人間の救いとは、心に平安が訪れることです。
しかし。
それはカタチあるこの世界において、それは持続されない。
ひととき満足を味わえたとしても。
次の瞬間には違う姿になります。
常に変化する世界だから…少し先を確定することもできない世界だからです。
美しく見えてもこの世界のカタチあるものは朽ちていく。
もしこの世界が真実なら。
人生は小舟に乗って海をいくような険しいものであることになります。
カタチある生命を生き抜いていく、という人生は最後には死という結末にしかなりません。
それならば心に平安が訪れる、ということは無理です。
老いて死ぬというのに安らげるでしょうか。
私たちの真実とはそれしかないのでしょうか。
思いやりとか、楽しかったこととか、充実したこととか。
大切なことを私たちは心で捉えています。
真実はあります。
この時空の宇宙の外にあります。
だから人間は虚しくならずに生きられるのです。
もしこの世界にある、身体やそれにまつわるものが私たちであるとするならば。
絶えず変化にさらされ、望んだかどうかもわからないこの今が真実なら、希望は水面に浮いた一本の藁のようなものだということになってしまいます。
そうではない。
仏典が「色即是空」と教えるように、この世界の本質は実体を持っていません。
時空の宇宙の外に私たちの本質はあるわけです。
本当の安らぎもそうです。
超弦理論という証明するめどが立たない理論があります。
極小のひものようなものがこの世界の最小の存在であるという理論です。
証明されてはいないし、否定的な科学者もいますがこの理論で考えるといろいろなことは整合するようです。
この理論によれば物質としての私たちの真の姿は極小のひもの集まりだと、いうわけです。
一体、わたしたちというのは本当はなんなのでしょうか?
脳を調べても意識がどこにあるかは証明できません。
実体はこの世界にないからです。
物質的にはとらえられないところに真実があるからです。
時空の宇宙を成り立たせているのは『精神の力』
これが信じられるかどうか。
それが人生を本当に生きられるかどうかを左右します。
神の救済は心でなされます。
この世界を越えたところで起こります。
この世界でなされるという考え方を「現世利益」といいます。
病気が治ったり、
悩み事が解決したり、
仕事がうまくいったり、
家内安全であったり、
このようなことを宗教的にいう言葉が現世利益です。
かたちある世界を生きる私たちの願いはかたちのレベルに止まることが常です。
しかし。
カタチある世界のご利益は結果にすぎません。
あくまでも表面的な物事にすぎない。
真の救済は心の救済。
心が反映している世界が全てだからです。
時空を越えた自分が導いてくれます。
それを願うのです。
時空を越えた自分は真の自分。
カタチある世界の身体を持った自分のことではありません。
私たちは本来的にはこの世界には存在していない。
だから本質的には苦しまないのです。
苦しみがない状態とは究極の自己肯定。
その心が生じさせるものが、このカタチある世界の最高のものです。
説き方は違っても、
この世界観を説くのが真実の教え。
世界の真のマスターたちはこれについて教えています。