ウソでしょ~と思いながら図書館で借りてきた。そもそも米国では、日本のように40年まじめに働いた人が年金で生活できないことはありえないという。そして米国における65歳以上の高齢者の貧困率は日本よりずっと低い(←まずここで驚く)のに対し、日本では無年金者が約100万人、基礎年金のみの低年金者が約850万人もいるにもかかわらず、生活保護のハードルが高くてなかなか受給できない。
米国では、低所得高齢者に最低限の生活費を保障する補足的保障所得、最低限の食料提供、家賃補助、ほぼ無料の公的医療扶助などのセーフティネットが整っているだけでなく、多くのNPOが低所得高齢者の支援に大きな役割を担っているのだそうだ。そしてそれらのNPOに資金援助しているのが大企業や裕福層の人達である。まさに助け合いの社会だ。
中途半端にお金を持っている中流層にとっては学資ローン、医療費などの負担が大きく厳しい社会かもしれないが、万一下流に転落した高齢者には、こうしたセーフティネットがあり、最後のところで国や州が助けてくれるという安心感をもてるとしている。
日本では、下流老人が頼れるのは生活保護だけであるにもかかわらず、捕捉率は先進国の中で最低レベルにある。しかも日本では公的扶助を受けることに対し偏見や罪悪感を持つ傾向があり、生活保護が低所得高齢者の「セーフティネット」としての役割を果たしていないとしている。生活保護を受給しているのは低所得高齢者のほんの一部でしかなく、生活保護制度の見直しも進めた上で、最低保障年金の仕組みを作ることを提案している。
『おわりに』で筆者が「下流老人のセーフティネットを整えることがすべての高齢者に安心感を与え、結果的に消費の拡大や経済の成長にもつながるのではないか」、「高齢者が不安を感じている限り、貯蓄を消費に回そうとはしないだろうが、その不安を取り除くのは政府の役割ではないだろうか」と述べているが、全くもってそのとおりだと思う。
米国では、低所得高齢者に最低限の生活費を保障する補足的保障所得、最低限の食料提供、家賃補助、ほぼ無料の公的医療扶助などのセーフティネットが整っているだけでなく、多くのNPOが低所得高齢者の支援に大きな役割を担っているのだそうだ。そしてそれらのNPOに資金援助しているのが大企業や裕福層の人達である。まさに助け合いの社会だ。
中途半端にお金を持っている中流層にとっては学資ローン、医療費などの負担が大きく厳しい社会かもしれないが、万一下流に転落した高齢者には、こうしたセーフティネットがあり、最後のところで国や州が助けてくれるという安心感をもてるとしている。
日本では、下流老人が頼れるのは生活保護だけであるにもかかわらず、捕捉率は先進国の中で最低レベルにある。しかも日本では公的扶助を受けることに対し偏見や罪悪感を持つ傾向があり、生活保護が低所得高齢者の「セーフティネット」としての役割を果たしていないとしている。生活保護を受給しているのは低所得高齢者のほんの一部でしかなく、生活保護制度の見直しも進めた上で、最低保障年金の仕組みを作ることを提案している。
『おわりに』で筆者が「下流老人のセーフティネットを整えることがすべての高齢者に安心感を与え、結果的に消費の拡大や経済の成長にもつながるのではないか」、「高齢者が不安を感じている限り、貯蓄を消費に回そうとはしないだろうが、その不安を取り除くのは政府の役割ではないだろうか」と述べているが、全くもってそのとおりだと思う。
日本人は優しいと言われますが、日本人社会はそうではないですね。
昔は”お互い様”精神があったと思いますけど、今はもうジコチューだらけ。
こんな日本人に誰がした!?→日教組のせいだと書いた本がたくさんあった(笑)ほんまかいな
貧困の質が違うのですね。
日本は政治家からして 「自分中心」だからね。やっぱり、まだ封建社会といっしょなんだあ・・・・。
米国って非情な国だと思っていたのですが、この本を読んで間違っていたことを知りました。
スタートが移民の国なので、助け合い精神が根付いているのだろうと思われます。
日本の「自己責任論」は無責任な放置主義ですよね。
高齢者がお金を貯め込んでいると、非難がましく言われますが、みんな国を信用できないからですよ!
なんでそれがわからんのでしょうか、政治家たち。
アメリカやヨーロッパにはノブレスオブリージュの精神があるといいます。
恵まれた人たちはそれを社会に還元する義務があるという考え方ですね。
日本では、貧しいのは自分が悪いからだ、恥ずかしい。
自力ではどうしようもないところで貧困に陥ったとしても自己責任と言われる・・・
培われた文化や考え方の違いでしょうかね。
最後の部分、まったく同感です。