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リートリンの覚書

エマニュエル・スウェーデンボルグ 科学者・神学者・神秘主義思想家である彼を調べてみた

エマニュエル・スウェーデンボルグ

Emanuel Swedenborgは、
スウェーデン出身の
科学者・神学者・神秘主義思想家です。
多くはスウェーデンボルグと
表記されています。

生きながら霊界を見て来たという
霊的体験に基づく大量の著述で知られ、
その多くは大英博物館に保管されています。



出典:Wikipedia

生涯

父・イェスペル・スヴェードバリは、
ルーテン教会の牧師であり、
スウェーデンの宮廷に関係していました。

スウェーデン語訳の聖書を
最初に刊行した人物です。
父は牧師と同時に
大学の神学の教授でもありました。

彼は、その9人兄弟の次男として
1688年1月29日に、
スウェーデンの
ストックホルムで生まれました。

彼が8歳の時に
母親(母・サラ・ベーム)が亡くなります。

のち後妻に入った、
義母は鉱山経営者の出身でした。
スウェーデンボルグ家は
裕福なうちに入るといえるでしょう。

スウェーデンボルグは、
11歳のときウプサラ大学に入学。

そして、22歳で大学卒業後、
イギリス、フランス、オランダへ遊学します。
(彼は生涯に11回に及ぶ世界旅行を行っています。)

28歳のときカール12世により
王立鉱山局の監督官になりました。

31歳の時貴族に叙され、
家名をスウェーデンボルグと改姓します。

彼は、数々の発明、研究を行いました。
愛人は居たようですが生涯独身でした。

1745年、
神秘主義的な重要な著作物を
当初匿名で出版すると、
続いて本名で大量に出版しました。

当時のキリスト教会からは異端視され、
異端宣告を受ける直前まで
事態は発展しますが、
王室の庇護により、回避されました。

神秘主義者への転向はあったものの、
その後、国会議員にまでなりました。

スウェーデンボルグは
ずば抜けた天才的科学者でしたが、
55歳頃を境に徐々に
宗教や神学の研究者に転身し、
その過程で霊眼を開き、
独特な神秘主義者となります。

そして、
霊界の探訪者として有名になりました。

彼は後世のさまざまな各界の著名人に
影響をあたえました。

スウェーデンボルグは、
1771年の夏に
イギリス、ロンドンに旅行し、
その地で翌年、
1772年3月29日に亡くなりました。


科学者としてのスウェーデンボルグ

スウェーデンボルグは当時、
ヨーロッパ有数の学者として知られ、
彼が精通した学問は、
数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学
・科学・冶金学・解剖学・生物学・地質学
・自然史学・結晶学などです。

9か国語を自由にこなしたと言われています。

そして、
時代を1世紀も2世紀も超えた発見を
いくつも成し遂げました。

56歳のスウェーデンボルグは
知られる限りの自然科学をマスターすると、
今度は心理学を学びはじめます。

しかし、後半生の約30年間は、
これらの学問を投げ捨て
“霊界生涯”を送りました。


日本におけるスウェーデンボルグ

日本人でスウェーデンボルグ主義に
触れたのは、
森有礼を含む幕末の薩摩藩留学生たちです。
彼らは留学中コミューン、
新生社に参加しました。

帰国後も宗教活動を続けたのは、
明治32年に帰国した、
新井奥邃だけでした。

当時、彼は隠者的生活をしていたため、
スウェーデンボルグ思想は
田中正造を含む、
少数の人々にしか伝わりませんでした。

一方、仏教者の間では、
スウェーデンボルグの名前は
明治20年代から
知られるようになりました。

明治40年代になると、
スウェーデンボルグの著書が翻訳され、
一般の人々にも知られるようになります。



本日よりスウェーデンボルグ、
シリーズ始まります。

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