embrace:everything

他愛ない日常に
流れゆくものすべてを
あるがままに。

F:FAMILY -THE HYDE-

2012-02-08 00:06:50 | hyde:HYDE
※ご注意

・主観的内容です。本文についてはほとんど触れていません。

おkならどうぞ↓

























この本が出るときいたときに思ったことについては、
『B』の章で触れたとおりで、
そのとき実は、
やっぱりちょっと、「そうか…ついにきたか」っていう思いで。

わたしは彼が好きなので、
彼が、
何を書いたとしても、それを受け入れよう。
と、覚悟を決めたのです。

読むからには、
彼が言いたいと思ったことを受け入れよう、と。


そやから、この章が、
こういう書かれ方やったことには、
1ファンとしてホッとしたっていうのが正直な感想で(笑)

客観的に見ても、
こうであった方がいいと思う。


ここからは全くの余談で脱線。
このブログのタイトルに使わせていただいた、
「embrace」という単語は、
HYDEさんがよく歌詞に使ってはるので、
辞書で調べて、あああ!!って思って、
とても好きな単語になった。


わたしは、
人の気持ちが、「真実かどうか」っていうことって、
結局分からへんと思う。
たとえばよくある話で、
「君が好き!」って言われたって、
その数日後には「ごめんやっぱり違う子のこと好きになってもうた」
ってパターンあるわけでしょ(笑)
「なによ!あん時わたしのこと好きって言うたやん!」
と責めれば、
「そん時は、ほんまに好きやってん。」

これって、
その彼は嘘をついてる?

わたしはきっと「なによ!!うそつき!!」って彼を責めるけど、
彼は、
ほんまにその時はわたしを好きやった、のかも知れへん。
だったら、それは嘘じゃない。

どんな約束も、気持ちを伝えてもらったとしても、
それが本当なんか、嘘なんか。
はたまた本当であっても、永遠にそうであるかどうか、
わたしには、分からへんし、分かる日はきっとこない。

でも、だからって、
この世の全ては陽炎…では、話はなにも建設的にならんし(笑)
じゃあわたしは、何を信じればいいんかなって考えて、

「人が何かをわたしに伝えてくれたときは、
 そのとき、その人が、『そう言ったという事実』を信じよう」
と決めた。
「そのとき、そう言ったということは、そう言いたかったんやろうな」
って思おう、って。

その内容が真実かどうかってことじゃなくて。
その人がそう言うたっていうことは、事実で。
本気で言うたか、嘘やったかは分からんけど、
「そう言いたかった」のも、多分事実やろう、と。

それが、
「embrace」
やと、わたしは思ってるのです。


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