新調太鼓台、最後の紹介は土呂幕です
土呂幕:源平合戦
先代太鼓台の物を継承の予定でしたが
ひび割れ、欠損部分が多々に見られ完全新調に至りました
作製は木下彫刻工芸です
敦盛の最期
敦盛の最期 一の谷の合戦
一の谷の戦いの先陣を切った源氏の武将熊谷直実は、
戦いの中で平氏の若武者に一騎打ちを挑みます。
その若武者を馬から引きずり下ろし兜を外して首を取ろうとすると、
自分の息子と同じような歳と見て、一度ひるみます。
直実がその若武者を逃そうとしますが
味方の軍が迫っているのを見て、
泣く泣く自分で首を取りました。
その後、その若武者は平敦盛(清盛の甥)で、
その歳が17であることがわかります。
そして、その約10年後に直実は無情を感じ出家を決意します。
先代正面:熊谷次郎直実
新調正面:熊谷次郎直実
先代左:平敦盛
新調左:平敦盛
宇治川の先陣争い
宇治川の戦いの戦いを語る上で欠かせないのが
佐々木高綱と梶原景季による先陣争いです。
先陣争いというのは簡単に言えば一番槍を上げることであり
武士としては名誉ある行為
さらに佐々木高綱と梶原景季の間には馬を巡る騒動もあり、
両者の仲はあまり良くなかった。
そして始まった宇治川の戦い
この戦いにおける先陣は増水した宇治川を
渡りきることでしたため、両者とも宇治川に入り
なんとか泳ぎ切る事に必死であった
両者一歩も譲らない、そんな中佐々木高綱は梶原景季に対して
「帯が少し緩んでいるから直せ?」と助言
しかし、この助言は実は嘘
この助言によって少し油断した隙に佐々木高綱が
一気に宇治川を渡りきり見事に先陣を奪い取りました。
こんなことをやっているうちに宇治川の戦いは一気に
義経優勢となり、宇治川の戦いは義経軍の圧倒的な勝利にて終結
先代後方:梶原源太景季
新調後方:梶原源太景季
先代右:佐々木高綱
新調右:佐々木高綱
敦盛の最期 一の谷の合戦は
取るか取られるかの時代に情けも入る悲しい場面の彫り物
一方、宇治川の合戦は
仲間の利権争いの果て・・・・
新調土呂幕の彫りの奥深さと場面の意味合いを
じっくりと見て頂ければ面白味が増すと思います
あと、後ろ布はより奥行きがよくなるように
赤から漆黒に変更しました
以上、新調太鼓台の詳細でした
7/18でお披露目は終了です
時間が許すならば
もう1度、細かい所を覗きに来てください
そして後は秋季大祭の開催を祈るばかりです