泥から咲いた蓮の花

現在、リハビリ中なブログです。長い目で見守ってくだせ~

「うつ」の事

2013-04-08 17:15:18 | どろな話
このワンコがうちにやってきたのが平成19年の夏。確かその年の正月のことだったな。

毎年1月1日午前0時から、新年の安泰を祈願する行事を営んでいる。それが無事に終わり、お客さんも帰った午前2時頃、こたつにはいってテレビをみながらうとうと。目が覚めて、正月だからと、そのままコタツにいたが、実は動けなくなっていた。

「何もする気にならない」

なんて言葉すら頭にうかばない。身体も心も動かないんだね。楽しいことも思い浮かばず、感情が麻痺。手足を自律的に動かすのがものすごく億劫。「ねばならない」という切迫した仕事はなんとかこなせたものの。コタツを引きこもりの砦にして、風呂も入れなかったな。

最初は正月休みだからいいやと踏んでいたが、やはりこれは正常な日常ではないと、自分ではわかる。みかけは屍のようだけど、心の奥底では、烈火のごとくに心配がうすまく。だが、動けない。焦ったよ。でも、周りにはまったくわからないんだよね。

で、何をしてたか。延々とDVD90巻もある「ケロロ軍曹」を繰り返しみていました。来る日も来る日も一日中ね。そこしか頼るものがなかった。「ケロロ軍曹」ほんとにバカらしくて好き。今も、よく寝しなにみてるけどね。

それに触発されたのか、「明日のことは明日にまかせよう」「動けないなら、もう動けないでいいや」と自分の状態を肯定しはじめたんだよね。そのうち、春を迎えて気温もあがってきた頃、寝室ではなく、コタツのある居間のとなりの部屋に布団をしき、そこにたどり着くことができた。

そう。まずはじめたのが、布団にたどり着くということだった。もちろん、たどり着けないこともあったけれど、そのうち初夏になり、コタツもなくなった。ちょうどその頃、友人から「子犬をひきとってくれないか」と連絡がきた。

以来、そんな症状は出なくなった。しかし、今後、出ないとは限らない。今は「また、そうなったら、そうなったで引きこもればいいや」と思っている。そして、きっとまた回復するはず。しかし、ケロロ軍曹とワンコには感謝だ。そして、自分の「もうどうでもいいや。好きにしてくれ」とばかりに、諦めたことが最もよかったと思う。「がんばる」とか「努力する」とかほんと致命傷になるわな。

それまでも、似たような症状は何度もあった。そのたびに必死になんとかしようとあがいたけれど、無駄ではないと思うが、あがいても心の力は浪費されて逆効果。今も、自分は「うつ」を抱えている。暴れていないだけでね。

一つ大切なことは学んだ。この「うつ」は私を困らせようとして出てくるのではなく、守ろうとしてでしゃばってくるということだ。だから、実は敵じゃなくて味方なんだよね。今も、心のすみっこで、ひそかに出しゃばろうと機会をうかがってるはず。本当の課題は「うつ」ではなく、「うつ」が活躍できるような機会を創り出してしまう自分の生き方の癖にあるわけよ。

しくみは簡単。「したいことをしない」「したくないことをする」それがずっと続くと、「うつ」はいつでも、私を守ってくれるというわけだ。「怒りたいのに怒らない」「悲しみたいのに悲しまない」も同じことよ。すべては、自分を慈しまない、気遣わないことから課題は生まれてくるんだな~



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