ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

<女性を護る>出来ごと.. (母の回想)

2008年08月07日 18時02分20秒 | Weblog
[個人史] 思想 信条 活動 使命 (ミッション)
※ 政治 家族 親子 こども いのち 未来 次世代

精子提供で産まれた子の記事を記した際に、 引用した記事に補足をつける。

<貧婚生活>
安月給の 国鉄職員だった父が、 戦争で亡くなった祖父に代わり 親兄弟の生活も支えていたというのだから 貧乏生活この上ない。

口減らしの為にヨメに出されたという 地方の貧農世帯出身の母 との新婚生活は 狭い屋根裏部屋から始まったと云う。

そこに 私を身ごもったとなれば 「とうて育てられない」 と、 あっさり 「堕胎」 で決心が付いたに違いない。

<堕胎され損ね>
父の指示で (ためらいなく)病院に向かった母は、 「絶対に処置しない」 と頑張る医師の説得でとうとう追い返されてしまったのだ。

その帰り道に待ちかまえていたのが 『暴漢』 である。 (むかしはザラだ)

母本人が不思議そうに話すのは、
「襲われて 『もうダメだ..』と覚悟したとき、 急にその男は 弾かれたように跳び退いて、 土下座して謝まり、 何度も「カンベンしてくれ」 と叫びながら逃げて行った。 『いったいどうしたのか?』 と思った」
と、話すのである。

<産まれる前から..(ダイハード)>
同じ話は 当時父自身も聞いたことだろう。

数年前 私が初めて聞かされたとき 『それは私が護ったな..』 と直感したように、 当時の父も 「恋女房を護った子」 として堕胎を諦めたに違いない。

産まれる前から 九死に一生を得た 私の 歴史だ。

(記)

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