日下太鼓台友好会

毎年、東大阪の生駒山麓で
石切神社秋祭り及び夏祭りに奉納される
日下太鼓台をこよなく愛する人達のブログです

日下太鼓台 家紋

2018-09-11 11:01:00 | 資料
          石切神社の家紋は『下がり藤』

    何故、日下太鼓台には『下り藤』では無く
     『五瓜唐花』通称『織田瓜』家紋なのか?とよく聞かれます

少し調べてみました

石切り神社の絵馬殿には、仁王像のように、
左右に饒速日命(にぎはやひのみこと)と
可美真手命(うましまでのみこと)の像が祀られています。

饒速日命(にぎはやひのみこと)は東征神話における
「孔舎衛坂の戦い(日下町)」に出てくる神でもあります

その子供の可美真手命(うましまでのみこと)は
その後、神武天皇仕える身でもありました。


饒速日尊(にぎはやひのみこと)を
祀る神社には、牛の像が置かれます。
石切神社内にも牛の像が祀られています

あと
東漢氏の始祖の阿知使主(あちのおみ)は、
饒速日尊(にぎはやひのみこと)の別名だと言われ
牛がシンボルとなったと言われています

牛は牛頭天王として、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)とも同一視され、
蘇我氏の信仰とも重なります。

そして素戔嗚尊(すさのおのみこと)の
神紋は木瓜紋(胡瓜)で、
織田信長の家紋と同じです。
これは、素戔嗚尊(蘇我氏)の血を引く尾張氏から
織田氏が分かれたからだそうです。

(ネットから文献をお借りしました)

『孔舎衛坂の戦い』等の経緯から日下村に由来があることから
太鼓台の家紋になったと思われます

因みに他町の太鼓台や神社の神輿にも
『下り藤』以外に『織田瓜』も
使われています。

日下太鼓台だけではないんです。


この歴史ある太鼓台も新調の運となりました。

新調太鼓台も素晴らしい太鼓台になると思います。


皆様のご協力を宜しくお願い致します。


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旧河澄家 祭礼展

2016-10-10 09:16:00 | 資料
東大阪にある旧河澄家の祭礼展に行ってきました



ずらりと並べられたミニチュアの数々


日下太鼓台・ふとん締めの精巧な作りに驚きでした。
清盛の扇子、戦馬、ちゃんと木型で作ってありました

石切神社に奉納される4町の太鼓台です。
夏季、秋季と持ち回りで祭礼があるので
4町が並ぶ事はありません。レアですね(笑)
芝の先代太鼓台もありました

こちらは枚岡神社で奉納する太鼓台です
さすがに全町とは行きませんね(笑)

祭礼のDVDも放映しております

10月23日まで開催しております
旧河澄家ホームページ





資料5

2013-03-29 13:43:00 | 資料
後面:関ヶ原の合戦

石田三成と徳川家康

慶長5年9月15日、徳川家康の東軍と石田三成の西軍が天下をかけて
岐阜県不破郡関ケ原町一帯で激突した合戦。
この合戦に勝利をおさめたことで天下の覇権は徳川氏の握るところとなり
翌年2月家康は征夷大将軍に任じられ幕府を開く

後面:源頼義 霊水を得る

源頼信、頼義、義家は河内古市郡を本拠としたので河内源氏と呼ばれる奥州で
安倍頼時、貞任が反きし頼義、義家父子が追討を命じられた
頃は、6月上旬で炎えるような熱さは耐え難く口内は渇き一点の水の滴もなかった
こんな時に強敵に当たればどうしょうもないように思われた
頼義は神に祈願し自ら弓で河の岸を探ってみると岩かどより霊水が急に
湧き出て流れ始めた。
兵士たちはこの奇端に勇み立ち敵兵を討つ事ができた
天喜5年6月7日の事である