目次
1.金でやっていく世の中は間違っていて不正だ
2.金信者と金非信者
3.法律という差別法
4.合法泥棒、合法詐欺
5.不正の税制
6.バカの差別、他人の姿は自分の姿
7.ウソを正しいことのように言わないと生きていけない人類
8.職務質問自体が犯罪とも言える
第9章から第10章へのリンク
第11章から第16章へのリンク
第17章へのリンク
第18章から第19章へのリンク
第20章から第24章へのリンク
第25章から第29章へのリンク
第30章へのリンク
第31章へのリンク
第32章から第34章へのリンク
第35章から第39章へのリンク
第40章から第41章へのリンク
第42章から第45章へのリンク
第46章へのリンク
第47章へのリンク
1.金でやっていく世の中は間違っていて不正だ
この金でやっていく世の中は間違っていて不正だ。
正しくもないことを正しいこととしてウソを付いているのが金でやっていく世の中なのだ。
世の中の色んなことに金が絡んでいて、ありとあらゆるものに値段、価格が付いている。
金以外のことでもウソが多いので、社会、世の中と言われているところははウソで出来ているとか、世の中、社会はウソまみれとも言える。
この金でやっていく世の中、社会自体が正しくもない、間違っている、不正な世の中、社会だが、この金でやっていく世の中、社会を正しいことで、正当だと多くの人は信じているのだ。
「人のために」という美名、綺麗事の言葉で金でやっていく世の中を正当化する人もいるのだろうが、人のためにと言っていても、この金でやっていく世の中で大勢の人が苦しんで、迷惑しているので、人のためになっていないとも言えるのだ。
本来全てのものに値段や価格がつていないことは分かり切っていることだが、例外除いて、大勢がやっていることが正しいと根拠なく信じていたり、
金でやっていく世の中がないと死活問題で生きていけないと思っている人が多かったり、自分や多数派に甘かったりするので、
金でやっていく世の中を正当化させる人が多いのだろう。
今後、遅かれ早かれ、絶対に金がなくてもやっていける世の中になるが、
そんな世の中になった時に誰かがこんな感じのことを思ったり、言うだろう。
「昔は金を払うのが常識だったけど、今は金払わなくてもやっていけるのが常識になった。大勢がやっていることが例外あれど正しいんだよ」
そして、今後は人間は肉食をしなくなり、動物性のものを食べなくなるだろうが、誰かが「昔は牛、豚、鶏、魚、卵を食べるのが普通だったけど、今は食べないのが普通なんだよ」とか言いそうだ。
同じことをしているのに大勢がやっていたら、普通や常識、社会のルール、当たり前などと言い、大勢がやっていないことには、あまり普通や常識などとは言わないだろう。
2.金信者と金非信者
法律もウソであり、みんなが法律を正しいと信じているわけではない。
一部の法律を正しいと信じていても、全ての法律を信じているわけではなくて、自分の都合のいいように法律を利用しているだけだ。
一般に宗教と言われているキリスト教や創価学会などの人が、自分たちの信じている教義(ルール)を守らなかったからとか、
入信しなかったからなどの理由で、部屋に閉じ込めたり、身体暴力でも振るえば、カルト宗教などと呼ばれたり、異常でおかしい宗教と
思う人も多いだろう。
刑法違反して逮捕されたり、大麻取締法や覚醒剤取締法や動物愛護法で逮捕されたり、罰金取られたりしても、
税金を払わなかった人に差し押さえしても、法律はカルトとか、
カルト宗教、カルト法などとは呼ばれず、法律や金でやっていく世の中がおかしいとか、間違っているとは思わず、
多くの人は警察に逮捕されるようなことをやった方が間違っていて悪いと信じているのだ。
金でやっていく世の中自体が正しくもない不正でウソであるにもかかわらず、多くの人は
金でやっていく世の中が正しいという信仰を持っているのだ。
金でやっていく世の中が正しいと信じている人を私は、金信者(かねしんじゃ)と呼んでいて、
金でやっていく世の中が正しいと信じていない人のことは、金非信者(かねひしんじゃ)と呼んでいる。
みんなが金信者ではない。人類の中の多くは金信者だろう。
多くの人は法律のほとんどを信じていないだろうが、一部の法律は正しいと信じているのだろう。
その正しいと信じている法律は、刑法や大麻取締法や覚醒剤取締法や動物愛護法などの逮捕されるような法律や税制や年金制度とかを信じている人が多いと思う。
私は法律の一部を正しいと信じている人を法律信者と呼んでいる。
刑法違反した人を逮捕することを多くの人は正しいと信じているだろうが、こういう人を刑法信者と呼んでいる。
法律の一部を守っている人を真面目な人、普通の人などと呼んで
高評価する人もいるが、真面目な人、普通の人と言われてる人が、いい加減で適当に自分に都合のいいように法律を利用しているのだ。
著作権法が正しいと信じている人がいる。著作権法違反になるから漫画のキャラクターを描いた絵をネットに出してはいけないと言っている人も、
他の法律は知らなかったり、知る気もなかったり、正しいと信じていなくて守らなくてもいいと信じている法律もあるだろう。
自分が正しいと信じている法律を守れと思っている場合と、正しいとは信じていないのに見栄、体裁などで勝手に法律の一部の決まりを守り、
同じ決まりを守らない人に不満を持つ人もいるのだ。例外除いて、大勢と同じことをしない少数派を問題視して、正しいとも信じていない法律を守っている人や、正しくもないのに勝手に正しいと信じている一部の法律を守っている人が普通の人や真面目な人と言われたりするのだ。
自分が信じていることが正しいと思っているから、自分に合わせて従ってほしいのだろう。
著作権法自体が間違いで不正でウソの決まりだ。もし、同じ決まりを宗教と言われているイスラム教やキリスト教などで著作権法という同じ決まりを決めていても、その決まりを正しいとは思わない人が多いだろうが、国の法律で決められていた場合は正しいと信じたり、正しいと信じていなくても守らなければいけないと信じる人もいるのだ。国に色んなことを押し付けられてやらされていると思っている人が、一方で国の決めたこと正しいと信じて守ったり、正しいと信じていない決まりを守っているだけで、正しいと信じていない決まりをなくそうとしたり、変えようとはしなかったり、その決まりを正しいと信じている人を問題視はせずに国を悪く言って、国のせいにばかりする人もいる。
金でやっていく世の中自体が不正だが、漫画家や作家が本や漫画に値段付けて売っているのも不正なのだ。
漫画をネットなどに出して著作権法違反で逮捕されている人がいるが、漫画家も不正をやっているのだ。
日本人は無宗教、無神論者など言われていて、宗教に入っていないように言う人もいるが、宗教と言われていないだけで、日本人は色んな決まり(ルール)を信じている。
その信じている決まり(ルール)の一部は法律の一部、刑法、常識、社会のルール、人間のルール、人間の基本、当たり前、マナー、モラル、道徳などと言っている。
自分が信じている決まり(ルール)を他人にも信じさせようとしたりしていて、自分の信仰心を押し付けて、押し売りしているところが日本人にはある。
日本人を控えめ、謙虚、つつましやかなど言って良く言っていたりするが、
本音や本心を大勢が見聞できる所で、自分の名前とか顔の個人情報をさらして言っていないだけで、影で本音、本心を言ったり、影から嫌がらせをしていたりもするのだ。
3.法律という差別法
私は昔、店で万引きして逮捕されたことがある。
多くの人は逮捕されるようなことしたり、逮捕されると悪者、犯罪者、罪人などの言葉で呼ぶだろう。
下らない言葉遊びで、言葉の定義をはっきり具体的に言っていない。
悪者、犯罪者、罪人という言葉に隠している意味、定義を言っていないのだ。
金でやっていく世の中をみんなが正しいとは信じていないが、金を払わない人を逮捕するのは、逮捕という言葉の名目、建前の迫害、差別で少数派(マイノリティー)への迫害だとも言える。
逮捕を正当化している人の中には、子どもとか、好きな人とか、自分が刑法違反で逮捕されるようなことをしても警察を呼ばなかったり、自首しないのに、えこひいき差別をして、都合よく法律を利用している。
金でやっていく世の中は不正でイカレているが、ほとんどの人はこの金社会をおかしいとは思っていないだろうから、万引きされた店の人が金がないとやっていけないから迷惑しているんだぞなどと思うのだろうが、
金信者の多くも金非信者も金でやっていく世の中で迷惑して苦しんでいる人がたくさんいる。
合法だから捕まらないだけで、商売は合法の不正であり、合法の泥棒、詐欺をやっているのだ。
全てのものに値段が付いていないのは考えなくても分かることだが、みんなで本当の助け合いをする気もない人が多いだろうし、
金でやっていく世の中が正しいと信じている人が多いので、この金社会を辞めようとしない人が多いのだろう。
男尊女卑に似せて言えば、例外除いて、多数派尊少数派卑みたいなものだ。
例外除いて多数派が正しくて、えらいというのを亭主関白に似せた言い方をするならば、多数派関白という感じだ。
自分達も誰かが嫌がることをしたり、法律や法律以外のほとんどの決まりを守りもしないのに、逮捕にはならないという差別をしている。
同じことをしても、あの人なら許して、こいつは許さないと思っても、それを差別や偏見だという人はあまりいないだろう。
許された方は人徳があり、許されなかった方は人徳がないから許されなかったのだという理由をつける人もいる。
自分の好きな外見をしていたり、自分が好きな言動を取った人、自分の役に立っているところがある人は許したり、大目に見たりする場合があり、
人徳があるなどと言い、嫌いなだけの人や見下している人は自分の役に立っていないから、人徳がない人などと呼んだりして、同じことしても悪評価をしている場合があるが、これじゃあ、白人の黒人差別と同じようなものだ。
好きな人のことは悪く言わずに、嫌いな外見の人のことは悪評価していたり、自分が好きな人ではなかったり、自分の役に立っていないから悪評価したり、許さないのも差別だ。
法律とは、頭がおかしい法律、頭がおかしい刑法、頭がおかしい差別法、キチガイ法などとも言える。
こんな法律を都合よく利用する人たちを、普通の人など言い良く言う人もいるのだろう。
何かのテレビ番組で、海で生きている野生の一匹のあるイルカについて、一字一句覚えていないが、誰かが「人間の世界と同じで、頭がいい人は集団から追い出される。
このイルカも同じで、頭が良くて群れから追い出されたか、
自分から群れを出てきたのだろう」というようなことを言っていたと思う。
人間の世界で頭がいいと思われている人みんなが属している集団から追い出されるわけではないが、追い出される場合もある。
金でやっていく世の中のことも同じで、大勢と同じように値段ついているものに金払ったり、年金や税金を払う人を正しいと
信じている人が多いから、金を払わないと強制で逮捕されたり、罰金取られたり、牢屋に入れられて迫害されて追いやられる。金でやっていく世の中という間違った不正を信じている人や、値段ついているものに金払う人の方が、まともな正しい人にされているのだ。
4.合法泥棒、合法詐欺
金でやっていく世の中はウソであり、正しくなくて、不正で間違っているが、大勢の人が金信者なので、自分たちの信仰を正しいことだとまかり通らせるためには、自分達と同じことを信じていない人や、自分たちと同じことをしない人に対して、刑法を利用して逮捕させる差別をして、おかしいことをしている世の中、社会でイカレてる、頭がおかしい世界だ。
本来ならば値段や価格がついていないものやサービス、土地などに値段を付けるのは合法の詐欺だし、金を取るのは合法の泥棒で、金泥棒とも言えるし、合法の不正で金を客から取って、給料や印税を貰っているのも、給料泥棒、印税泥棒、金泥棒と言える。みんな泥棒なのだ。
税制や年金制度や、損害賠償や罰金、皇室費、生活保護などで金を取るのも合法の泥棒だ。
刑法違反で逮捕されるような違法の泥棒と言われている人や、盗人などと言われている人と違うのは、合法か違法の違いであって同じことをしているのだ。
バカという人がバカと言うが、泥棒と言う人が泥棒なのだ。合法の泥棒なのか、違法の泥棒なのかの違いだ。
詐欺はダメと詐欺師を逮捕していいと思っている人が、自分たちも合法の詐欺を正当化させているのだ。
警察が人から罰金を取ったり、税金から給料を貰っているのも合法の詐欺であり、合法の泥棒なので、差別をして、おかしいことをしているのだ。バカの差別、アホの差別だ。
政治家が税金から100万円を法律違反で取ることが、こそ泥よりもひどいことしていると言う人がいて、「こそ泥なんかかわいいもんだ」など言っている人がいる。
多分、こそ泥という言葉は、こそこそ泥棒するという意味で使っているのかもしれないが、金でやっていく世の中は正しくもない不正なのに、堂々(どうどう)と税金や年金や給料や印税などを取って
合法で泥棒をしているので、どうどう泥棒、堂々どろぼうなどという言い方でも呼べるだろう。
こそ泥というような言い方をするのなら、堂々どろぼう、どうどう泥棒は、どう泥とでも呼べばいい。
老人の中には若者を「苦労したことがない」とか「恵まれた時代に育っている」など言う人がいたり、格下に見ている人もいるが、そんな年下の人間が払った年金で生きていたりする。
法律では合法の年金制度も、年金制度は合法の詐欺制度、泥棒制度で、その年金を貰っている老人も年金泥棒だ。
自分は人に迷惑することはしていないと思っていても、大勢が金でやっていく世の中で迷惑して苦しんでいて、この金でやっていく世の中に加担しているのだが、自分は関係ないと思っている人もいるだろう。
商売、商いなどと言われているものも、本来値段がついていないものに値段付けてるのは詐欺だ。
別のいい方なら、本来値段がついていないものに値段付けるのはウソをついてる。
金がないとやっていけないので正当化するのだろう。
大勢がやっていることは許されやすいし、人のためと言っても許されやすい。
私の母親が今まで携帯を使っていた会社(この後の文章ではA社と呼ぶ)以外の別の会社でスマホを買って契約しようとしている時に、A社に母が電話をかけて、電話番号だか、何かの引継ぎをしようとしている時、A社からスマホを3万安くすると言ったらしい。
こういうのを引きとめ対策と言っていいる人がいた。
別の会社の方で契約するのを辞めて、後日、母がA社の携帯店に行ったら、
11万ぐらいするスマホを勧められたらしく、そのスマホより安いスマホは3万の割引はできないらしい。
私の母親はこういうことを「汚いことしているわけではない」という感じのこと言っていた。
多分、A社の人は「3万安くなるとは言ったけど、すべてのスマホが3万安くなるとは言っていない」とでも言いたいのだろう。こういうのを良く言いたがる人は「頭がいい」とか「賢い」など言って高評価して褒めるんだろうが、
悪く言ったら「詐欺」「汚い」など言って悪評価や低評価する人もいるだろう。
気にいらない値段には「この値段は詐欺」などと言ったり、税金を取っていることを税金泥棒と言ったり、警察など公務員が気にいらない時に税金泥棒と言ったりするが、妥当だと思っている値段には不満を持たない。
本来は全てのものにもサービスにも値段などついていないので、値段付けていること自体が本当はおかしいのだ。
金でやっていく世の中自体が不正で、人から金を取ろうとしたり、取ったりするのは詐欺だが、法律上は合法で、違法ではないので逮捕にはならないだけだ。
不正(正しくない)をやっていることを汚いと定義付けるとしたら、
金でやっていく世の中自体が汚いし、それに加担する人も汚いということになる。
政治家や一部の人を金に汚いとか、金の亡者など言ってバカにしたり、不満を持つのも自分たちの姿だということになる。
他人は自分を映す鏡だ。目くそ鼻くそ、五十歩百歩だ。
政治家が国民のことを考えていないと思っているのも、自分たち国民の姿でもある。
人の幸せを祈るなどと思っている人がいても、実際はほとんどの人の生活とかの面倒はみていない。
ほとんどの人の面倒を見るのは自分たちがやることではないと大勢の人は思っているだろうけど。
人の幸せを祈っている人も、大勢が迷惑して苦しんでいる金でやっていく世の中に加担しているのだ。
5.不正の税制
税制は公平と言う人がいるが公平ではない。
税が使われているもので、社会貢献していて、人の助けになっているという人がいても、本当にみんなで助け合いをしているのならば、金でやっていく世の中などいらないのだ。一円も要らない。
一部の人や、一部のことに税という金を使っているだけで、すべてのことに税を使っているわけではない。
全てのことから税を取るわけではないし、金でやっていく世の中自体が不正のウソなので、税制が公平というのは間違っている。
「税金は社会や世の中の役に立っていて、社会や世の中に貢献している」など言う人は、部分を取り出して、自分や大勢がやっていることを美化して、綺麗事を言い、税制を正しいことだと正当化したいのだろう。
本当にみんなで助け合いしてるのならば、金は要らないのだから、税金も要らないのだ。
一部のことから税金を取り立てて、ほとんどのことからは税金は取らないという、おかしいことをしてるのを、社会や世の中の役に立っていて、貢献しているなどと、カッコ付けたことを言い正当化している人もいるのだ。
「愛のこもっている料理を作って、家族や、恋人や客に貢献して役に立っている」と思っている人がいたとしても料理に使われている食材に、動物の肉や、動物のダシなどの動物性のものが入っていることを嫌がっている人もいる。
肉など動物性のものが入っている料理を好まない人もいるし、肉食は即辞めるべきと言っている人や、人間は動物を食べるようにはできていないと言う人もいる。誰かが肉料理を喜んでいて、愛がある料理などと言っても、嫌がっている人もいるのだ。
金でやってく世の中で、大勢が苦しんで迷惑しているが、一部の人間や生物や地球のことに金を使ってることを、社会や世の中に貢献しているなどと大げさに言い、美化して、綺麗事を言い、カッコ付けて、さも正しいことのようにして正当化しているのだ。
「社会や世の中の役に立っていて、貢献している」と言っている意味は、
「人の役に立っていて、人に貢献している」と言いたい人が多いのだろうが、金でやっていく世の中で、多くの人が苦しんでいたり、迷惑してることは、大勢の人達は分かっているだろうが、そんな金でやっていく世の中を「人の役に立っていて、人に貢献している」というのも、ある意味、滑稽でおかしいのだ。
一部のことから税を取り立て、特に本人の同意もないのに税を取り立てて、税金Gメンの差し押さえをやってまで、金を取ろうとしているのを「社会や世の中の役に立っていて、貢献している」「人の役に立っていて、人に貢献している」などと言ってるのはおかしいのだ。みんなが金信者ではないということが分からずに、日本人は、自分たちが信じていることを宗教や、教義、信仰などの言葉では言い表さずに常識、社会のルール、考え方などと言っている人もたくさんいるだろう。
戦争や戦や乱がいい例で、人のために、お国のためにと言っていても、人のことを攻撃して排除したりしている。
税金を払うことで、「社会や世の中の役に立っていて、貢献している」と言っても、自分に入ってきた金を自分以外の一部の人や生物や地球のことに出していて、一部の人などに役に立っていても、ほとんどの人に金を出していないし、全てのことに税金など使っていない。
あいさつで例えるなら、「あいさつは人の役に立っていて貢献しているんですよ」と言ってるような感じだが、みんながあいさつしたいわけではない
「あいさつされて嬉しかった」という人がいるが、あいさつされた人みんなが嬉しいわけではない。
逆にあいさつを正しいと思っていなかったり、あいさつ返しするのを面倒だと思ってたり、あいさつ返した相手と関わりたいとも思っていない人もいるだろう。
あいさつ返されないことで不快になる人がいるが、みんが不快になるわけではない。
あいさつは社会のルールという人が、ほとんどの人にあいさつしていなかったりするが、社会のルールという言い方より、あいさつを正しいと信じている人が勝手に自分独自のあいさつの決まり(ルール)を作っているのは、
「支離滅裂なルール」とか「めちゃくちゃなルール」「あいさつは統一されていないルール」「バラバラなルール」「勝手なルール」とか言った方がいいと思うけど。
社会などという言葉で言って、言葉の意味をはっきり言わなければ、カッコが付くのだろうけど、具体的に言うとカッコが付かなくなるだろう。
誰かのあいさつの決まりは「あいさつしないとダメだけど、それは自分がやりたいときにだけやればいい。自分があいさつしないところがあるのは許すけど、一部の人があいさつしないところがあるのは許さない、ダメ人間と言って見下して、軽蔑してやる。」などと思っている人もいるだろうが、
具体的にこういう本心を言ったらカッコが付かないだろう。
みんながすべての人のことを好きだったり、尊敬したり、仲間だと思っていたり、生きてくれてるだけでいいと思っていたら、あいさつなど要らないのと同じことで、みんなで本当に助け合いをしているのだったら、金など要らないので、金でやっていく世の中、社会など要らないのだ。
多くの人は、金を自分以外の人に渡したり、使ったりすることや、好きな人やお世話になった人や、自分の仲間などに金を渡したり、プレゼント
などを買ってあげることを「人のために」とか「金じゃない」などと言って美化して、カッコつけているのだろう。
6.バカの差別、他人の姿は自分の姿
生活保護の人を悪く言う人がいる。
生活保護を貰っている人のことを不正受給している人と、不正受給ではない人に分けていたりして、不正受給の人は生活保護を貰ったらだめだけど、不正受給でない人は貰ってもいいなどと信じている人がいる。
自分達から取った税金から出ている生活保護の金を生活が大変だと思わない人には与えなくていいけど、本当に生活が大変な人には与えてもいいと思っている人もいる。
生活保護費は税金から出ているが、その税金を国民から取っていること自体が正しくもない不正なのだが、それに気づいていない人もたくさんいるのだ。
だから、根本的に法律自体が不正でおかしいのだが、自分達が気に入らない人は合法でも違法でも許さずに、合法でも違法でも自分たちが気に入っている人とか仲間とかだったら許している場合もあり、えこひいき差別をしている。
都合のいい法律や正しいと信じている法律の場合は適用して都合よく利用し、正しいと思わない法律は適用しないのだ。
国民もいい加減で適当でバカなところがあるが、国民の多くは普通の人や、一般人や善人などと言われているのだろう。
ゴミ捨て場の決まりで、ゴミ捨て場にカギが掛かっているのをゴミ当番の人が開けなかったら、当番の人に不満を持つ人が多いと思うが、
ゴミ捨て場にカギを掛けていること自体がおかしいとか、ゴミ捨て場にカギを掛ける決まりを正しいと信じている人や、決まり守っている人の方がおかしいとは、あまり思わないのと同じようなもので、法律の一部を正しいと信じて守り、同じことをしない人を牢屋に入れたり、裁判やったり、「まじめな人が損をする」など言って、例外あれど、大勢と同じことをする多数派を良く言い、少数派が悪く言われるのだ。
生活保護の人に働けなどと言ったり、思ったりして不満を持つ人もおかしいのだ。
なぜかというと、仕事の面接に行っても要らないから不採用で落とされる場合もあるし、採用されて働いても人間扱いされなかったり、辞めさせようとしてきたりなどしている場合もある。
ああ言えばこう言う、ああやればこう言うという感じで、逆のことをやっても不満を持ったり、不満を言ったりして嫌ったりする。
合法で金でやっていく世の中をやっていくことを正しいと信じている人が、自分達が合法で給料や印税を貰ったり、年金や税金などを取ることは許すのに生活保護の人が合法で金を貰っていると悪く言う人や、良く思わない人がいて差別をしている。
金でやっていく世の中を正しいと信じている金信者が、別の金信者が合法で金を得ていることに不満を持つ人もいるのだ。
以前、新聞の折り込みチラシの中に仏教の僧侶が書いていると思われる紙が入っていて、それを読んでいると、一字一句はっきり覚えていないが、「昔は家族、親戚に生活保護を貰っている人がいたら恥ずかしいから
面倒見てましたよ。貰えるもん貰っとけで生活保護貰って」みたいな感じのことが書いてあったと思う。
他人の姿は自分達の姿で、合法をいいことに貰えるもん貰っとけで給料、印税、皇室費や、おこずかいやお年玉、募金や寄付や年金などの金を貰っているのは同じことだが、生活保護の人にはケチをつけて不満を言っているのも、ただの差別、偏見である。
仏教徒も貰えるもん貰っとけで、檀家から金を貰ったり、托鉢で金や食べ物を貰っているが、合法で金とか貰っているのは同じことだろう。
どうみても他の国民達より特別扱いされている天皇家の人が税金から皇室費を貰っているが、そのうちの一部は天皇家の人に対する生活保護とも言えるし、年金貰っている老人は生活保護とは言われないが、
これも生活保護とも言える。
生活保護の人たちが、生活保護の金で、クーラーやスマホやガソリン代とか
日常で使うものなどに金を使っていると不満を言う人がでてくるだろうが、それならば年金や皇室費も同じようなものだろう。
だから、みんな合法の金泥棒なのだ。給料や印税を貰うのも、金がないとやっていけないから合法をいいことに貰えるもん貰っとけで金を貰っているのだ。
給料や印税という形で金を貰う理由付けに、労働に対する対価とか、神様から貰ったなどの意味や理由をつける人がいる。
大勢が仕事や職業と呼んでいることをやった人には、給料や印税という形で金を与えたらいいけど、多くの人が仕事や職業と呼んでいないことで何かをしている人は例外あれど金を貰わなくてもいいと信じている人が多そうだ。
無職と言われている人が家の家事、掃除、洗濯や、それ以外の何かをやっていても金など一円も貰えなかったり、家族とか誰かから金貰ったとしても、一か月とか半年、一年で数百円とか数千円と一万円やそれ以上の金を貰っていたとしても、給料、印税を貰うことをしている人ほどは金は貰えない人が多いだろうから、何かをしている労働に対する対価で給料、印税という形で金を貰っているというのはウソである。
神様が金くれたのだというのなら、誰かは金貰えても、別の人は貰えないのは、どういうえこひいき差別している神なのかということになる。
バカにしてたり、見下している仕事などに「怪しい仕事」などと言ったり、
合法で仕事していても、「あんなことしないとお金が入ってこない」などと言ってバカにしたり、おかしい仕事と、まともな仕事があると分けている人がいるが、金でやっていく世の中自体が不正で正しくもない世の中、社会であり、こんな世の中自体が怪しくて、おかしい、胡散臭いことをしている世の中、社会なのだ。
7.ウソを正しいことのように言わないと生きていけない人類
多くの人は金がないと食べ物も食べられない、生活費を払えない、欲しいものも手に入らないなど、金がないとやっていけないので、
金でやっていく世の中を、さも正しいことのように仕立てて生きているのだろう。
そして、その金でやっていく世の中で都合の悪いことは、例外あれど少数派のせいにしたり、大勢から嫌われたり、不満を言われている政治家のせいにしたりする。
江戸時代にキリスト教に禁教令が出されていて、キリスト教の信者が殺されていたみたいだが、キリシタン迫害など言われているが、
殺されないためには、ウソをついてキリスト教徒ではないと言わないと生きていけなかっただろう。
大勢がやっていることが例外あれど正しい、法律の一部が正しい、刑法が正しいなどと信じて、都合よく法律、刑法などを利用している法律信者、刑法信者もおかしいのだ。
「かわいいは正義」という人がいる。どういう意味で言ってるのかよく分からないが、多分、かわいい子のやることはなんでも許せるとか、かわいい子や、かわいいものを見ていると自分にとって都合がいいので
良いことであるなどの意味だろう。
この意味だと、昔から誰かが「カワイ子ちゃん、美人は許す」など言っている人もいるが、自分の役に立っている人は許すけど、同じことを自分の役に立っていない人がしたら許さなかったりする差別をしているのだ。
正しいこととは何かということについて、多くの人は
「自分が感じたことが正しい」「子供が正しい、子どもが正義」
「例外除いて、大勢が感じていることや、大勢がやっていることが正しい。多数派が正義。」「法律の一部が正義」だと信じていそうだ。
ほとんどの人は、いい人の善人で一部の人が悪人だと信じ、いい人たちがやっていることは、例外あれど何してもいいという信仰を持って、金でやっていく世の中を正当化させている人もいるだろう。
例外あれど、子どもが悪いと思うことやおかしいと思うことをしたら、子供のせいにはせずに大人のせいにする場合があるように、
大勢がやってることを正しいことだとまかり通らせて正当化させるためには、同じことをしない少数派(マイノリティー)を問題視して敵視したり、
悪者扱いする場合がある。
例外あれど、多数派(マジョリティー)には甘くて、少数派(マイノリティー)に冷酷なところがある。
戦争についても未だにウソを言っているが、数年前にテレビで戦争のことを「お国のために、天皇のために、家族のためにと思って行った戦争」みたいなことを言っていたが、一部ウソを言っている。
お国のために、天皇のためにと思って戦争に行った人もいるだろうけど、みんなが同じことを思って戦地に行ったわけではないだろう。
戦時中、戦争反対者が特高に逮捕されていたり、非国民などと呼ばれているのに、みんなが同じことを思っていたかのようなウソを言ってる。
テレビで戦地に行った人が戦時中に「なんで戦争なんかやらないとダメなんだ」とか「なんでこんな変な作戦やらないとダメなんだ」と言ったら隊長から処罰されたとうようなことを言っていた。
戦争に行った人が、渋々、戦争に行っている人もいて、戦争に行ったけど何で戦争なんかやらないといけないんだと思っている人もいるわけだが、
金でやっていく世の中についても、みんなが金信者ではなく、金でやっていく世の中がおかしいとか、不正だと思っている人もいるのだ。
時代の流れや、新しい時代を作ったとか、時代の流れに合わせる、時代の流れを受け入れるなどと言っている人がいるが、
こういう感じに使われている時代という言葉の場合は、時代という言葉を大勢という意味で使っている場合が多いと思う。
ある同じことを大勢がやったり、大勢が同じ物を持っていたり、大勢が同じことを信じていることを時代と言っているのだろう。
時代の流れに合わせるとか、時代の流れを受け入れると言っているのは、大勢がやっていることに合わせるということだろう。
つまり、自分が正しいと信じていないことでも、大勢がやっていることに合わせるということだ。
今で言えば、世界中の多くで、時代は金でやっていくのが正しいと信じている人が多い時代、あいさつ返すのが正しいと信じている人が多い時代、
スマホの時代や車の時代だということだ。
大勢と同じことをしていないと変な目で見られやすいところがあったり、悪いことだと思われたり、見下される場合もある。
あいさつを返さない人が変な目で見られやすかったり、嫌われたり、見下されるのも同じことだ。
時代の流れは神が作っていると信じている人もいるだろう。大勢が信じていることや、やっていることは神様にやらされていることだとか、
神様に許されていることだからやってもいいと信じている人もいるだろう。
要は、人間がたくさんいて、同じ土地を誰の者とするのか、二人以上の人間が一緒に行動したり、何かをするときに、
信じていることが違う中で、誰の思い道りにさせるのかは、例外あれど、自分や自分が上だと思っている人や好きな人や、
自分の仲間を優先させたり、多数派を優先させる場合が多いだろう。
主導権争いをしていて、金でやっていく世の中では法律を都合よく利用して、強制で無理やり金を払わない人を逮捕したり、
牢屋の中に閉じ込めるのだ。
絶対に金でやっていく世の中が正しいと信じていて、本来全てのものに値段が付いていないことは考えなくても分かることだが、
自分に都合のいい捉え方をしている金信者達の多くは、金を払わなかった人達の信仰や、その人たちの生きてきた環境などを考慮や配慮などせずに、刑法を利用して強制で逮捕させることを許している人が多いだろう。
この金信者の人達も、誰かに嫌がることをしていたり、誰かが間違っていて不正だと思うことをやったことで、強制で檻の中や建物の中に閉じ込めたら、それをおかしいと思ったり、不満を持つ人の方が多いだろう。
自分達は誰かが嫌がることや、誰かが間違っていて不正だと思うことをやっても許されるべきだと思っている人が多いと思う。
自分や多数派には甘いところがあり、汚いところもあるのだ。
スーパーに張っていたポスターに、「万引きは窃盗罪です」と書いていた。
警察は逮捕したりする時に人の体を無理やり押さえつけたり、手錠をかけたりとか、昔は特高警察が逮捕した人を拷問しているが
万引きは窃盗罪ですという言葉の言い方を真似して警察のことを言い表すと「警察は暴力団です」とか「警察は暴力集団です」とも言える。
バカという人がバカで、あいさつをしなかった人に不満を持つ人が、
自分もほとんどの人にあいさつしていなくて同じことをしているように、暴力振るった人を逮捕している警察の中にも暴力振るっている人もいるのだ。
警察のことを「おまわりさん、お巡りさん、お巡り」など呼ぶが、「汚まわりさん、汚巡りさん、汚巡り」とも言える。
警察自体や警察を良く思っている人は、警察が逮捕した人に身体暴力をしている場合があることを知らなかったり、逮捕された人を見下して、格下に見ている人や、劣っていると思っている人などは、逮捕された人に身体暴力をやってもいいと信じている人もいるのだろう。
自分に都合のいい汚い信仰を持っているのだ。身体暴力をやった一部の人を逮捕する警察が他の誰かに身体暴力やっていたり、
やってもいい身体暴力があると信じている警察もいるのだ。
罪という言葉は大抵、刑法違反とか警察に逮捕されるようなことをした人に使う人が多いだろうが、罪という言葉を、「美しさは罪」とか「知らない罪」と言ったりする場合もあったり、刑法違反ではない、警察に逮捕されることではないことで、ひどいことをしてると思った相手や、気に入らないことをした人に罪があると言う場合もある。
罪という言葉の定義、意味付けを同じ意味で使っているわけではないのだ。
逮捕された人に、罪を犯した、犯罪者や罪人と呼んでいる人が罪という言葉にどういう定義を付けてこの言葉を使っているのだろうか?
法律の刑法に違反したことを罪と呼んでいるのか、人が嫌がったり、迷惑することをしたことを罪と呼んでるのか、それとも、間違ったことをしている、不正(正しくないこと)をしていることを罪と呼んでるのか、
どういう定義、意味付けで罪という言葉を使って、窃盗罪などと言ったり、罪人、犯罪者などと言っているのかの理由を言わない場合が多いだろう。
間違ったことをしている、不正で正しくないことをしていることを罪と言うなら、金でやってく世の中は不正をやっていて、正しくないことをやっていて間違っているし、警察が税金から給料という形で金を貰ったり、
罰金を取ってることも不正なので、「警察は合法泥棒です」とか「警察は合法罪です」とか「警察は合法で不正やっています」とか
「みんな合法の泥棒です」とか「みんな合法罪です」「金でやっていく世の中は不正です」「商売は合法の泥棒、合法の詐欺です」とか
「警察は合法の罪人です」とか「警察は合法犯罪者です」などとも言える。
人が迷惑することをしたことを罪と呼んでいるのなら、金でやっていく世の中で大勢の人が迷惑して嫌がっていて、その金でやっていく世の中に大勢が加担していることを何で罪とは言わないのか?
部分を見て全体を見ず、小を見て大を見ずのようなことしていて、
一部の人が嫌がられていることや、法律違反をしたことは非難したり、見下して問題視するが、一部の人がやったことだけ問題視したり悪く言って、えこひいき差別をしている。
自分たちが合法でやっている色んなことに対して、誰かは嫌がっているが、
誰かが嫌がっているほとんどのことは、多くの人は悪いとかひどいとは思われていなことが多いだろうし、多くの人から泳がされていたり、野放しにされていたり、許されている場合が多いのだ。
人や人間以外の生物が嫌がることをしても、ほとんどの人は罪や悪などとは言われないし、刑法違反で逮捕になるようなことはない。
自分に都合のいい捉え方をして差別をしている。
8.職務質問自体が犯罪とも言える
警察がやる職務質問は法律で誰かが勝手に決めた決まりで、その法律の決まりの内容は「警察官職務執行法第2条に基づき、警察官が異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、
若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者を停止させて質問することである」という決まりのようだ。
法律の職務質問の法に「異常な挙動」と書いているが「異常」の定義など人によって違う。
私は以前、30歳前後ぐらいの時に、岡山県の住宅街の公園の中の道を自転車で走っていた。
私のいる所から一番近い出入口付近の外の所にパトカーが一台止まっていた。
パトカーが止まっていた出入り口付近の公園内の所に大きい木があり、その木の近くに椅子があるのだが、私はその椅子に座って店で買ってきた物を飲食しようとしていたのだが、近くにパトカーがいる所で食べるのも嫌なので、公園で飲食するのは辞めることにした。私はパトカーが止まっている出入口の方からは出て行かずに、別の出入口から出ていこうとして、自転車で右側の方にある別の出入り口の方に向かって自転車を走らせた。公園の出入り口付近に私がいた時に、左側から気配を感じて左を向くとパトカーが私のいる方にバックして来て、パトカーから2人の警察が降りてきて、
そのうちの一人が私の方に向かって歩いて近づいてきながら「どこに住んでる」と偉そうに言ってきた。
私はどこに住んでいるのかは答えなかったけど別のことを喋って、その場を立ち去った。
職質は必要だという人もいるけど、職質されてもそれに答えないことも出来るのだったら何のために職質する必要があるんだろうか?
自分たちのいる方向に来なかったということで「異常な挙動をした奴」とか「不審・怪しい」と思い難癖つけて、どこに住んでるのかとかを聞いてどうしたいのだろうか?
職質してきて、相手が返答しても、ウソをつくことなど簡単であり、年齢や職業などを聞かれてもウソを付くことも出来るし、質問に答えないことも出来る。
職質することを「仕事です」とか「職務です」「疑うのが仕事です」と言えばカッコが付いて、美化出来て、いい感じの理由付けになるんだろうけど。
警察など法律のほとんどを知らないだろうし、知る気もないだろうし、知ってる法律も全てを守っているわけでもないのに、
「職質は疑うのが仕事だからです」と言う警察もいるのだ。いい加減、適当に自分に都合よく法律を利用して、上から目線なところが警察にはあるのだ。
仕事や職業と言えばカッコが付くところがあり、多くの人は仕事や職業と言えば怪しむこともあまりないのだろう。
警察が職質している本当の動機、目的自体が怪しいし、
警察が職務質問している本当の理由、動機、目的は次の文章に書く理由、心理などでやってそうだ。
・職務質問を隠れ蓑にして、警察が正義の戦士のウルトラマンや仮面ライダー、アンパンマンなどを気取りたいため、
偉人、英雄願望、ヒーロー願望などのためにやってる警察もいるだろう。
・職務質問という言葉や職質の法律を隠れ蓑、名目、建前にして差別、偏見をやっている。
・仕事という言葉の美名のもとに差別・偏見をしている。
・職務質問や仕事という仮面を付けて差別・偏見をしている。
・世のため、人のためというふりして、自分の個人的な主観で職質をしている。
・法律を盾にして、虎の威を借る狐で強気になり、特権階級意識を持って調子に乗って、上から目線で職質している。
誰かを不審という人も不審なのだ。警察が職質している理由も不審で怪しいし、それ以外のことでも自分達の色んなことを隠していて不審だ。
職質されて色んな理由で嫌がっている人もいるだろうが、警察は職質しても捕まりはしない。
職質することで世のため、人のためのようなふりをして、人が嫌がることをしているが、嫌がっていることにも気づいていない場合もあるだろう。
おかしな、不審な異常な奴に職質してやったと警察や警察以外の一部の人は満足だろうが、職質されている人の職場の人や近所の人などが、職質されているのを見て職質されている人に悪印象を持つことで、
職質されてる人間の印象が悪くなったり、職質されてる人の家族の印象が悪くなる可能性もあるが、警察なんかそんなことも意識していない人が多いだろう。世のため人のための正義で法律で許されていることだから職質をやっていいと思う警察もいるだろう。
法律自体が正しいことではないし、職質の法律も正しくもない。世の中の多くでは正しくないことが正しいとされて、まかり通っているのだ。
人が嫌がることした一部の人たちは刑法違反で捕まるが、
警察から職質されることで、職質された人が嫌がっていても警察は逮捕にはならない。
アンパンマンが悪役にパンチして殴っても多くの人は許すだろうが
正義のいい人は、悪人だと思う人や見下している人に何をやってもいいというような信仰を持っている人もいるだろう。
子どもがやることが許されやすいところがあるのは、子どもが善人のいい人で正義だと思っていたり、子どもを好きな人が多いからだろう。
みんな誰かが嫌がることをしているが、ほとんどの人は捕まらずに一部の人だけが捕まるという差別をしているのだ。
そして、みんな不審とも言える。地球は人間のものではないだろう。
その地球上の土地の一部分を自分達のものであると思っている人もいる。
自分達がどこに住んで、どこの田んぼや畑を使っているのかを、全ての人に言う人はあまりいないだろう。
地球の一部を自分の物だと思っている人は、その場所に住んだり、使ったりしていても、自分が住んでいる場所は他のほとんどの人の土地ではないと思っているので、ほとんどの人に対して、どこの土地を使っているのかとか、どこに住み着いているのかは隠しているのだ。
自分たちの個人情報や色んなことをほとんどの人に隠しながら生きていることは不審だとも言えるし、そういう人たちのことを不審者とも言える。
自分がおかしいと思う言動を取った人や、悪人だと思う人などを不審者という人が多いだろうが、自分達も不審者なのだ。
自分達は地球の一部や人を自分の思い道りに支配して、言いなりにさせたいところがあっても、他の人がそれをやっているのは許さないところがある。
金でやっていく世の中という不正を、さも正しいことのように仕立てている世の中も怪しく、胡散臭い、イカレてる、異常な世の中で頭のおかしい世の中だ。
そんな社会、世の中に生きているほとんどの人を普通の人で、まともな人だと多くの人が思っているのだろう。
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