私は今でこそ身体が丈夫にはなりましたが、
子供の頃はとにかく病弱で頻繁に風邪になった
りしていました。私には内科のかかりつけの
診療所がありました。そこの先生はとても
優しく私だけでなく近所に住む多くの人から
好かれていました。私もその先生が大好きでした。
医者というよりは近所の優しいおじさんみたいな
感じで接してくれる。病気や身体のことについて
先生から色々と教えてもらったことは今でも
役立っています。
いわゆる昔の街のお医者さんといった感じで
診察台は本とか書類とかが大量でどこになにが
あるか分からない酷い乱雑な状態。加えて先生
本人はヘビースモーカー。もっとも子供の前で
タバコを吸うことはなかったですが。分厚い
黒縁のメガネにボサボサの髪。雑談を交えた
ラフな口調。でも診察は丁寧だし診察結果や
薬のことになると凄く分かりやすく説明して
くれました。あそこに通ってた人々はみんな
先生を心から信頼していました。
ところが私が就職して東京へ上京している間に、
その先生は亡くってしまいます。休みに帰省した
際に親から聞かされて大変ショックでした。
肺がんだったそうです。
さらに私が驚いたのは、先生の肺がんは見つかった
段階ではまだ治療すれば治る可能性があったらしい
のです。しかしがんの治療となると長期になり、
当然自分の診療所を続けることは出来ません。
がんを治療するなら診療所を閉鎖するしか
ありません。ところが先生は究極の選択を
したのです。がんの治療をせず診療所を
続けて患者を診察し続ける方を選択した
のです。
命をかけて最後まで医者としての役目を
果たすことを選択した先生。その選択が
正しかったのか?それは今でも分かり
ません。仮に治療しても、がんが
治った保証は無いのですから。
しかし先生の決断からは強い信念を
感じました。私が東京へ行ってからも
最後まで多くの患者を治した先生。
幼少時からずっとお世話になりっぱなし
だった先生に最後に感謝の言葉を一言
でもいいから言いたかった。本当に今も
そう思っています。先生、ありがとう
ございました。
先生が亡くなった後、当然診療所は閉鎖
されました。すると不思議なことが起き
ました。今までその診療所に通っていた
人達がみんな「これからどこの内科に
行けばいいんだ?」と言うのです。
内科なんて近所にいくらでもありました。
でも、先生を好きだった人達は私も含め
先生が全てで他の医者は考えられなかった
のです。言い方を変えればそれくらい、
みんなから愛された先生でした。
改めて先生、ありがとうございました。
「もっと食べて大きくならんといかんよ」
そう言って私の頭をなでる先生の姿が
今でも眼の前に浮かび涙が出そうになります。