勝手な奴らにモノ申す!!ボンクラジジィなんかに負けへんで!!!

人でなしのうすらバカのボンクラ糞夫婦にあり得ない文句を言われ、介護から一切、手を引いたけど(--〆)

旅行の話の前に…

2011-07-27 21:21:28 | 病状
旅行の話の前に、ちょっとお出かけする時の話…

アルツハイマーの人とのお出かけは本当に大変

まずは洋服のチェック

下着を着ることを忘れてしまってて、冬はまだ服の生地が厚いから良いのだけど、夏は目のやり場に困る事もしばしば…
後ろ前に着るなんてしょっちゅうで、靴下なんて、紅白で履いてる事なんてのもあり
その為に同じ柄の同じ色の靴下を何種類も買ってあげるのだけど、どこへ消えていくのやら…
応急処置で私のT-シャツも数枚あげたけど、それも何処へ…ってな具合

目に入るはっきりした色のものを着てしまう習性もあり、それも見といてあげないとシミだらけ~でも平気で着ているのです

次はトイレ…

不安になると良くトイレにも行きたがるし、行っても鍵を閉める事が出来ないし、目の前にオーソドックスなトイレットペーパーならいいのだけど、横についてたり、ちょっと違うペーパーホルダーだった日にゃもう解らない
なので、必ずトイレの前で待ってあげる

用を済ませたら今度はトイレの中の確認

流すと言う事を忘れてしまうので、自分が入るふりをして流してあげるのだけど、その時目を離してはいけませんふら~と違う場所に行ってしまう事があるので、すぐ追いかけられる体制で

電車に乗る時の自動改札もどこに入れて良いのかが解らないので隣のレーンに入れて“キンコ~ン”
そこで、私は後ろから行って入る時に“ここに入れるねんで”と手招きをしてあげるものの、タイミングが合わなければ身体を先に入れてしまってまたまた“キンコ~ン”

しょっちゅう行ってた場所なら、変わってなければ何とか古い記憶は残っているので、大丈夫なのだけど初めて行く場所やめったに行かない場所、リニューアルされてしまった場所だと挙動不審になって、ふら~っと違う人について行ってしまったり…
そんなこんなで、病院以外なるべく外出は避けたい気分

それでも、仕事がまだ週2日だった時は月に2回くらいは徒歩圏内にある、おいしいご飯屋さんにランチをしに行ったりしてたのだけど
最近は、疲れもピークになってきて、行く気になれず、デイで月に1回外食の日を設けてくれているので、その外食会とご近所の方が週に1回位カラオケに連れ出してくださるので病院以外のお出かけは甘えさせてもらっています…

この事を踏まえて旅行の話へつづく…


病状の進行状況その2

2011-07-26 19:53:06 | 病状
デイに行き始めてからのお話し…

最初の1ケ月程は、楽しい人が居ててとっても気が合うねんと楽しげに話をしていたのが、1ケ月を過ぎたあたりから雲行きが怪しくなってきて、夕食の時に“良く怒る人が居てて…”と言い出したかと思うと、“デイは行かなあかんのかな”から始まり、“みんな変な人ばっかり”だの“ちょっとみんな普通じゃない”だの挙句“私はなんであんなおかしな人達の居る所に行かされなあかんの私は病気になる”と帰ってからや行く前に大泣きしシャウトし始め、それを説得するのは本当に一苦労

何せ特徴として、進行してくると逆に病気と言う事すら忘れてしまうので“自分はまとも”と思ってなかなか納得しない

“あんたも同じ病気ですがな”と言いたい気持ちをグッとこらえ、穏やかに穏やかに、ゆっくりゆっくりと話をして、何とか山を乗り越えた


そうかと思うと、色々薬を飲んでたと言いだし(と言ってもピンクの下剤だったのですが、義母が買いに来た時に、薬剤師さんが病気の事を解って居て下さるので少々飲みすぎても大丈夫な、整腸剤を渡してくれました)薬は全く管理できないので、最初の頃は毎朝三男が届けに行って飲んでたのだけど、デイに行くと“薬を飲んでないから調子が悪い”だの何だの言っていたので、朝お迎えに来てもらった時に“今日は薬飲みましたか?”と確認してもらうようになったのです

最初の頃は“飲んだと思う”と自分で言ってたのが、ある日三男も毎朝ジジィに色々言われ、持って行くの嫌や~と言うので私がジジィが出て行ったのを見計らって薬を持って行くようになってかれこれ半年、私が持って行き始めてから少し経つと、錠剤をうまく出せなくなり、出してあげる事に…

その後、水は自分で入れて飲んでいたのが、ある事をきっかけに薬を飲むのに水が必要と言う事が解らなくなってきた様子
でも、水を入れてあげると普通に飲んでいたのだけど、ここの所それすらも解らなくなってきている様子
薬を飲んだかどうかを聞かれると“薬???”って感じで、ケアマネさんともこの前の訪問日には、薬止めてもらえるなら止めてもらいたいねって話をしてしまう程

何せまだ65歳なので、3割負担だから病院代が高いのなんのって

そんでもって、もっと大変だったのが歯医者さん
これはもう半年以上前の事だけど、まあ奥の歯が虫歯で、土台が無いから部分入れ歯が一番安いのだけど、病気の事を考えるとと思ったりもしながら、先生と相談し、とりあえず私が管理をすれば何とか大丈夫かと思い通い始めたのだけど、まあ麻酔がかかってるって事も忘れて、歯医者の後“口の中がおかしいねん”と何度も言いにくるし、仮歯は勝手に外すし、それを何度も探して無くす前に何度かは阻止したけど計3回無くすし…

そんなこんなで、部分入れ歯が完成毎日私が夕食後ケースに入れ消毒、朝薬を飲んだ後歯を入れると言うのが日課となり今まで無くさずに持ってるけど、これが無くなったらもう歯医者さんは行かなくても良いかなっってか連れていくのはもう無理だなと日々確信しています

ある事がきっかけで病状が一気に進んだのだけど、そのある事とは病気の事を理解しようとも寄り添ってあげようともしないジジィがこれまた何も解らない周りに言われて旅行に連れて行ってしまった事なのです

この旅行のお話は次回と言う事で…


病状の進行状況その1

2011-07-24 16:09:41 | 病状
これまでの病状が、どのように進行してきたかに少し触れて行きたいと思います

まずは第一段階様子がおかしくなってからデイに通うまでのお話し

最初5年程前に“物忘れ”とやらが始まりました
どこかへ財布を置いてくるや仕事(自営)を手伝っていて言われた事が出来ない等ほんの些細な事で、その頃私たちは一応完全2世帯住宅なので、そんなに絡みもなく、良くわからなかったのですが、正月にジジィが“この人はもうダメなんです仕事できないんです”と言うので、“酷い事言うな”と思っていましたが、その後近くの総合病院にCTを取りに行ったようなのですが、その時に一人で行かせている為何の事やら解らず…
その頃にジジィの名前を書く事が出来ないと書類や回覧板等を持って来はじめました

で少しずつ鬱状態になってきておかしいと思っていた頃に、ご近所のカラオケ仲間の方に声を掛けて頂いて、その方も普通じゃないっておっしゃっていたので、夕食だけでもジジィが居ない時は(ほとんど居てないけど)下で食べるようにしようと言って、そこから一緒に病院に行こうと説得。
一人で病院に行ってから約1年後に認知症専門の脳神経科のある病院へ連れて行く事に

その頃もまだまだ、ただの物忘れ程度の行動だったのだけど、結果は長谷川式問診・CT・MRI・RI・脳血流・脳波その他諸々総合してデーターと照合した結果“中度のアルツハイマー型認知症”と言う事で、アリセプトもいきなり5ミリ
で最初の問診の後の先生との話の時(思ったよりとっても時間がかかったので私はおチビの鍵がないから主人に頼んで先に帰りました)1人で病院に行った時にもらった薬が“アリセプト”だったと言っていたそうで、その時にきちんとしたケアをしていればもう少し進行は緩やかだったのかなぁなんて今更だけど…

そこからは本等で色々と調べていたので、まず色々な手続きを進めて行き介護認定をしてもらう事に。
今は高齢化社会で少々のことでは要介護認定はおりませんよと言われ、最初面接にこちらから行った時は見た目だけの判断では“要支援1・2”って所ですかねと言われ、私としてはとりあえず手続きさえしていればと思っていたので、それは別段問題ないと思っていたのですが、そこから申請にあたって数人の方が今度は訪問されて、色々と面接の時には行わなかったような事をして(身体能力検査や問診等専門的な事)、結果“要介護1”

見た目は普通でも結構な進行状態らしく、すぐにケアが必要と言う事で、ケアマネージャーさんを紹介していただき、まだその頃はいろんな事が理解できていたので、できれば定期的にデイに通ったほうが良いと言われたけれども本人が、迎えに来てもらって行くのは嫌だと言っていたので、ヘルパーさんに1日に昼食時2時間程入ってもらおうと言う事になって、その前に部屋があまりに悲惨で(ゴミ屋敷状態なので)けがをしてもいけないし、これからの特徴を考えると何がどこにあるかを把握していたほうが介護をしやすいと言う事で片付ける事になり、主人が何日も何日もかけてジジィに話をし片付けのOKが出たので、片付けたら(もう冷蔵庫には7年前のソースや得体のしれない物がわんさとあり虫がウジョウジョ)
やっと片付けもあと洗面所と言うところになって、ジジィが飲んで帰ってきて、明るく綺麗になった部屋を見て“もとに戻せ”と大暴れヘルパーさんの話も全て白紙…全て水の泡

そこからケアマネさんに、またアルツハイマーの人専門のグループホームを探していただき、そこはホームの名前の名前の入っていない自家用車でお迎えに来てくれるって事で説得週3回のデイ通いが始まったのでした

なでしこJapanおめでとう!!

2011-07-18 16:33:25 | 病状
なでしこJapan本当に良かったね

決して恵まれた環境ではないのに、よくぞアメリカに勝って優勝できました
澤選手は20歳の時にアメリカに渡り、技術よりも本音をぶつけると言う事を学んだそうです
特に日本人はこの本音を言う事が苦手な人が多いけど、時と場合によっては言うべき事は言う、言わなければ何も伝わらない

“人間言わなければ解らない”これも良く子ども達に言うのですが、
黙っていても解ってくれるだろうと言うのは大きな間違い

言っても解らん奴もたくさんいてるけど、自分の思いや状況はきちんと周りに解ってもらうって事は
特に介護では大切な事
介護は一人ではできない

男連中は、仕事だ何だとあれこれ理由を付けて逃げてるつもりはないかもしれないけど、間違いなく逃げてる

介護鬱や虐待って言うのは、周りに解ってもらえなかったり、
アルツハイマー等は恥ずかしいと思ってご近所に隠していたりして…
最初は誰でも頑張って面倒を見ようと思うのだけど、それが精神的にも肉体的にも疲れ切ってしまって、起こるのでしょう

アルツハイマーって、見かけは本当に普通だし会話も適当にできるし、たまにしか見ない人は“どこが”って思われるし
テレビに出てくるような状況になるまでの大変さは身近に介護をしている人間しか解らないのです
でも本人は言いたい放題だし、気の向くままだし、ストレスがないから病気しないし…

認知症の介護って頑張れば頑張るほどむなしくなるから…

私も何度も何度も体調を崩して熱を出して、精神的にも追い込まれて…
夫婦喧嘩はするは、子どもにあたるは、そんな自分がすごく嫌になるし、情けなくなるし…

これを脱出するには、今の状態を周りに訴え続け、解らない奴はほっといて必ず解ってくれる人たちは出てくるし、やる事しっかりやっていれば、手を貸してくれる人も現れます

恥ずかしいではなく、誰もがいつかかるか解らない病気だと思って、理解をしてもらう事が大切

そして、誰かに“頑張ってるね”って声をかけてもらう事
そうする事ですごく救われるから