日下太鼓台友好会

毎年、東大阪の生駒山麓で
石切神社秋祭り及び夏祭りに奉納される
日下太鼓台をこよなく愛する人達のブログです

伊達幕

2021-07-17 21:08:00 | 新調
新調に辺りここが1番の変更点かもしれません

伊達幕:川中島


正面左:武田信玄


正面右:上杉謙信

後方右:甘粕影持

後方左:原大隅守




新たに製作、夏季大祭幕
福島県・いわき絵のぼり吉田・絵師 辰昇
元は、のぼり旗の図案です
ふとん太鼓の幕では初かも・・・

全て手書きの染めで製作
復興祈念の願いを込めて製作して頂きました


幕を吊るす紐と装飾:四獣神


方位により
東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武





箱提灯・金綱・鳴り太鼓・・・

2021-07-16 18:20:00 | 新調
箱提灯です

先代の物を使用・・・
金具は新調、提灯部分はクリーニングです

正面左:伊勢神宮



正面右:石切神社


後面左:金毘羅宮

後面右:住吉大社


金綱
太くなり結びも大きく変更になりました



金綱後方の刻印:織田瓜と鳳凰





この刻印は
宮内庁にも御用達の請け合い業者様の一品です



鳴り太鼓
2尺7寸の大きさになりました
石川県白山にある浅野太鼓店の鳴り太鼓です


内部は網状鱗彫りと言う技術を使い
より響きわたる良い音色、音の伸びがあります

現地に何度も足を運び音色を調整していただきました



新調太鼓台 狭間

2021-07-15 22:41:00 | 新調
狭間の彫り物です

場面の説明と共に読んで頂くとありがたいです

狭間 正面:神功皇后三韓征伐 
弓で弭岩に字を書く
(神話伝説)

皇后は安雲礒良から竜宮の千珠・満珠を受けて
海を千満させ三韓を征する高麗、百済、新羅の大王が
貢物を捧げ服従の意を示すと
皇后は石壁に弓弭にて
「三韓(惑いは新羅)の大王は日本の犬なり」と書きつけた




向右:信玄と謙信 龍虎相打つ(川中島の合戦)

川中島最大の合戦、永禄4年9月10日の戦に於いて
上杉謙信は白布にて顔を覆い、夜明けの濃霧を幸い
唯一騎武田信玄の本陣に斬りこむ。
信玄は謙信の鋭い太刀先に刀を抜く間もなく軍扇にて受け止める




向左:姉川に火花散らす木村又蔵
(姉川の合戦)

元亀元年、姉川の合戦に於いて、加藤清正の臣・木村又蔵正勝は、
朝倉義景軍に苦戦する織田信長軍の助成に向かい、
縦横無尽の戦いで斬りまくり
朝倉方の宿将・島田権右衛門を初め、幾多の勇将を討ち取った
後年、正勝は清正四天王の一人として名を馳せた




後面:源頼義 霊水を得る(前太平記)

源頼信、頼義、義家は河内古市郡を本拠としたので
河内源氏と呼ばれる奥州で
安倍頼時、貞任が反きし頼義、義家父子が追討を命じられた
頃は、6月上旬で炎えるような熱さは耐え難く
口内は渇き一点の水の滴もなかった
こんな時に強敵に当たればどうしょうもないように思われた
頼義は神に祈願し自ら弓で河の岸を探ってみると
岩かどより霊水が急に湧き出て流れ始めた。
兵士たちはこの奇端に勇み立ち敵兵を討つ事ができた
天喜5年6月7日の事である




狭間の彫りは全て先代太鼓台からの移植

ニス取りと洗いで仕上げ、欠損部分を修復し足し彫りをしました




新調太鼓台 布団台・狭間 枡組み…など

2021-07-15 21:48:00 | 新調
今日はふとん台から参りましょう。

ふとん台の資料があまりなく

題材は合戦物で統一となっています



先代太鼓台より


少しわかり難い所にある雲板は

雲板:鶴で統一


井筒桁は鶴と亀





台輪桁は『日下』



枡組みの彫りは新たに
力神・烏天狗・龍・獅子



狭間下 虹梁:唐獅子 木鼻:阿吽の獅子



先代からの彫り物は移植となりニスを落とし洗いが掛けられました











新調太鼓台 布団締め

2021-07-15 20:37:00 | 新調
日下太鼓台と言えば武将の布団締めです

新旧と合戦場面の解説と共にご覧ください

前:源平合戦 源頼朝と平清盛
 

政治的器量と才能によって平家に栄華をもたらした
清盛であったが、
皇室をないがしろにする行為により
冶承4年(1180)7月4日後白川法皇は
平家討伐を源頼朝に命じた
頼朝の拳兵と共に平家討伐の声が高まり
清盛はいたたまれず治承4年12月神戸の福原より京へ戻り
戦わずして治承5年2月「頼朝の首を」と叫び狂死した。
平清盛の日招き、沈む夕日を扇で招き返したとの伝説




向右:桶狭間の合戦 織田信長と今川義元

上洛の軍旅に立った駿河の今川義元が永禄3年5月19日、
尾張の織田信長の奇襲を受けて横死した合戦。
桶狭間の古戦場は愛知県豊明氏有松町で、義元の墓がある




向左:山崎の合戦 明智光秀と豊臣秀吉

天正10年6月13日、信長を倒した明智光秀に対して羽柴秀吉が
京都乙訓群大山崎町で挑んだ弔い合戦。
敗走の途中で光秀は土民の竹槍にて殺害される




後面:関ヶ原の合戦 石田三成と徳川家康

慶長5年9月15日、
徳川家康の東軍と石田三成の西軍が天下をかけて
岐阜県不破郡関ケ原町一帯で激突した合戦。
この合戦に勝利をおさめたことで天下の覇権は
徳川氏の握るところとなり
翌年2月家康は征夷大将軍に任じられ幕府を開く




布団締めも糸色を決める際に

どうしても先代のイメージが強く色々と悩みました

全体的に派手目の印象になりましたが

先代の刺繍を紐解くとその内側は綺麗な刺繍糸が見えたりしました

新調刺繍のような明るめの糸でした

今後の夏祭りでの日差し・UVの劣化が考えられ

先代のような良い風合いになりそうな予感がします

まさに、これからの百年です