74年前の1945年(昭和20年)8月9日
午前11時02分に長崎に原爆が落とされました
当時、亡くなった方だけで約7万4千人もの人がいたそうです
***以下そこそこ長文です***
記憶の風化が怖いなと、前回の記事に頂いたコメントを見ても思いました
広島市の原爆資料館 は「被爆再現人形」 の撤去を決めたそうです
実際にはこんなものではなかった…という意見もあったということですが
あれは結構インパクトあったし
自分が子供の頃なら、恐怖を伝えるには十分だったんじゃないかなと思う
今後代わりになるようなものがないなら、撤去しないほうがいいように感じます
あと、記憶の風化…で思うのが、
先日、ツイッターで『好きです韓国』というハッシュタグのついたツイートを見かけた時
私はあのタグは素敵だなと思いました
けど、そのタグに批判的だったり、さらにはそのタグをつけて内容は真逆のことを書いてるような人も見かけました
その一つ(それも批判的な内容だったのですが)に賛同のリプがある中で
18歳くらいの子が
「そんな他国に厳しくしないで広い心で包もう」
みたいなリプをつけてました
(※このブログに出てくるツイートの内容は、原文のままではないので私の見え方による多少の歪曲があるかもしれません)
私はそれはとても素敵と思ったんですが、
案の定、何人かの否定的なリプがつき
結局はその子は、自分のリプは間違ってた・・・というような返事をして
自分のリプを消してしまったようでした
彼女のリプに
「これまでされてきたことや歴史を知らないからそんなことが言える」
「ラブアンドピースのティーンエイジャー(揶揄のように私には見えました)」
というようなことが書いてあったのを見て
私は、そう言うことじゃないのに…と思いました
去年のブログだったかに書いたけど、
歴史なんか知らなくても、人として大事なことはわかります
むしろ、若い子たちのほうがわかってると思う
『戦争をしないこと・寛大な心を持つこと・仲良くすること』
歴史をちょっと知ってるからと言って、
知ったような態度で本質を見失っているのは、
だいたい大人の方じゃないかと
(そして戦争を実際にしらない人たち)
そう思うのです
私は、他所の国の言うことを何でも聞け・言いなりになれ、ということを言ってるのではなく
そのリプをした彼女もそんなことはわかってると思います
彼女のいうような大事な部分をわからないまま、
ただ他所の国の事情や・歴史や・考え方・国民性を無視して
批判するようなことが違うのではないかなと私は感じます
歴史は勿論知っておくことは大事で、必要なこととも思いますが
それには、その国の人達を培ってきたものも理解をしようとせねばと思います
(たとえば、国によって独特な精神病があるそうで
それが起こり得るその国の考え方や歴史などです)
日本的な観点・世界的な観点・その国の観点
そういった見方ができて
外交の正しさについては本当に語れるんだと思います
(実際そんな人は存在しえないのではないかとは思いますが)
嫌韓を過剰に表してる人は、裏に別の思惑や思想があったりする団体とかの人も居て
私が危惧するほど多数ではないかもとも思います
でも、あんな風に若い子の意見を否定して
黙らせてしまう様子はとても残念だったし
いいねやリツートも最終的に結構多くついてて
『納得させられやすい(歴史的な関係性とかによる)意見
平和を望むならもっと考えねばいけない意見』
そういうものに流されてしまうのは
私達が戦争を実際に知らない世代だからなのではないかと思いました
記憶の風化により、さらにそういう意見に流されていかないか
とても心配になりました
私の考えも個人的なもので、それが正しいとは言えないのかもと思うと
また色々難しいけど…
でもやっぱり平和が一番なので
余計な争いをせず・賢く日本には立ち回ってほしいです
それが、この日本の強みで個性になってくれたらいいです