リートリンの覚書

古事記 中つ巻 現代語訳 四十七 本牟智和気御子、言葉を話す


古事記 中つ巻 現代語訳 四十七


古事記 中つ巻

本牟智和気御子、言葉を話す


書き下し文


 故出雲に到り、大神を拝み訖へ、還り上る時に、肥河の中に黒き樔橋を作り、仮宮を仕へ奉りて、坐せつ。尓して出雲国造の祖、名は岐比佐都美、青葉の山を餝りて、其の河下に立て、大御食献らむとする時に、其の御子詔りたまはく、「是の河下に青葉の山の如きは、山と見えて山に非ず。もし出雲の石くまの曽宮に坐す葦原色許男大神を以ちいつく祝が大庭か」と問ひ賜ふ。尓して御供に遣はさえし王等、聞き歓び見喜びて、御子は檳榔之長穂宮に坐せて、駅使を貢上る。


現代語訳


 故、出雲(いづも)に到り、大神を拝み訖(お)え、還(かえ)り上(のぼ)る時に、肥河(ひのかわ)の中に黒き樔橋(すばし)を作り、仮宮(かりみや)をお仕えして、坐(いま)した。尓して、出雲国造(いずものくにのみやつこ)の祖(おや)、名は岐比佐都美(きひさつみ)が、青葉の山を餝(かざ)り、その河下(かわしも)に立て、大御食(おおみけ)を献(たてまつ)る時に、その御子が仰せになり、「この河下に青葉の山の如きは、山と見えて山に非(あら)ず。もし出雲の石くまの曽宮(そのみや)に坐(いま)す葦原色許男大神(あしはらしこおのおおかみ)を以ちいつく祝(はふり)が大庭(おおにわ)か」と問いになられました。尓して、御供(みとも)に遣わし王等は、聞き歓び、見て喜びて、御子は檳榔(あじまさ)の長穂宮(ながほのみや)に坐(いま)せて、駅使(はゆまづかい)を貢上(たてまつ)りました。



・肥河(ひのかわ)
斐伊川(ひいかわ)島根県東部および鳥取県西部を流れる一級水系斐伊川の本流
・樔橋(すばし)
皮付きの木をスノコ状に並べた橋
・仮宮(かりみや)
天皇の行幸などの際、仮にその地に設けられる宮居。 行在所(あんざいしょ)
・大御食(おおみけ)
天皇の食べる食物。おおみあえ
いつく (斎く)
大切に祭っている
祝(はふり)
神を祭る所。また、人。
・檳榔(あじまさ)
太平洋・アジアおよび東アフリカの一部で見られるヤシ科の植物
・駅使(はゆまづかい)
早馬の使者


現代語訳(ゆる~ッと訳)


 こうして、出雲に到着して、大神の参拝を終えて、都に帰る時に、斐伊川の中に、黒い皮付きの木をスノコ状に並べた橋を作り、仮宮を造り、本牟智和気御子が滞在しました。

そこに、出雲国造の祖先である、名前は岐比佐都美が、青葉の山の飾り物を作り、斐伊川の下流に立てて、お食事を献上する時に、その御子が、

「この川下に青葉の山のように見えるのは、山と見えて、山ではない。もしかしたら、出雲の石くまの曽宮に鎮座している、葦原色許男大神を祀っている祭場ではないか?」と問いました。

そこで、お供に派遣された王たちは、御子の言葉を聞き歓び、見て喜んで、御子は檳榔の長穂宮に滞在していただき、この知らせの早馬の使者を天皇の差し上げました。



続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。







ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「古事記・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事