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広島のお好み焼き店が、この5年間で15%も減少したらしい。鉄板の上で踊るキャベツと生地の香ばしい匂いが、少しずつ街から消えつつある。原因は店主の高齢化と、じわじわと上がる原材料費。これだけならまだしも、跡を継ぐ人がなかなか見つからないというのだから、事態はなかなか深刻だ。
「どちらかが倒れたら…」と、37年間お店を営んだ夫婦は静かに語る。「この味は他の人には出せんのよ」。実に広島らしい職人気質の一言だが、それは同時に、この土地ならではの味が失われていくことを意味する。
そもそも、お好み焼きは単なる食事ではない。昼飯にも、飲みのシメにも、家族団らんにもなる。鉄板を囲めば、言葉はいらない。だが、その「鉄板文化」自体が岐路に立たされている。原材料費が高騰し、これまで据え置いてきた価格を上げざるを得ない店も増えている。常連客の「いつもの」が少しずつ変わり、やがて「行きつけの店」がなくなっていく。
とはいえ、広島のお好み焼きが滅びるわけではない。むしろ、今こそ新たな進化のときなのかもしれない。最近では、冷凍お好み焼きのクオリティが向上し、県外でも手軽に広島の味が楽しめるようになってきた。あるいは、伝統的な味にこだわりながらも、働き方改革的な「週休3日制お好み焼き屋」なんてものが登場するかもしれない。
いずれにせよ、「老いと物価高」が広島のソウルフードを直撃しているのは事実だ。しかし、お好み焼きはもともと戦後の混乱期に生まれた庶民の知恵の結晶。この逆境を乗り越え、新たな時代の鉄板文化が生まれる可能性もある。もしかすると、数十年後には「AIが焼いた広島風お好み焼き」が名物になっているかもしれない。そう考えると、この危機もまた、未来への種火なのかもしれない。
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