古事記 中つ巻 現代語訳 三十四
古事記 中つ巻
三輪の由来
書き下し文
此の意富多々泥古と謂ふ人を、神の子と知れる所以は、上に云へる活玉依毘売、其の容姿端正し。是に壮夫有り。其の形姿威儀時に比無し。夜半の時に儵忽ちに到来たれり。故相感で共婚し、供住める間、いまだ幾時も経ぬに、其の美人妊身みぬ。尓して父母、其の妊身める事を恠しび、其の女を問ひて曰く、「汝は自づから妊めり。夫无きに何の由にか妊身める」ととふ。答へて曰はく、「麗美しき壮夫有り、其の姓名を知らず。夕毎に到来たり住める間に、自づから懐妊みぬ」といふ。是を以ち其の父母、其の人を知らむと欲ひて、其の女に誨へて曰く、「赤土を以ち床の前に散らし、へその紡麻を針に貫き、其の衣の襴に刺せ」といふ。故教への如くして、旦時に見れば、針に著けし麻は、戸の鉤穴より控き通りて出で、ただ遺れる麻は、三勾のみ。尓して鉤穴より出でし状を知りて、糸のまにまに尋ね行けば、美和山に至りて、神の社に留まりぬ。故其の神の子と知りぬ。故其の麻の三勾遺れるに因りて、其地に名づけて美和と謂ふなり 此の意富多々泥古は、神君、鴨君の祖。
現代語訳
この意富多多泥古(おおたたねこ)と謂う人を、神の子と知れる所以(ゆえ)は、上に云える活玉依毘売( いくたまよりひめ)は、その容姿端正(かたちきらぎら)していました。ここに壮夫(おとこ)が有りました。その形姿威儀(かたちよそほひ)時に比無(たぐひ)なしでした。夜半(よなか)の時に儵忽(たちま)ちに到来(き)ました。故、相感(あひめ)で共婚(まぐはひ)し、供住(す)める間、いまだ幾時(いくばく)も経っていないのに、その美人(おとめ)が妊身(はら)みました。
尓して、父母、その妊身んだ事を恠(あや)しみ、その女(むすめ)を問いて、いうことには、「汝は、自づから妊(は)らんだのか。夫无(な)しに何の由(ゆえ)にか、妊身(はら)んだのか」と問いました。答えて、いうことには、「麗美(うるわ)しき、壮夫(おとこ)が有り、その姓名(かばねな)を知りません。夕毎(よごと)に到来たり住んでいる間に、自づから懐妊みました」といいました。是を以ち、その父母は、その人を知りたいと欲(おも)い、その女に誨(おし)えて、いうことには、「赤土(はに)を以ち、床(とこ)の前に散らし、へその紡麻(うみを)を針に貫(ぬ)き、その衣の襴(すそ)に刺せ」といいました。故に、教えの如くして、旦時(あした)に見たところ、針に著けた麻(を)は、戸の鉤穴(かぎあな)より控(ひ)き通りて出で、ただ遺(のこ)れる麻は、三勾(みわ)のみでした。尓して、鉤穴より出た状(さま)を知り、糸のまにまに尋ねて行ったところ、美和山に至り、神の社で留まりました。故に、その神の子と知りました。故に、その麻の三勾遺れることに因りて、其地(そこ)を名づけて、美和と謂いいます。この意富多々泥古は、神君(みわのきみ)、鴨君(かものきみ)の祖(おや)です。
・へそ(綜麻)
(「へ」は動詞「綜へる」の連用形から。「そ」は「麻」)紡いだ糸を環状に幾重にも巻いたもの。おだま。おだまき。
・紡麻(うみを)
紡(つむ)いだ麻糸。麻や苧(からむし)の茎を水にひたし、蒸してあら皮を取り、その細く裂いた繊維を長くより合わせて作った糸
・三勾(みわ)
糸巻に三巻き分
現代語訳(ゆる~っと訳)
この意富多多泥古という人が、神の子であると知ったわけは、以下のようなことによります。
先に述べた、活玉依毘売は、その容姿が端麗でした。
そこに、壮年の男性がいました。その容貌と整った身なりは、当時、比較するものが無いほどでした。
その男性が、夜中に忽然とやってきました。
そこで、その男性と活玉依毘売は愛情を通わせ、結ばれました。一緒の時を過ごす間に、まだわずかしか経っていないのに、その乙女は妊娠しました。
そこで、父母は、娘が妊娠したことを不思議に思い、その娘に問いただして、
「お前は、自然に妊娠した。夫もいないのに、どうして妊娠したのか?」といいました。
娘は答えて、
「姿が整っていて美しい、壮年の男性が来たのです。その名前も知りません。夜毎やって来て、一緒に過ごしている間に、おのずと妊娠したのです」といいました。
こういうわけで、娘の両親は、その男性が誰なのかを知りたいと思い、その娘に教えて、
「赤土を、寝床の前に散らし、糸巻きに紡いだ麻糸を針の穴に通し、男性の衣のすそに刺しなさい」といいました。
こういうわけで、娘は両親の教え通りにして、朝なって見たところ、針に着けた麻糸は、戸の鍵穴を通り抜け出て、残った麻糸は、糸巻に三巻き分のみでした。
このように、男性が鍵穴より出ていったありさまを知り、糸をたどって行ったところ、三輪山に至って、神の社で止まりました。
こういうわけで、娘の腹の中の子は、この社の大物主神の子と知ったのです。
こういうわけで、その麻糸が三巻残っていたことから、そこを名づけて、美和といいます。
この意富多々泥古は、神君、鴨君の祖先です。
続きます。
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ありがとうございました。
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