夢から覚めましょう。
私たちは長い長い夢を見ていたんです。
もう『貧に落ちきれ』に縛られる必要はありません。
終わったんです。
いつもわたしたちのそばにいる優しくもあり厳しくもある、そんなイメージを持った女性。
おやさまです。
おやさまは自らのハイヤーセルフである親神からメッセージを受け取った人です。
『貧に落ちきれ』
は、中山みきが得たこの世での学びの道のひとつでした。
そしてまた救済のために必要な道でした。
この救済の道は『ひながた』と呼ばれています。
『ひながた』について語ったのは飯降本席です。
まとめると次のようなものです。
「ひながたの道にはいろいろある。ひながた通りの道を通りたことなら、皆ひながた同様の理に運ぶ。まあたった三日や。三日の辛抱さえしたら誰に遠慮もない。ひながたそばにある。めんめんも(それぞれ誰もが)たった三日の辛抱すればひながたの道が(開ける)。」
つまり、
「おやさまが生きた精神の世界に生きよ、それは人生のカタチによってそれぞれである。早ければ三日のガマンで精神の世界が見えてくる。その道は開ける。」
という意味です。
明治22年1月7日に語られたそうです。
いわゆる「おさしづ」です。
ひながたの道は精神世界に目覚める道。
精神に目覚め、心が救われる道。
貧しくならなければ救われないということはないんです。
貧しさに向かうことが救済の道ではないんです。
考えてみると、
「お金があったら申し訳ない」
というような無意識の罪悪感につながるものが人類を救済する真実なわけがありませんよね。
救済は心のレベルで行われる。
物質的なものをあきらめなければ救われないということはありません。
そもそも「あきらめる」という意識は執着を生みます。
執着が生じた心が平和になることはありません。
心の平和をめざすときに何かを断とうとするのは目的地の反対側に向かって走り出すようなものです。
一方で。
この世での豊かさも霊的な悟りとは関係ありません。
たとえば、引き寄せの法則。
宇宙の法則に目覚めると事業が成功したりお金が集まってくるという考えですが、それは悟り、すなわち救済の道とは違います。
心の救済の実現が私たちの人生における真に意義のあること。
でも。
豊かになっていいんです。
楽しい人生でいいんです。
好きなことをしていいんです。
そうして生きる人々のすがたをおやさまは喜びます。
おやさまの教えを『因果応報』と受け取らないほうが幸せになれます。
「今、ここで」
救われる教えだからです。
ちなみに執着から脱するための教えが「かしもの・かりもの」です。
肉体は一時的なものだということです。
この世界は映画、あるいはRPGやシミュレーションゲームのようなものなんですね。
おやさまは高次元の霊である親神の導きに沿って、精神世界の道を開きました。
この世界に生じるように見える全ては「心の現れ」だと悟り、仮の身体を持って生きていると知ることで執着をなくし、精神…すなわち本当の生命に目覚めた生き方を実践した人です。
これが現代的に理解する「中山みきの人類救済」です。
たとえば、
『人助けたら、我が身助かる』
という教え。
これは「攻撃的な考えを放棄せよ」という観点からの実践の道です。
相手を赦す気持ちを持てなければ人助けはできません。
真に人助けできる心なら、平和に近づいているということです。
おやさまの救いの幕開けは、
『をびやゆるし』『ほふそのゆるし』
でした。
どちらも『ゆるし』なのは偶然ではありません。
私たち人類はすでに赦されています。
それを私たちは受け入れる必要があります。
神は私たちを赦している。
私たちは、
「心の成人がにぶい赦されざる存在」
ではありません。
自分が赦されていることを受け入れ、まわりの人のことも同様に赦す。
人を赦すことを通じて自らが赦されていることを受け入れる。
それが、
『人たすけたら、我が身たすかる』
の真実です。
おやさまの人だすけは万人に共通です。
ひながたの道はどのような人も「助け、助かることができる道」です。
全ての原因は心にあり、神は私たちの気づきをすぐに受け取ってくれます。
良かったですね。
どんな境遇にいても救いはあるということなんですから。