古事記 中つ巻 現代語訳 五十一
古事記 中つ巻
景行天皇
書き下し文
大帯日子淤斯呂和気天皇、纏向之日代宮に坐して、天の下治らしめしき。此の天皇、吉備臣等が祖、若建吉備津日子の女、名は針間之伊那毘大郎女に娶ひて、生みませる御子、櫛角別王、次に大碓命、次に小碓命、亦の名は倭男具那命、次に倭根子命、次に神櫛王。五柱。 また八尺入日命の女、八尺之入日売命に娶ひて、生みませる御子、若帯日子命、次に五百木之入日子命、次に押別命、次に五百木之入日売命。また妾の子、豊戸別王、次に沼代郎女。また妾の子、沼名木郎女、次に香余理比売命、次に若木之入日子王、次に吉備之兄日子王、次に高木比売命、次に弟比売命、また日向之美波迦斯毘売を娶して生みましし御子、豊国別王。また伊那毘能大郎女の弟、伊那毘能若郎女に娶ひて、生みませる御子、真若王、次に日子人之大兄王。また倭建命の曽孫、名は須売伊呂大中日子王の女、訶具漏比売に娶ひて、生みませる御子、大枝王。
現代語訳
大帯日子淤斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)は、纏向之日代宮(まきむくのひしろのみや)に坐(いま)して、天の下を治(し)らしめました。この天皇は、吉備臣(きびのおみ)等が祖(おや)、若建吉備津日子(わかたけきびつひこ)の女(むすめ)、名は針間之伊那毘大郎女(はりまのいなびのおおいらつめ)を娶(めと)いて、お生まれになられた御子は、櫛角別王 (くしつのわけのみこ)、次に大碓命(おおうすのみこと)、次に小碓命(おうすのみこと)、またの名は倭男具那命(やまとおぐなのみこと)、次に倭根子命 (やまとねこのみこと)、次に神櫛王(かみくしのみこ)。五柱。 また八尺入日命(やさかのいりひこのみこと)の女、八尺之入日売命(やさかのいりひめのみこと)を娶いて、お生まれになられた御子は、若帯日子命(わかたらしひこのみこと)、次に五百木之入日子命(いほきのいりひこのみこと)、次に押別命(おしわけのみこと)、次に五百木之入日売命(いほきのいりひめのみこと)。また妾(みめ)の子、豊戸別王(とよとわけのみこ)、次に沼代郎女(ぬしろのいらつめ)。また妾の子、沼名木郎女 (ぬなきのいらつめ)、次に香余理比売命(かよりひめのみこと)、次に若木之入日子王(わかきのいりひこのみこ)、次に吉備之兄日子王(きびのえひこのみこ)、次に高木比売命 (たかきひめのみこと)、次に弟比売命(おとひめのみこと)、また日向之美波迦斯毘売(ひむかのみはかしびめ)を娶いて、お生まれになられた御子は、豊国別王(とよくにわけのみこ)。また伊那毘能大郎女(いなびのおおいらつめ)の弟(おと)、伊那毘能若郎女(いなびのわかいらつめ)を娶いて、お生まれになられた御子は、真若王(まわかのみこ)、次に日子人之大兄王(ひこひとのおおえのみこ)。また倭建命(やまとたけのみこと)の曽孫(ひひこ)、名は須売伊呂大中日子王(すめいろおおなかひこのみこ)の女、訶具漏比売(かぐろひめ)を娶いて、お生まれになられた御子は、大枝王(おおえのみこ)。
・纏向之日代宮(まきむくのひしろのみや)
伝承地・奈良県桜井市穴師
・妾(みめ)
氏名不詳の妾。妻
現代語訳(ゆる~っと訳)
大帯日子淤斯呂和気天皇は、纏向之日代宮においでになられ、天下を統治しました。
この天皇は、吉備臣たちの祖先の、若建吉備津日子の娘、名前は針間之伊那毘大郎女と結婚して、お生まれになられた御子は、櫛角別王、次に大碓命、次に小碓命、またの名は倭男具那命、次に倭根子命、次に神櫛王。5人。
また、八尺入日命の娘、八尺之入日売命と結婚して、お生まれになられた御子は、若帯日子命、次に五百木之入日子命、次に押別命、次に五百木之入日売命。
また、妻の子、豊戸別王、次に沼代郎女。
また、別の妻の子、沼名木郎女、次に香余理比売命、次に若木之入日子王、次に吉備之兄日子王、次に高木比売命、次に弟比売命、
また、日向之美波迦斯毘売と結婚して、お生まれになられた御子は、豊国別王。
また、伊那毘能大郎女の妹、伊那毘能若郎女と結婚して、お生まれになられた御子は、真若王、次に日子人之大兄王。
また、倭建命のひ孫、名前は須売伊呂大中日子王の娘、訶具漏比売と結婚して、お生まれになられた御子は、大枝王。
続きます。
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ありがとうございました。
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