「漫画やアニメの登場人物の感情移入し、二次元の絵や映像に実在を感じる。はたまた実際に出会い触れることはほとんどないアイドルやアーティストの存在に大きな生きる意味を見出す。これらの「推す」という行為は、認知科学では『プロジェクション・サイエンス』と呼ばれる最新の概念で説明ができる。『いま、そこにない』ものに思いを馳せること、そしてそれを他者とも共有できることは人間ならではの『知性』なのだ。」という表紙裏の文に魅かれて購入した本。
「プロジェクションとは作り出した意味、表彰を世界に投射し、物理世界と心理世界に重ね合わせる心の動きを指している」とのこと。
プロジェクションの共有によって人間社会が発展してきたことが事例を挙げて説明されている。
プロジェクションは時と場合によってはビジョンとかイメージとか目標とか表現されるやつかも。
最初の方で「(この本では)その対象をただ受け身的に愛好するだけでは飽き足らず、能動的になにか行動してしまう対象が『推し』である」と書かれていて、その定義でいくと、私の場合「推し」ではなくてただの「ファン」になる時が多いんだけど、だいたいいつも好きなタレントさんがいて楽しく観ている。
(漫画も好きなんだけど、キャラクターにハマるというより設定とかストーリーにハマることが多いから、漫画で「推し」とまで言えるキャラクターは私にはない気がする)
先日、自分よりだいぶ年下で応援したいタレントさんが現れた。
今まであんまり聞かなかったアーティストの歌を聞いたり、TikTok見るようになったりして、新しい世界が広がってすごく楽しかったんだけど、なんとその方が自分がちょっとだけ知ってる方の身内であることがわかった。
そのときに自分でもびっくりするくらい嬉しい気持ちがなくって、なんとなくちょっと熱が冷めちゃったんだよね。
その時にこの本を本屋で見かけて思わず手に取ってしまった。
読んでみて自分の中で納得がいったこと。
この本で「育てているという楽しみ」「ヒトは世話したい」という章があって、そこでタカラジェンヌとかジャニーズのアイドルとかデビュー前から目をつけて成長を見守るという楽しみ方をする人がいると取り上げられていて、たまごっちとかがゲームとして成立するように、人は育てることとか資源をわかちあったり分け与えたりすること自体が喜びになると書かれている。
私のそのタレントさんに対する思いは多分これだったんだ。
なんとなく「素敵!かっこいい!!」というより「頑張って!」とか「努力が実ってよかったね」という気持ちで見ていた。
ここからはこの本とは別に私個人の推しに対する感じ方なんだけど、私としては自分の生活圏でタレントさんと出会うような生活をしていないし、実はそんなに会いたいとも思っていない。
ホントにちょっとだけど自分の生活圏に繋がりがあることがわかった途端、「人の身内をこんなテンションで応援している場合かな、自分」っていうとても現実的な考えが頭に浮かんで、何も考えずに楽しめなくなってしまった。
2次元と同じくらい壁があって、そういうコンテンツとして存在するからこそ、安心して感情移入できる。
例えば私がお隣の家の子に突然強い気持ちを向けて応援し始めて、しょっちゅう見てたら、言葉は悪いけど気持ち悪いと思うんだよね。距離感がおかしい感じ。
赤の他人に思い入れを持つのは、ただの人ではなくてその人自体が商業的なコンテンツとして存在するからこそ許されるというか。
本来は育てたい気持ちはプライスレスでお金を介さないで人間関係を築かないと(子供を産むとか近い身内を可愛がるとか)消化できない感情だったと思うんだけど、消費活動で代替できるあたりすっごく資本主義的だなと思った。
育てたい気持ちだけでなく、恋愛に近い感情をタレントさんに抱くこともあると思うんだけど、私は「性的な魅力をまったく感じないんだったらすごく好きでもカテゴリーは友情じゃないか」と思う派だから、ファンのほとんどが異性で疑似恋愛を提供しているアイドルは、キャラクターとかで程度の差はあっても自分の性的な魅了を売っている部分があると思うので、老婆心ながらあんまり低年齢化することに心配を感じてしまう。
育てたい気持ち的なことを考えたら幼いほうがいいのかもしれないけど、最近の騒動もあるし。
あと自分をコンテンツ化するのは向いてない人にはシンドイだろうから、その部分でもある程度分別がついてからやりたいかどうかを考えたほうがいいんじゃないかと思ってしまう。
例えば画家は絵を売っていてそれは目に見えるもの(絵具の付いたカンバス)ではない価値に値段がつくという点ではプロジェクション的だけど、売っている表現(絵)は表出された後は画家本人とは切り離されるものだから、絵が素晴らしければその画家の風貌とか行動とかは(よほど反社会的でない限り)好きかどうかにそれほど影響しなんじゃないかと思う。
でもタレントさんは自分自身がコンテンツだから、見た目やちょっとした行動がコンテンツの価値に深く関係してしまう。
(ほんとに歌唱力とか演技力だけを売っている方もいるかもしれないけど、それプラスキャラクターで人々に愛されることが多いと思う。)
見た面が変わってもイメージと異なる行動をしても応援してくれるファンも勿論いるだろうけど、商業的なコンテンツである以上、消費活動だから、より魅力を感じるコンテンツがあればそっちに移るのは当り前の行動でもある。
コンテンツだから「好きじゃない」という評価をする人も勿論いると思う。
自分はメンドくさいから、好きじゃないものに対しては黙って何も言及しないけど、コンテンツ・作品として世の中に提供されるものに対してネガティブな感想を言ってはいけないというのは、言論の自由・表現の自由という観点から無理だと思う。
もちろん人格を否定するような言葉とか脅迫するようなことを言うのは論外だけど。
昔は子役の将来を心配する人とか「うるさい大人だなー」と思っていたけど気持ちがわかるようになってきてしまった。
私も年を取った‥。
別の話だけど、私が大河ドラマの「どうする?家康」をつまらないとは思っていないのになぜかあまりハマれないのは、私の中の徳川家康のプロジェクションと一致しなくて、プロジェクションの共有ができないからなんだなと思った。
「解釈違い」っていう言葉がある通り、オタクにとって解釈(プロジェクションを共有できるか)は本当に肝!