テレビを消しましょう。
テレビから流れ出るものは時代を写すもの。
楽しみを与えてくれるもの、有意な情報を得られるもの、家族で時間を共有できるもの…長い間そうでした。
ですが。
今、テレビに映る映像は人の精神を混乱に落とす情報に満ちています。
人々の不安を煽る発信をし続けています。
遮断してください。
そして自分の内側に目を向けてください。
そもそも人間の本質は精神です。
身体は仮のもの。
本質である私たちの精神は何を選ぶのか。
この世界での経験は私たちの選択のためにあります。
かたちの豊かさを越えたものがある。
本当の生命を感じて生きる。
これが中山みきのメッセージ。
中山家の財産を投げ打ったのはおみき様にとっての荒業そのものでした。
執着を捨て人間の本質に目覚める。
当時のおみき様が追求したものは壮絶でした。
「水を飲めば水の味がする」
この前には、
「世の中には枕元に山のように食べ物を積んでも喉を通らん人がいる。それを思えばわしらは結構や」
という言葉が伝えられている。
『この世界に生きる人間にはさまざまなカルマがあるが、健康にまつわるカルマがもっともつらい。
それに比べたら物への執着のカルマは軽い』
これが真意です。
覚りへの教えだったのです。
とはいえ身体の欲求というものは自然であり、この世界での大事な拠り所。
現代を生きる私たちは無理をしてはいけません。
大事なのは覚りであり、荒業のほうではありません。
迷信や思い込みから脱却することが本当に大切なことです。
実相を追求する姿勢です。
私たちは本質を知覚できない。
私たちの五感は実相を体感できるように出来ていません。
人間の本質は知覚を越えたところにあります。
それを知るための指針としておみき様の姿を観てください。
九十年の生涯は覚りの道に他なりません。
人生には終わりがあります。
いつ終わりが訪れるかはこの世界の誰にもわかりません。
知覚している自分というものは仮の姿です。
何回も生まれ変わりながらこの世界を旅しています。
生まれ変わり出変わり。
この世の生。
限りあるもの。
私たちの本当の幸せとは何か。
それは覚りに到達するということです。
メッセージはいつも彼方から投げかけられています。
私たちはそれをつかめるんです。
私たちの本質は精神生命であり、ひとつだからです。
この世界にはさまざまなことが生じているように見えます。
不安に目を向けるか、本質を見つめるか。
不安を目を向けていてもこの世界の時間を有意義に使えません。
だから本質を見つめる視点を選んで生きましょう。
例外や排除を設けないことです。
この世界はずっと守られています。
私たちはつながっていてひとつであり、永遠に生きる存在です。