私たちは『人生は一度きり』という幻を見ています。
それは真実ではありません。
カントから始まる不可知論がその考えの根底にあります。
実証主義などもそうです。
超越的な存在を否定し、この生での経験に基づいて検証する立場。
これはマルクスの共産主義思想へとつながっています。
実証主義も共産主義も精神を否定します。
人も物と同じように見ているわけです。
精神をわからないということはそうなります。
共産圏の国で虐殺が頻繁に起こるのはこの思想だからです。
思想犯とみなせば殺しても構わない思想です。
目に見えないものを信じないからそうなるのです。
この世の地獄です。
AIが人間を超えると考える人たちも不可知論の考えの中にいます。
AIは”意味”を理解することができません。
そのAIが人間を超えることはあり得ません。
人間が行える認識の作用を持たない…いえ持てないのですから。
人間の認識作用は精神によって行われています。
精神は視覚的に見えませんが存在します。
それを視覚で捉えられないからといって存在しない物として考えるのが不可知論であり、人間存在の根幹を虚無に落とす考え方です。
精神は人間そのものです。
お葬式のときのなきがらを思い出してください。
そこには、かつて『その人だった』肉体があるはずです。
生命体としての活動が止まったら精神はその場にとどまりません。
なきがらはもうその人が存命だった時とは別の存在になっています。
つまり私たちは精神の実在を目撃した経験があるのです。
脳科学に携わる人は脳のどの部分が人の意識を生み出すか探していますが見つかるはずはありません。
脳が精神を生み出しているのではなく、精神が肉体を人間たらしめているからです。
この世界に人は何度も生まれ変わります。
その証拠に生まれつきの天才というものがあります。
その人はこの世界に何度も生まれてきて、すでに経験を積んできた人です。
ですから若くして誰もなし得ないような偉業を達成したりパフォーマンスを発揮したりするのです。
もし、人間が本当に一度きりの命しかないとしたらそのようなことは説明がつきません。
生まれる前の魂の経験を持って生まれてくるのでそれらが可能なのです。
以前の人生で行っていたことがあり、その人生から見れば今生は来世です。
つまり生命の過去・現在・未来はつながっています。
ですから私たちにも来世があります。
ぜひ視野を広く持ってください。
私たちが行っていることは、いつか必ず結実します。
結果がかえってくるのです。
たとえこの人生であらわれないとしても。
精神の目覚めを目指しましょう。
たった一度の人生ではないんです。
この身体を持った人生は一度きりです。
でもそれは仮想の現実。
この仮想の設定を通して何をするか。
それは経験→気付き→精神の拡張と続く営みです。
これこそが真の意義のあること。
それに気がつかないと苦しみの中に落ちてしまいます。
生老病死から人間の肉体は逃れられないからです。
今さえ良ければいいと思うのはたった一度の人生だと誤って認識しているせいです。
本当の豊かな現実は精神の目覚め。
本当の生きやすさ、
本当の優しさ、
本当の自己実現、
それらはその中にあります。
精神は何度も生まれ変わりこの世に生まれる。
これがこの世の真実の姿です。