リートリンの覚書

古事記 上つ巻 現代語訳 四十五 国譲り 天菩比神、復奏せず


古事記 上つ巻 現代語訳 四十五


古事記 上つ巻

国譲り
天菩比神、復奏せず


書き下し文


 是を以ち高御産巣日神・天照大御神また諸神等に問ひたまはく、「葦原中国に遣はせる天菩比神、久しく復奏さず。また何れの神を使はさば吉けむ」ととひたまふ。尓して思金神、答へ白さく、「天津国玉神の子、天若日子を遣はすべし」とまをす。故尓して天之麻迦古弓・天之波波矢を天若日子に賜ひて遣はしき。是に天若日子、其の国に降り到りて、即ち大国主神の女、下照比売を娶ひ、また其の国を獲むと慮ひ、八年に至るまで復奏さず。
 故尓して天照大御神・高御産巣日神、また諸神等に問ひたまはく、「天若日子久しく復奏さず。また曷れの神を遣はして、天若日子が淹留まれる所由を問はむ」ととひたまふ。是に諸神及思金神答へ白さく、「雉、名は鳴女を遣はすべし」とまをす。時に、詔りたまひけはく、「汝行きて天若日子に問はむ状は、『汝を葦原中国に使はせる所以は、其の国の荒振る神等を、言趣け和せとぞ。何にか八年に至るまで、復奏さぬ』ととへ」とのりたまふ。


現代語訳


 これをもって、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、また諸神等に問いになられ、「葦原中国に遣わせた天菩比神(あめのほひのかみ)は、久しく復奏せず。また何れの神を使わせ吉(よ)からむ」と問われました。しかして、思金神(おもいかねのかみ)が、答え申すには、「天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の子、天若日子(あめわかひこ)を遣わすべきです」と言いました。故に、しかして、天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)・天之波波矢(あめのははや)を天若日子に賜いて遣わせました。ここに、天若日子は、その国に降り到って、即ち、大国主神(おおくにぬしのかみ)の女(むすめ)、下照比売(したでるひめ)を娶い、また、その国を獲ようとおもい、八年に至るまで復奏しませんでした。
 故に、しかして、天照大御神・高御産巣日神は、また、諸神等に問いになられて、「天若日子久しく復奏せず。また、いずれの神を遣わして、天若日子が淹留(えんりゅう)する所由(ゆえ)を問えばよいか」とおっしゃられました。ここに、諸神及び思金神は、答えていうことには、「雉、名は鳴女(なきめ)を遣わすべきです」といいました。時に、詔(みことのり)して、「汝、行きて天若日子に問う状(さま)は、『汝を葦原中国に使わせた所以(ゆえ)は、その国の荒振る神等を、言趣(ことむ)け和(やは)せとぞ。何にか八年に至るまで、復奏せぬのか』と問え」とおっしゃられました。



・淹留(えんりゅう)
長い間滞在すること。そのまま同じ所にとどまること
・言趣(ことむ)け
かけた言葉に相手がこちらを向くことから服従させる意


現代語訳(ゆる~っと訳)


 これによって、
高御産巣日神と天照大御神は、
また諸神等に、

「葦原中国に派遣した天菩比神は、
長い間、報告もしてきません。

また、
いずれの神を派遣したらよいでしょうか?」
と問いました。

そこで、思金神が、答えて、
「天津国玉神の子、
天若日子を派遣するべきです」
と言いました。

こういうわけで、
天之麻迦古弓と天之波波矢を
天若日子に与えて、
葦原中国へ派遣しました。

ここに、
天若日子は、
その国に降り着くと、

すぐに、
大国主神の娘、下照比売と結婚し、

また、
その国を自分のものにしようと企てて、
八年経っても報告しませんでした。

 こういうわけで、
天照大御神と高御産巣日神は、
また、諸神等に、

「天若日子が、
長い間、報告してきません。

また、
いずれの神を派遣して、
天若日子が長い間滞在する、
理由を問えばよいでしょうか?」
と問いました。

ここに、
諸神と思金神は、答えて、
「雉、名は鳴女を派遣すべきです」
といいました。

鳴女を派遣する時に、
詔(みことのり)して、

「お前は、
葦原中国に行き、
天若日子に状況を問いなさい。

『おまえを葦原中国に派遣したわけは、
その国の荒振る神等を、
服従させ平定するためです。

どうして八年経っても、
報告してこないのですか?』
と問いただすように」
といいました。



続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。



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