「なぜこの宇宙ははじまったのか」
これを始まりの問いと言います。
世界の根源を観る視点。
人類は長い歴史を経て、この疑問に対する答えに接近しました。
相対論や量子論は地球上で生きて知覚する範囲では掴み取れない領域を明らかにしています。
私たちが日常使うスマートフォンを始めとするデジタルデバイスにはそうした科学の知見が盛り込まれています。
しかし科学によってあらゆることを解き明かせるわけではなさそうだ、ということもわかってきているそうです。
最先端の量子論はもはや哲学、と言われたりもします。
そうした視点から天理教の文献を改めて見るとどうなるか。
『体系的に教えを学ぶ』という価値観は天理教社会の中では希薄です。
そもそも「天理教の教義の体系とは何か」という話になります。
天理教の教えを客観的にまとめた書物はほとんどありません。
天理教文化と関係のないところに生まれた人が「天理教の教祖の教えとは何か」を学ぼうとしてもそれに応えてくれる書物がないのです。
いわゆる信仰を伝える本はあります。
しかしこれは主観的なもので、価値観を共有する人以外には理解しづらいものです。
『天理教教典』や『稿本天理教教祖伝』は天理教の関係者にとってどれだけ身近な書物なのか?
編纂された当時の時代的価値観が色濃く現代的な解釈無しには読みづらいうえに、
「何かが違う」
と感じさせるものがある。
それらが編纂される前、どのような本が出されていたのでしょうか?
大正時代に出版された本がAmazonの電子書籍になっています。
『天理教おかげばなし』
『天理教教祖実伝』
どちらも大正時代の仮名遣いですし、スキャン本なので通読には根気がいりますが、当時の教えを垣間見ることができます。
それから、
『復元』
というシリーズです。
こちらはApple Booksにあります。
複数の執筆者によって書かれています。
その中で目を引いたのが、山澤為次氏。
天理教の組織の真ん中にいた人のようです。
教祖から直接導きを受けた人を何と呼ぶか?
『高弟』または転じて『教弟』と呼ばれたりしていたそうですが、しっくりこないと呟いています。
人柄がにじんでいます。
この人の書いた本はないのかと検索したところ出てきたのが芹沢光治良です。
生涯をかけて、
「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」
という信念にたどりついた文筆家。
なぜ検索に引っかかるのか。
それは『教祖様』の序章に、山澤氏との心の交流が書かれているからのようです。
話は芹沢氏が山澤氏の訃報に接するところから始まります。
神の世界を描こうとする著者と、神の世界に生き苦悩する信仰者との心の交流の姿。
出会いは神を間に実現した。
胸に迫るエピソードです。
写真右の新潮社から出ている方に収録されています。
残念ながら絶版で古本を探すしかありませんが…
左の善本社からのものは現在も版が重ねられています。
ただしこちらは序章が削られています。
著者の意向ですし、
「教祖の伝記とは関係ない序章はいらない」
と言われたらそうなのでしょうが惜しいです。
本文は神がかりと言われる天保九年以降を中心に描かれます。
『教祖中山みき』の実像に迫る本でこれ以上のものはないと思います。
もう今を逃したら真実を理解することはできないでしょう。
中山みきはどのような人で、何をし、何を伝えたかったのか。
是非あなたの目で確かめてください。