桑名駅の東は、駅前再開発という事業です。
戦後に1度再開発があって、今おこなわれているのは2度目の再開発です。
1度目は華やか賑やかでしたねぇ。
さて、一方で駅の西側、駅裏ともいうかな、こちらは「土地区画整理事業」
戦後からの課題であった駅周辺の都市整備は、東が順調に進むのに、西は行政と住民が折り合わない、反対が大きくて進まないどころか、整備をしない手を付けないという行政が放置しちゃうという異常事態が長く続いたそうです。
これらのゴタゴタを含めた桑名駅周辺の都市整備について語られた資料があります ↓
こちら[都市再開発法制定50周年記念 ~時代を画した再開発事業~]とこちら[住宅施策を考える/日本建築学会東海支部都市計画委員会 住宅部会
第19回部会 「桑名市の中心市街地について」 [2002. 7.19]
新聞資料かな、こちら
これ以外にも反対の理由があって、これは聞いた話ですけど、
西側の整備が反対にあって進まないので、東の開発が先になりました、そうしたら駅前は再開発なので、移転先の土地は100%換地、ところが西側は区画整理なので80%だという、、、ここが反対理由でもあったとのことです。
調べたらわかることなのですが、区画整理は住む人にとって、住む場所がよりよくなる、消防車が入るような道になるとか、そういうことで住民さんに利益があるでしょ、だから土地も皆さん少しずつ出してね、建物の補償もほどほどやでねっていうことなんですよね。
だからなのかなぁ、区画整理事業地に住まいがある世帯、ほぼ動く、玉突きのように動く、80センチだけでも移転するという、どう考えても進まないでしょうという計画になっています。
何が公平か、、当時の計画を立てた人に聞きたいくらい不思議な計画です。 北から順々、みんなが動く区画整理、移転先の人が移転しないと移転出来ないという、しかも広大な土地ですよ、駅の北から馬道までですよ。
当時の声の大きい反対者、自分たちのことだけじゃなく、家族や子の未来を考えてのことだったと思います。
思いましたけれど、なんなんでしょうか、この折り合いがつけられなかった「ツケ」をまともにくらった私たち、そして当時は働き盛り、今は高齢者の方々が今ここに居りますけど、この想いはどこへもぶつけられません、桑名市さんへ愚痴るのみ、どうしようもないのです。もがいても、模索しても、結果はどうしようもないんです。
平成13年に反対者との折り合いがついたのか、わかりませんが計画が出ました。
それから仮換地指定が平成21年ですよ、、、8年ってあまりにも長くてね。
昭和24年からなのか戦後からなのか、とにかく駅の周辺を整備しないとね、桑名の顔だからねってことでの事業計画なんでしょう。
少しずつ空き地が増えていくけれど、新たな道路やら下水やらの工事は進まない見えてこない、ずっと戦後処理ですよね、いまだに終わらない。
それでも、この計画に対して、何かおかしい、とか、何かしてやろうという議員さんも市長さんもいらっしゃらなかったです。
唯一、来て下さった方がいらしゃったのが平成26,27年ごろでした。私が頼んだのに、ごめんなさい、はっきりしなくて。
その後、大きく変化があったなぁと平成28年2月に開かれた「住民への説明会」
ここで、初めて、これまでの「にっちもさっちもいかない事業計画」これにメスを入れました。
桑名市が移転のための仮住まい建設すると言い出したのです、それぞれの住宅の移転は、その移転先が移転して、道路や下水などのインフラを整備してからしか移転が完了しません。
だから進まなかった、そこで、一旦仮住まいをしてもらって、その間に整備するということを計画に足して来たのです。
桑名市が財政難といいながらもこれ以上長引くことよりも、余分を出すことを決断したのです。
当初は現実的ではないという声もありました。
自分ちがそんな小さなアパートに入り切れるのか、引っ越しが2回になる、予算は出るのか、精神的に負担だ、そんな仮住まいについて色々考えられて不安がつきませんでした。
この時に、配られた資料です。
桑名市の資料がこちら
桑名市の計画変更の考えと、具体的な計画日程が書かれていました。
日程については住民の誰も信じませんでしたけどね。
「やるやる詐欺」と言っていました。
私たち住民は、いつ立ち退きを宣告されるのか、ずっと待って待って待ってきました。
今さらこんな非現実的な提案を言われても、信じられませんでした。
そんなこんなで、平成28年のこの時から2年経つと、「三重県に国体が来るんだ!」という理由で駅周辺をこの国体までに整備しようという桑名市長の声がかかったのです。
またこれも、信じていませんでした。
けれど、なんだか進みだしました。
これは、思うに、住民の高齢化が要因でもあるような。
桑名市の計画はかなりの無茶です、それを良しとしない方はたくさんおられました。
人生の生活設計を桑名市に握られているのです。
自分のタイミングで自宅をどうこう出来ないのです、
桑名市は「リフォームとかやっていいんですよ」って言います、言いますけれど、それは補償金には関係ありませんというんですからね。
そうすると待つでしょう、いつ言われるかわからののだから、何度も聞きに行きましたよ「いつ声がかかりますか?」「何年前に言ってもらえますか?」どの答えもはっきりもらえませんでしたからね。
痺れを切らして、リフォームしてしまったお宅、引っ越ししてしまったお宅、子どもたちはそれぞれに住処を別に持ってしまい、住人の高齢化はどんどん進み自治会は崩壊寸前、そろそろ限界となった頃、急に声がかかり出し、声がかかったらあっという間に仮住まいだ移転だ、、、心が追いつきませんよ。
70、80歳過ぎて、90近くなってから、新し家を建てるって考えてみてくださいよ。
もうあと20年、せめて10年早くに声をかけてもらえていたなら、、、
これが今の我々の心情です。
区画整理事業にあたる住民が不満そう、悲しそうなのは、こういう訳があります。
土地は減らされ、再築費用は昭和の保険並みの計算式で出されるから、住まいの建築費用は持ち出し多大。
これを区画整理、桑名市からお金もらって家を新しく出来ていいねぇ、なんて言われることのなんと辛いこと。
こればっかりは、共感を得られない、事業地内の住民だけで共感するしかないこと。
だけどだけど、記録には残したい。
他の人に話せば「あらあらお気の毒」と言われるこの話、
他の人に愚痴れば、「引っ越せばいいじゃない」と、、、そうですね、ごもっともです。
結局、税金が使われるのだから、より苦しいんです私たち、だれも嬉しいなんて言わない、ずっと苦しかったのだから、先の見えない計画に人生の半分以上を振り回されて、
どうかもうこのままで、、、「この事業は止めます」って言ってくれたなら、どんなにうれしかったことでしょう。
何が公平なのか。。。
こんなに空き地が増えているのに、当初の予定は変えられない。
国も県も市も、、行政ってのは、間違えた!とわかったら、ごめんねって、それを止める、変える、これがなんで出来ないのでしょう。
財政が苦しいならば、より予算を使わない方策を考えて、計画を変えないのかね、、、
やれば出来るでしょうに。
国のお金も出ているから、何ひとつ変えられないんだと、のたまう。
道をちょっと曲げたらいいのに→ダメです→なんで?→曲げた道路をまた元に戻すのにお金がかかりますから、、、
このやり取りありましたよね、、、、
あれから3年経ちました、今度の工事で、曲げますよね。
変えれるじゃないですか。
曲げたままでいいんじゃないの?
決めてくれないことが一番つらくて苦しいのですよ。
いつかやります、これは酷。
ずっと書きたかったことを吐き出すように書きました。
嫌な気持ちにさせたかもしれません、ごめんなさいね。
桑名の記録として、残したかった、私の勝手をどうかご容赦下さい。
この長きにわたる桑名駅西土地区画整理事業、
駅に近いところは、もう止まることなく一気に進むでしょう、
これからのことも考えましょう。
いつまでも愚痴ると、良い風が吹きませんからね、
そろそろ前を向いていきましょう
駅の西側に幸あれと、願うばかりです。
桑名の駅西土地区画整理事業について、知りたいことありますか?
ここ数年の間に様々なことを調べたり勉強したりしました。
土地、不動産、相続、贈与、法律、仕組み、などなどのことを一気に知る必要が出ました。
とりあえず、粗大ごみは月に10個までですからね!
不用品の処分は、市の粗大ごみ引き取りが一番お得です、、けれど、無理はいけません。他にも方法がありますからね。
最後のおまけ、税金のことは、税理士さんにしか語れないことがあります。←コレ法律で決まっているんですよ。
それに法的なことを言えば、区画整理事業法という法律もあります。
こんな風に
何から、どこから、どこで、どういうふうに、なにをしたらいいのか、お尋ねには法令に差し支えない程度で返答することはやぶさかではありません。
実際に声がかかると、途端にわからな過ぎて困ることがたくさん出てきますからね。
もう一度、、あなたに幸あれ!
戦後に1度再開発があって、今おこなわれているのは2度目の再開発です。
1度目は華やか賑やかでしたねぇ。
さて、一方で駅の西側、駅裏ともいうかな、こちらは「土地区画整理事業」
戦後からの課題であった駅周辺の都市整備は、東が順調に進むのに、西は行政と住民が折り合わない、反対が大きくて進まないどころか、整備をしない手を付けないという行政が放置しちゃうという異常事態が長く続いたそうです。
これらのゴタゴタを含めた桑名駅周辺の都市整備について語られた資料があります ↓
こちら[都市再開発法制定50周年記念 ~時代を画した再開発事業~]とこちら[住宅施策を考える/日本建築学会東海支部都市計画委員会 住宅部会
第19回部会 「桑名市の中心市街地について」 [2002. 7.19]
新聞資料かな、こちら
これ以外にも反対の理由があって、これは聞いた話ですけど、
西側の整備が反対にあって進まないので、東の開発が先になりました、そうしたら駅前は再開発なので、移転先の土地は100%換地、ところが西側は区画整理なので80%だという、、、ここが反対理由でもあったとのことです。
調べたらわかることなのですが、区画整理は住む人にとって、住む場所がよりよくなる、消防車が入るような道になるとか、そういうことで住民さんに利益があるでしょ、だから土地も皆さん少しずつ出してね、建物の補償もほどほどやでねっていうことなんですよね。
だからなのかなぁ、区画整理事業地に住まいがある世帯、ほぼ動く、玉突きのように動く、80センチだけでも移転するという、どう考えても進まないでしょうという計画になっています。
何が公平か、、当時の計画を立てた人に聞きたいくらい不思議な計画です。 北から順々、みんなが動く区画整理、移転先の人が移転しないと移転出来ないという、しかも広大な土地ですよ、駅の北から馬道までですよ。
当時の声の大きい反対者、自分たちのことだけじゃなく、家族や子の未来を考えてのことだったと思います。
思いましたけれど、なんなんでしょうか、この折り合いがつけられなかった「ツケ」をまともにくらった私たち、そして当時は働き盛り、今は高齢者の方々が今ここに居りますけど、この想いはどこへもぶつけられません、桑名市さんへ愚痴るのみ、どうしようもないのです。もがいても、模索しても、結果はどうしようもないんです。
平成13年に反対者との折り合いがついたのか、わかりませんが計画が出ました。
それから仮換地指定が平成21年ですよ、、、8年ってあまりにも長くてね。
昭和24年からなのか戦後からなのか、とにかく駅の周辺を整備しないとね、桑名の顔だからねってことでの事業計画なんでしょう。
少しずつ空き地が増えていくけれど、新たな道路やら下水やらの工事は進まない見えてこない、ずっと戦後処理ですよね、いまだに終わらない。
それでも、この計画に対して、何かおかしい、とか、何かしてやろうという議員さんも市長さんもいらっしゃらなかったです。
唯一、来て下さった方がいらしゃったのが平成26,27年ごろでした。私が頼んだのに、ごめんなさい、はっきりしなくて。
その後、大きく変化があったなぁと平成28年2月に開かれた「住民への説明会」
ここで、初めて、これまでの「にっちもさっちもいかない事業計画」これにメスを入れました。
桑名市が移転のための仮住まい建設すると言い出したのです、それぞれの住宅の移転は、その移転先が移転して、道路や下水などのインフラを整備してからしか移転が完了しません。
だから進まなかった、そこで、一旦仮住まいをしてもらって、その間に整備するということを計画に足して来たのです。
桑名市が財政難といいながらもこれ以上長引くことよりも、余分を出すことを決断したのです。
当初は現実的ではないという声もありました。
自分ちがそんな小さなアパートに入り切れるのか、引っ越しが2回になる、予算は出るのか、精神的に負担だ、そんな仮住まいについて色々考えられて不安がつきませんでした。
この時に、配られた資料です。
桑名市の資料がこちら
桑名市の計画変更の考えと、具体的な計画日程が書かれていました。
日程については住民の誰も信じませんでしたけどね。
「やるやる詐欺」と言っていました。
私たち住民は、いつ立ち退きを宣告されるのか、ずっと待って待って待ってきました。
今さらこんな非現実的な提案を言われても、信じられませんでした。
そんなこんなで、平成28年のこの時から2年経つと、「三重県に国体が来るんだ!」という理由で駅周辺をこの国体までに整備しようという桑名市長の声がかかったのです。
またこれも、信じていませんでした。
けれど、なんだか進みだしました。
これは、思うに、住民の高齢化が要因でもあるような。
桑名市の計画はかなりの無茶です、それを良しとしない方はたくさんおられました。
人生の生活設計を桑名市に握られているのです。
自分のタイミングで自宅をどうこう出来ないのです、
桑名市は「リフォームとかやっていいんですよ」って言います、言いますけれど、それは補償金には関係ありませんというんですからね。
そうすると待つでしょう、いつ言われるかわからののだから、何度も聞きに行きましたよ「いつ声がかかりますか?」「何年前に言ってもらえますか?」どの答えもはっきりもらえませんでしたからね。
痺れを切らして、リフォームしてしまったお宅、引っ越ししてしまったお宅、子どもたちはそれぞれに住処を別に持ってしまい、住人の高齢化はどんどん進み自治会は崩壊寸前、そろそろ限界となった頃、急に声がかかり出し、声がかかったらあっという間に仮住まいだ移転だ、、、心が追いつきませんよ。
70、80歳過ぎて、90近くなってから、新し家を建てるって考えてみてくださいよ。
もうあと20年、せめて10年早くに声をかけてもらえていたなら、、、
これが今の我々の心情です。
区画整理事業にあたる住民が不満そう、悲しそうなのは、こういう訳があります。
土地は減らされ、再築費用は昭和の保険並みの計算式で出されるから、住まいの建築費用は持ち出し多大。
これを区画整理、桑名市からお金もらって家を新しく出来ていいねぇ、なんて言われることのなんと辛いこと。
こればっかりは、共感を得られない、事業地内の住民だけで共感するしかないこと。
だけどだけど、記録には残したい。
他の人に話せば「あらあらお気の毒」と言われるこの話、
他の人に愚痴れば、「引っ越せばいいじゃない」と、、、そうですね、ごもっともです。
結局、税金が使われるのだから、より苦しいんです私たち、だれも嬉しいなんて言わない、ずっと苦しかったのだから、先の見えない計画に人生の半分以上を振り回されて、
どうかもうこのままで、、、「この事業は止めます」って言ってくれたなら、どんなにうれしかったことでしょう。
何が公平なのか。。。
こんなに空き地が増えているのに、当初の予定は変えられない。
国も県も市も、、行政ってのは、間違えた!とわかったら、ごめんねって、それを止める、変える、これがなんで出来ないのでしょう。
財政が苦しいならば、より予算を使わない方策を考えて、計画を変えないのかね、、、
やれば出来るでしょうに。
国のお金も出ているから、何ひとつ変えられないんだと、のたまう。
道をちょっと曲げたらいいのに→ダメです→なんで?→曲げた道路をまた元に戻すのにお金がかかりますから、、、
このやり取りありましたよね、、、、
あれから3年経ちました、今度の工事で、曲げますよね。
変えれるじゃないですか。
曲げたままでいいんじゃないの?
決めてくれないことが一番つらくて苦しいのですよ。
いつかやります、これは酷。
ずっと書きたかったことを吐き出すように書きました。
嫌な気持ちにさせたかもしれません、ごめんなさいね。
桑名の記録として、残したかった、私の勝手をどうかご容赦下さい。
この長きにわたる桑名駅西土地区画整理事業、
駅に近いところは、もう止まることなく一気に進むでしょう、
これからのことも考えましょう。
いつまでも愚痴ると、良い風が吹きませんからね、
そろそろ前を向いていきましょう
駅の西側に幸あれと、願うばかりです。
桑名の駅西土地区画整理事業について、知りたいことありますか?
ここ数年の間に様々なことを調べたり勉強したりしました。
土地、不動産、相続、贈与、法律、仕組み、などなどのことを一気に知る必要が出ました。
とりあえず、粗大ごみは月に10個までですからね!
不用品の処分は、市の粗大ごみ引き取りが一番お得です、、けれど、無理はいけません。他にも方法がありますからね。
最後のおまけ、税金のことは、税理士さんにしか語れないことがあります。←コレ法律で決まっているんですよ。
それに法的なことを言えば、区画整理事業法という法律もあります。
こんな風に
何から、どこから、どこで、どういうふうに、なにをしたらいいのか、お尋ねには法令に差し支えない程度で返答することはやぶさかではありません。
実際に声がかかると、途端にわからな過ぎて困ることがたくさん出てきますからね。
もう一度、、あなたに幸あれ!