リートリンの覚書

古事記 中つ巻 現代語訳 三十五 腰裳を服る少女の歌


古事記 中つ巻 現代語訳 三十五


古事記 中つ巻

腰裳を服る少女の歌


書き下し文


 また此の御世に、大毘古命は高志道に遣はし、其の子建沼河別命は、東の方十二道に遣はして、其のまつろはぬ人等を和平さしむ。また日子坐王は、旦波国に遣はして、玖賀耳之御笠、 此は人の名ぞ を殺さしめたまふ。
 故大毘古命、高志国に罷り往く時に、腰裳服る少女、山代の幣羅坂に立ちて、歌ひて曰く、 

御真木入日子はや
御真木入日子はや
己が緒を 盗み殺せむと
後つ戸よ い行き違ひ
前つ戸よ い行き違ひ
窺はく 知らにと
御真木入日子はや

 是に大毘古命、恠しと思ひ、馬を返し、其の少女を問ひて曰く、「汝が謂ひし言は何の言ぞ」といふ。尓して少女答へて曰く、「吾は言ふこと无し。ただ歌詠み為つらくのみ」といふ。其の如く所も見えずして忽ちに失せぬ。故大毘古命、更に還り参上り、天皇に請す時に、天皇答へて詔りたまはく、「此は山代国に在る我が庶兄 建波邇安王、邪き心を起こせる表と為るのみ。伯父、軍を興し、行くべし」とのりたふ。丸邇臣の祖日子国夫玖命を副へて遣はす時に、丸邇坂に忌瓮を居ゑて、罷り往く。


現代語訳


 また、この御世に、大毘古命(おおびこのみこと)を高志道(こしのみち)に遣わし、その子・建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)を、東(あづま)の方(かた)十二道(とあまりふたみち)に遣わして、そのまつろはぬ人等を和平(ことむけやは)しました。また日子坐王を、丹波国(たんばのくに)に遣わして、玖賀耳之御笠 ( くがみみのみかさ ) を これは人の名です 殺させました。
 故、大毘古命が、高志国に罷(まか)り往く時に、腰裳(こしも)を服(き)た少女(おとめ)が、山代の幣羅坂(へらさか)に立ちて、歌いて、いうことには、 

御真木入日子はや
御真木入日子はや
己が緒を 盗み殺せむと
後つ戸よ い行き違ひ
前つ戸よ い行き違ひ
窺はく 知らにと
御真木入日子はや

 ここに、大毘古命は、恠(あや)しと思い、馬を返し、その少女に問いて、いうことには、「汝が謂いし言(こと)は、何の言だ」といいました。尓して、少女が答えて、いうことには、「吾は、言うこと无(な)し。ただ、歌を詠み為(し)つらくのみ」といいました。その如(ゆ)く所も見ないまま忽ちに失せました。故に、大毘古命は、更に還り参上(まいのぼ)り、天皇に請(もう)す時に、天皇は、答えて詔りして、「これは、山代国に在る、我が庶兄・建波邇安王(たけはにやすのみこ)が、邪(きたな)き心を起こしている表(しるし)と為(す)るのみ。伯父、軍(いくさ)を興(おこ)し、行くべし」と仰せになられました。丸邇臣(わにのおみ)の祖(おや)・日子国夫玖命(ひこくにぶくのみこと)を副(そ)えて遣わす時に、丸邇坂(わにさか)に忌瓮(いわいべ)を居(す)えて、罷(まか)り往きました。



・高志道(こしのみち)
北陸への道
・東(あづま)の方(かた)十二道(とあまりふたみち)
大和からみた東方諸国
・まつろはぬ人
従わない、帰順しない人
・丹波国(たんばのくに)
京都府北部地域
・腰裳(こしも)
上代の女性の衣服の一。腰の辺りを覆う短い裳
・幣羅坂(へらさか)
京都府木津川市の坂とする解釈が通説
・丸邇坂(わにさか)
現在の奈良県天理市和爾町あたりの坂とされる
・忌瓮(いわいべ)
神に供えるための神酒(みき)を入れる神聖な容器


現代語訳(ゆる~っと訳)


 また、この崇神天皇の御世に、大毘古命を越国に派遣し、その子・建沼河別命を、東方の12の国に派遣して、従わない者たちを服従させました。

また日子坐王を、丹波国派遣して、玖賀耳之御笠を これは人の名です 殺させました。

 その大毘古命が、命じられて高志国に行く時に、腰に短い裳を着けた少女が、山代の幣羅坂に立っていて、歌って、 

御真木入日子よ
御真木入日子よ
自分の命を ひそかに殺そうと
後ろの戸から すれ違い
前の戸から すれ違い
たくらんでいるというのに 知らないで
御真木入日子よ

 この歌を聞いた、大毘古命は、不思議なことと思い、馬を引き返し、その少女に問いて、

「お前が言った言葉は、どういう意味か?」といいました。

すると、少女が答えて、
「私は、何も申しておりません。ただ、歌を歌っただけです」といいました。

すると、どこへ行くのかも見ないままに、たちまち消え失せました。

こういうわけで、大毘古命は、もう一度都に戻り、参上して、このことを天皇に申し上げる時に、天皇が、答えて

「これは、山代国にいる、我が異母兄・建波邇安王が、野心を起こしたことを表すしるしに違いない。伯父よ、軍を動かし、討ちに行ってください」といいました。

丸邇臣の祖先・日子国夫玖命を副将軍として派遣した時に、丸邇坂に神聖な容器を据えて、神を祭り、出かけて行きました。



続きます。

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