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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第5景「両ごく回向院元柳橋」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景
第5景「両ごく回向院元柳橋」

 
描かれた場所は東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺院、回向院です。

画面左の櫓は相撲興行のために回向院境内に組まれたもので、櫓から出ているのは梵天です。

白地の梵天が掲げられているので、この日は快晴興行とわかります。櫓の上には太鼓の胴が見えます。

対岸の橋は薬研掘(やげん)に架かる元柳橋(古名、難波橋)で、隅田川には荷船、屋形船、筏に猪牙船が行き交っています。遠くに富士山が見えます。
 

回向院


回向院は東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺院です。

現在の回向院・正門

明暦三年(1657)、江戸史上最悪の惨事となった明暦大火(俗に振袖火事)が起こり、犠牲者は十万人以上、未曽有の大惨事となりました。遺体の多くが身元不明、引き取り手のない有様でした。そこで四代将軍徳川家綱は、こうした遺体を葬るため、ここ本所両国の地に「無縁塚」を築き、その菩提を永代のわたり弔うように念仏堂が建立されました。
有縁・無縁、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念のもと「諸宗山無縁寺回向院」と名付けられ、後に安政大地震、関東大震災、東京大空襲などの様々な天変地異・人災による被災者、海難事故による溺死者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されています。
掲示板より引用


 
描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。

描かれた場所は回向院の正門付近です。

回向院正門跡

回向院正門跡
回向院の正門は、かつてこの位置にありました。回向院の伽藍は東京大空襲で焼失しましたが、戦後、再建され、正門は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。
かつて回向院正門は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりとみることができました。両国橋があたかも回向院参道の一部を成しているかのようで、明暦の大火による焼死者十万人以上を埋葬する回向院の社会的な存在意義を表したものともいえます。
両国橋や回向院正門に至る広小路や元町の賑わいは、北斎画「絵本隅田川両岸一覧(両国納涼)」などに描かれています。
掲示板より引用
 
現在正門跡地は両国幼稚園となっています。
ここ正面跡から描かれた場所を望みたいと思います。



現在の回向院正門跡地・周辺の様子

はい、描かれた方角を写真に納めました。建物ばかりですね。川は全く見えません。
 
作品と見比べて見ましょう。

富士山の代わりにマンションが見えますね。櫓の代わりにビル。昔と変わらないのは空だけでしょうか。その空も、電線…
 


最後に

「両ごく回向院元柳橋」をよく見ますと、西の空の山際が赤く染まっています。時刻は夕方でしょうか?

その日の相撲の取り組みが全て終わり、自宅へ帰る観客の目線で描かれた作品でしょうか。

親しい人と本日の取り組みをアレコレ熱く語り合っている姿が思い浮かびます。

その表情は皆明るく生き生きとした笑顔をしていたのではないでしょうか。心がホッとするいい作品です。

おまけ
回向院にいた猫ちゃん。近づいても動じない肝の据わった猫ちゃんでした。


御訪問ありがとうございました。

次回に続きます。




参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅

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