰とは言わない場合が多いどころか、日本人は無宗教などと言う人もいて、
信じていることがない民族であるかのように言う人もいるが、実際は日本人は信じていることだらけなのに、自分の信じていることを言葉で一切言わなかったり、自分の信じていることがまかり通らないと怒りだしたり、不満を言ったりするのだ。
私の今住んでいる町内に、うちのとこの田んぼがあったのだが、2019年の後半にその田んぼが不動産屋に売れて金が入ってきたのだが、
叔父がその田んぼの土地のことに関わった人に不満を言っていた。
不満の内容は不動産屋が土地を買うことに「騙し」というようなことを言っていたり、その買われた土地をある会社が使いだしたのだが、その会社のことを「〇〇腹立つ」と言っていた。
この言い分を聞いていると叔父は買われた田んぼを自分や自分の家族などの一部の人のものだと信じていて、
自分のものである土地を取られて盗まれたとでも思っていそうだ。
うちで使っていた田んぼの近くの田んぼも不動産屋に売れているのだが、
叔父が「みんな言わないな」という感じのことを言っていたのだが、土地を不動産屋が買ったことに、土地を買われた他の人が、
土地を買われたことに対して不満を持っていても言っていないと言いたそうだ。
私の母親が言っていたのだが、一字一句はっきり覚えていないが、
田んぼが売れた別の人が「外では言わないけど家では言っている。人の財産取ってな」という感じのことを言っていたらしい。
その人が言っていたことの意味は、「田んぼの土地が買われたことに不満を持っていることを家で家族とかには言っているけど、
よその人には言っていない。うちの収入源になっているものを取られて気に入らない」とか思っていそうだ。
こういうのを聞いていると、年輩の人でも地球の一部の場所、日本の一部の場所は自分達ごく一部の人の土地だと信じていて、
正しいという根拠や裏付けもないことを信じていて傲慢、高慢なところがあるのだ。
刑法違反をしても不満を持ち叩くが、刑法違反ではないことでも色々なことに不満を持っている人が普通の人や、
一般人などと呼ばれている。
万引きや、スリ、詐欺など刑法違反で捕まるようなことをしたら、盗んだなど言って悪く言うが、刑法違反ではなくても
不動産屋が合法で田んぼなどを買うことにも、自分のものを取られたと思っている人もいるのだ。
控えめ、謙虚、つつましいなどと一部の人が言っている日本人にもこういうところがあるのだ。
私の母親が「百姓は騙されやすい」などと言っていたが、私の母親を含めてほとんどの人は金でやっていく世の中が正しいと信じている
金信者だろうが、たくさんの物やサービスに値段を付けることは正しいとか、税金や年金を払うのは正しいことで、やらなければいけないことと信じて、この金でやっていく世の中を辞めようとせずに、他の人にも金払えと求めていたり、商売をやることをまかり通らせていることも、直接的や間接的に人のことを騙すことに加担しているのだ。
他人の姿は自分の姿で、騙されて自分たちの土地を奪われて盗まれたかのように思うのは自分も人のことを騙して生きているからだろう。
正しくないことなのに自分が正しいと信じていることに従えと、直接的や間接的に自分の信仰を押し付けるのは信仰泥棒とも言える。
土地を誰か特定の一部の人のものだと信じている人は土地泥棒とも言える。泥棒と言う人も泥棒なのだ。
日本人が排他的な村社会と言われるのも、ほとんどの人を仲間だと思っていなくて、例外除いて、仲間だと思っていない人にあいさつをしてほしいと求めて、思い道理にあいさつされないと仲間だと思っていないから不満を持ったり、嫌ってくる。
2021年ぐらいに私が住んでいる家で聞いたのだが、叔父が私の母に誰かが、うちの株内のことを「泥棒の株内と言われてる」ということを
言っていた。うちの株内の誰かが大勢が泥棒と言っているようなことをしたのか、それを知っている誰かが、うちの株内の人がいるところでは言っていなくても、うちの株内以外の人に、あの人のとこは泥棒の株内と言っているのを聞いた人から叔父が聞いたのだろう。
大勢が泥棒と言っている刑法違反で捕まるようなをことをした人を泥棒と見下してバカにしているのではなくて、
大勢が泥棒と言っているようなことをやった人の株内の人のことを泥棒の株内と呼んでいるということは、
自分が見下しているようなことをやった人の株内の人達のこともバカにして見下しているのだろう。
そうでなければ、わざわざ泥棒の株内などとは呼ばないだろう。
日本人を陰口民族と言う人もいるが、こういう風に影でコソコソ人のことを見下してバカにしていても、知らなければないのと同じなのだ。
泥棒の株内と言った人も、それ以外の人も自分や自分の家族や自分の株内や、ほとんどの人は泥棒ではなくて、
刑法違反もしていない素晴らしい、立派な人であるとでも信じているのだろうか?
自分は全てのことにおいて正しいことをしている人とでも言いたいなら、顔や名前を見下している人や大勢に晒して
堂々と言えそうなものだが、名前や顔を晒して大勢に人を見下してバカにしていることを言える人は、ほとんどいないだろう。
正しくもない金でやっていく世の中を正しいと信じて、この金社会で大勢が迷惑していても、
自分たちほとんどの人は問題がないと思っている人もたくさんいるだろう。
自分達がやっていることや、何かをやらないことで誰かが嫌がっていたり、不正をやっていることに気づいていない場合も多いだろうし、
自分可愛さから自分のことは悪く言わなかったりして、自分に甘いところがあるのだ。
私が今住んでいる近所に住んでいた、あるおばあさんがいて、この人は数年前に亡くなっているのだが、
この人が近所の家から何かを取っていったと聞いたことがある。大勢の人が泥棒と呼んでいることをやったらしい。
それが本当のことなのかウソなのかは知らないが、近所の多くの人もこのことを知っているみたいで、
以前、私が私の母親づてに聞いたのだが、このおばあさんが私の母親に「みんなが私のこと○○と言うんじゃ」というようなことを言ったらしい。
○○の部分はなんて言っていたのかはっきり覚えていないのだが、多分○○のところは、「泥棒」とか「悪く言うんじゃ」だと思う。
私の母親に聞いたのだが、近所の別のばあさんが、このおばあさんが来ると「なんか物はなくなってねーかー」と言ったらしい。
近所の一部の人がこのおばあさん本人のいるところで、言葉でこのおばあさんを悪く言って悪態をついていたのだろう。
このおばあさんを悪く言っていた人や、悪く思っている人は自分が刑法違反をしたことがないから悪人ではないと思っていそうだが、
自分や他の人が誰かが嫌がることをしていることは、あまり悪くは言わない人が多いだろう。
人を悪く言っているのを侮辱していると言えば、多くの人は人を侮辱していて悪口、中傷を言っているということになる。
侮辱罪や名誉棄損罪という法律があるが、これらの法律は正しくはないし、これらの法律を適用して人を逮捕したり、
罰金を取っているのは不正でおかしいし、差別している。
私の住んでいる近所で何か物を取ったと言われていたおばさんが刑法違反のことをやったのだと見下している人は、このおばあさんを本人のいる所や、本人のいない所で悪く言っているのは法律の侮辱罪を犯しているのと同じようなことをしているのだ。
侮辱罪の内容が、他人の人格を蔑視しているようなことを公然とやることとしているが、大勢が見聞できる所では言っていないから公然ではないとしても、大勢が見聞できる所で言ったか、そうではないかの違いで、誰かのことをバカにしたり、見下すようなことを本人がいる所や本人がいない所で言っている点では同じなのだ。
このおばあさんを見下して悪態ついてバカにしていた人は、大勢の見聞できる所でこのばあさんを見下すことを言っていなくても、
本人や本人がいない所でこのばあさんのことを悪く言うようなことをしているのは、侮辱して人を悪く言っている点では公然と大勢が見聞できる所で
言っていなくても、侮辱して悪く言っている点では同じなのに、公然と大勢の見聞できる所で言った人が逮捕になる場合もあれば、
公然と言っていても、逮捕されている人のことや政治家などのことをテレビやメディアやネット上で侮辱して悪く言ってバカにしても、ほとんどの場合は逮捕になどならない差別をしているし、大勢が見聞できる公然で悪口言って人を侮辱していることでは侮辱罪にしているのに、
大勢が見聞できないところで、本人や本人以外の少数の前で人を悪く言い侮辱することは侮辱罪にはしない差別をしている。
法律という決まり自体が差別法なのだ。
このおばあさんを悪く言っているバカな人達は、自分達が肉食をしていることでも誰かは低評価して悪く言っていたり、嫌っていたり、
金でやっていく世の中を正しいと信じて合法で金社会ををまかり通らせていることで、多くの人が金社会で苦しんでいることに加担して、
人が嫌がることや、誰かが不正だと思うことをやっていることに気づいていない場合も多かったり、誰かが嫌がったり、誰かが不正だと思うことをやっていても、自分が不正だと思っていないことや、
ほとんどのことで誰かが嫌がっていることはひどいことや、悪いことだとは思っていないのだろう。
肉食をしている人のことを「こんな人類なくなればいいのに」とネットに書いている人がいたり、人間は動物を食べるようにはできていないと言っている人もいるが、こういうことを言っている人がいることも知らない人が多いだろう。
大勢か自分が見下しているようなことや、悪いと思っているようなことをした人のことは悪く言ったり、見下してもいいと多くの人は信じているのだろう。
ほとんどの人が金でやっていく世の中を正しいと信じている金信者だろうが、この金でやっていく世の中で大勢が苦しんでいるが、
人が嫌がることに加担して金でやっていく世の中をやっていても、多くの人からは悪く言われにくく、合法をいいことに金でやっていく世の中をまかり通らせているのだ。
本来値段が付いていないものに値段を付けていても、多数派には甘い人が多いので、詐欺や泥棒とは言わないのだろうが、
合法泥棒や、合法の詐欺をしているだけだ。
おばあさんを悪く言っている人の中には年金暮らしの老人もいるだろうが、みんなが年金払うことを正しいとは信じていないし、
年金取ることは合法の不正で、不正をやり、人が嫌がるようなことをしている人が、おばあさんを泥棒と言って、この人のことを軽んじて、下に見てバカにしているのだ。
刑法違反で逮捕される方の泥棒と言われている人たちとの違いは、合法か違法かの違いなだけで、不正の正しくもないことをやっている点では同じだ。
多くの人は大勢がやっていることは例外あれど正しと信じているだろうから、金でやっていく世の中や、
本来値段が付いていないものに値段を付けて商売をしていることが間違っていて不正だと気づいていないのだ。
他人の姿は自分の姿で、他人は自分を映す鏡で、目くそ鼻くそ、五十歩百歩だ。他人に泥棒と言う人も泥棒なのだ。
金でやっていく世の中で給料や印税という形で金を貰っていない、無職やニートなどと言われている人を見下したり、バカにしている人はたくさんいるだろう。
多くの人は大勢が見聞しやすいところでは言っていないだけで、本人のいる所や、本人がいない少数の人の前で無職、ニートと言われている人を見下したり、バカにするようなことを言っても、大勢の前で言っていないなら言ってもいいけど、大勢が見聞できるところでは言ってはいけないと思っている人の中には、大勢が見聞できる所で言ったら、言った自分が大勢か少数の人から不満を言われたり、嫌われるのが嫌だから言わない人もいるだろう。
大勢が見聞できないところで、誰かを悪く言っても、ほとんどの人には分からないし、大勢がいる所で言ったとしても、どうでもいい人や嫌いな人が悪く言われていても他人事な人が多いだろうから、どうでもいいことだと思う人が多いだろうけど。
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