タイトルの通り、ベトナム戦争で難民としてアメリカに渡った母と、アメリカ人の夫との間に生まれたアメリカ人の娘の物語。
ベトナム戦争はアメリカ映画で見たことがあった、というか正直アメリカ映画以外でそれに触れたことがない気がする。
北ベトナムと南ベトナムの戦いだけど、共産主義陣営と資本主義陣営の戦いで、後ろについている国々の代理戦争でもあった、そしてアメリカは撤退した(つまり実質負けた)、くらいの知識。
母のランさんはまだ幼い頃に難民としてアメリカに行って全然違う文化と環境と偏見と差別にさらされながら成長するという、私からすると想像を絶する苦労をされているんだけど、難民の中ではかなりマシなほうらしい。
知人に連れられて飛行機で脱出できているのも、父親の社会的地位がとても高かったからで、特殊なケースだと触れられている。
ベトナムにいた頃に母国語以外にフランス語も身に着けていて、英語は彼女の中で3番目の言語と言われているけど、表現力がすごくて、言葉で伝えることを本当に大事にする人なんだろうなと感じた。(評価できる能力がないけど、多分翻訳の方もすごいんだと思う)
「シャドウ」と表現されるものが、彼女の中の影の部分の比喩ではなくて、おそらく解離性同一性障害(いわゆる多重人格)で本人とは別の人格のことだったと気が付いた時はちょっと衝撃を受けた。
そんな不安定な状態で結婚をして、子供を産んで育てて、旦那さんを看取って、大学教授兼作家になるなんていうことができるんだという驚き。
すごい矮小な話にしてしまうかもしれないけど、自分はとにかくメンタルが安定しないと何もできないと思って、日々とにかくメンタルのバランスをとることかなりの気を使っている。
10代の時にパニック障害で本当に何もできない期間があったせいかもしれないし、精神的な病で他界した身内がいるせいかもしれないけど、メンタルが不安定になる状況が怖くてしょうがないんだよね。
でもランさんはそういえば(書いてないだけかもしれないけど)めちゃくちゃしんどそうな状況の時も「死にたい」みたいなことは言っていないな。
文化的な違いかもしれないし、そもそも人が違うんだから思うことも違って当たり前なんだけど、戦争で亡くなる人も沢山見ている中、そんなことは絶対に言葉に出来なくて、その結果シャドウが生まれたのかなとも思った。ただの勝手な憶測だけど。
今もロシアとウクライナの戦争が続いているけど、国同士の戦争に関しては、正直、誰がどう考えようと平和か戦争かを選べるのは結局一番強い者(国)だけという冷めた気持ちがある。
私は古代ローマ帝国が好きだけど、その繁栄も圧倒的な軍事力を背景にした平和の結果だしね。
近年、アメリカは新しい採掘方法の成功によって石油と天然ガスの大産出国になったけど、もしもエネルギーを他国に頼る必要がある状況のままだったら、ロシアの侵攻をもっと本気で止めていたんじゃないかと思う。
ロシアはアメリカは本気で介入してこないと判断したからこそ開戦を決めたように思える。
(確かバイデン大統領は早い段階で介入しないことを公言したし。)
もちろんアメリカはアメリカ国民のものだから、自国の利益を優先して当たり前だし、自分達がそもそも出来もしないことをしなかったからといって、それを非難するのはフェアじゃないと思ってはいるけど。
図書館で借りた本で、昨日返却済み。
自分とは交わりもしない人生を送る二人の物語は色々と考えさせられることもあったけど、共通点が皆無なので共感や思い入れを持つことまではできず。
多分再読はしないかな。
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