石切神社の家紋は『下がり藤』
何故、日下太鼓台には『下り藤』では無く
『五瓜唐花』通称『織田瓜』家紋なのか?とよく聞かれます
少し調べてみました
石切り神社の絵馬殿には、仁王像のように、
左右に饒速日命(にぎはやひのみこと)と
可美真手命(うましまでのみこと)の像が祀られています。
饒速日命(にぎはやひのみこと)は東征神話における
「孔舎衛坂の戦い(日下町)」に出てくる神でもあります
その子供の可美真手命(うましまでのみこと)は
その後、神武天皇仕える身でもありました。
饒速日尊(にぎはやひのみこと)を
祀る神社には、牛の像が置かれます。
石切神社内にも牛の像が祀られています
あと
東漢氏の始祖の阿知使主(あちのおみ)は、
饒速日尊(にぎはやひのみこと)の別名だと言われ
牛がシンボルとなったと言われています
牛は牛頭天王として、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)とも同一視され、
蘇我氏の信仰とも重なります。
そして素戔嗚尊(すさのおのみこと)の
神紋は木瓜紋(胡瓜)で、
織田信長の家紋と同じです。
これは、素戔嗚尊(蘇我氏)の血を引く尾張氏から
織田氏が分かれたからだそうです。
(ネットから文献をお借りしました)
『孔舎衛坂の戦い』等の経緯から日下村に由来があることから
太鼓台の家紋になったと思われます
因みに他町の太鼓台や神社の神輿にも
『下り藤』以外に『織田瓜』も
使われています。
日下太鼓台だけではないんです。
この歴史ある太鼓台も新調の運となりました。
新調太鼓台も素晴らしい太鼓台になると思います。
皆様のご協力を宜しくお願い致します。
寄付金の要項←クリック
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『五瓜唐花』通称『織田瓜』家紋なのか?とよく聞かれます
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左右に饒速日命(にぎはやひのみこと)と
可美真手命(うましまでのみこと)の像が祀られています。
饒速日命(にぎはやひのみこと)は東征神話における
「孔舎衛坂の戦い(日下町)」に出てくる神でもあります
その子供の可美真手命(うましまでのみこと)は
その後、神武天皇仕える身でもありました。
饒速日尊(にぎはやひのみこと)を
祀る神社には、牛の像が置かれます。
石切神社内にも牛の像が祀られています
あと
東漢氏の始祖の阿知使主(あちのおみ)は、
饒速日尊(にぎはやひのみこと)の別名だと言われ
牛がシンボルとなったと言われています
牛は牛頭天王として、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)とも同一視され、
蘇我氏の信仰とも重なります。
そして素戔嗚尊(すさのおのみこと)の
神紋は木瓜紋(胡瓜)で、
織田信長の家紋と同じです。
これは、素戔嗚尊(蘇我氏)の血を引く尾張氏から
織田氏が分かれたからだそうです。
(ネットから文献をお借りしました)
『孔舎衛坂の戦い』等の経緯から日下村に由来があることから
太鼓台の家紋になったと思われます
因みに他町の太鼓台や神社の神輿にも
『下り藤』以外に『織田瓜』も
使われています。
日下太鼓台だけではないんです。
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