親愛なるバイク仲間の皆さん。
きっとこの連休は、山へ海へと、自由の翼を広げ駆け巡っている方も多いことでしょう。私も、日帰りでしたが浜名湖までのツーリングを楽しんできました。
炎天下でも、やっぱりバイクはいい!
今朝方、同業者であるフリーランスライターさんの訃報を耳にしました。
仕事中ではなく、プライベートなツーリングの最中、事故に遭遇して命を落とされたとの由。
私の知る限り、業界内でも一二を争う慎重派のライディングを実践し、公道ではこれでもかというほど安全運転に徹していた方だっただけに、信じられない思いで胸が一杯です。
事故の詳細はつまびらかではありませんが、今さらながらにバイクライディングの怖さ、事故の恐ろしさを痛感しています。
どんなことにも100%はない。そんな当たり前のことを、日々胸に刻み続けて行かなくてはならない。当たり前の、言い古されたことではありますが、親愛なるバイク仲間の皆さんに、そして自分自身に、改めてそんな思いと祈りとを届けたい気持ちです。
彼への哀悼の誠を込めて。
それでも、やっぱりバイクはいい! ──と言い続けるために。
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現在バイクをお休みしていますが、沼津に戻ったらこれまで以上に気を付けて乗りたいと思います。
お互いに、
自分の友たちにそんな思いをさせぬように
楽しくバイクに乗り続け、
そしていつか笑って隠居したいもの。
ちなみに、
自分のバイク引退予定は2029年5月であります。
想像力のカケラもないような輩でも生き延びる奴は
生き延びるこの現実。
なんだかやるせないです。
それでもとにかく気をつけて、不幸を呼ばない
努力をし続ける。
そういう姿勢がバイクで亡くなった仲間へ向ける
祈りにもなるのかもしれません。
仲間や自分が遭遇すると「まさか」と思う。
バイク歴を重ねるに連れ事故のリアリティは増しているんだけれど
でも一方で「慣れ」という時にやっかいなものも育っていて
結局感覚的にはプラマイゼロになっちゃうんでしょうか。
先日整備士なおさんと安全に走るということを話したばかり。
いつも帰りしなに
「気をつけて乗ってね」と、都度かけられる言葉には
百戦錬磨のなおさんをしてもまだ計り知れない事故のキケンが
どこにでもあるんだからねという重みを感じないではいられません。
お友達に、合掌。
でも、「やっぱりバイクはいい!」って言い続けたいですね。
あ、でも炎天下のツーリングはこりごりです(爆)
こうしてコメントいただけた方も、読んでいただけただけの方も、何かしら考えていただくだけで、きっと故人も喜ぶんじゃないかと思います。
これからも皆でバイクを楽しんでいきましょう!
慎重な運転でも、事故に遭う時は遭いますから(悲)
天才ライダーでGPを走っていたノリックでさえも…と、自分も気をつけるし、色々なライダーに「くれぐれも気を付けて」とコメントや声掛けする様にしています。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
安全運転をしている全ライダー諸氏が相応に安全で
ありますようにと願います。
それと、やはり100%というものはないということを
きちんと認識してバイクに乗りたいと思います。
確かに、いくら慎重に気をつけて運転していても、相手の
不注意で事故に巻き込まれて、ということがあり得ますよね。
ニュース等で、対向車が追い越しするために中央線をはみだして
正面衝突、とか、カーブを曲がりきれずこちら側に飛び出してきて
とか、何でそんな無茶ができるのか、と怒りと同時に悲しく
気持ちでいっぱいになります。
自分でもバイクに乗る機会は少ないですが、車にはほぼ毎日乗る
ことが多く、事故に遭う確率も高くなるわけで、これからはなお
一層気をつけてハンドルを握るようにします。
……と思ったら、一昨日(?)は、またアクアラインでバイクの死亡事故があったようですね。関連する1台は、どうやらかなり有名なバイクチーム(この言葉、凄く嫌いですが)のリーダーだったとの由。こうした事故報道でいつも不満なのは、事故原因等,大抵は「調査中」で、その続報がまったくないことです。
そのため「やっぱりバイクは危ない」とか「どうせ暴走まがいの運転だったのだろう」とか、先入観を膨らませるような憶測ばかりが広がっていきます。事故原因はまったく別のところにあるかもしれないのに、です。
もって他山の石とするためにも、事故の詳細な情報を(係争中であるなどの理由が解けた段階で十分なので)、しっかり示して欲しいと思います。確かに統計情報などの発表はありますが、そこからは一般論としての「安全運転啓蒙」が示されるだけになりがちで、不十分です。
個々の事故についての情報は「なるほど、あの道路、あの時間帯だとこういうことが起きうるんだな」など、具体性ゆえ胸に刻まれやすいと思うんですね。
そうした情報を通じて、一人ひとりのライダー、ドライバーが「自分がこの当事者になってはいけない」という思いを強くしていかなくちゃと強く感じます。