The wORLD of the wIREwORK

針金で色々作ってます

オルギアへの道

2010年04月10日 | 読書
ああ、ネットがようやく見られるようになった。良かった良かった。
ぷららの意気地なし!

先週の日曜日からネットが不通になり、今日復活しました。
風邪を引いていたので、早く寝られたからまあ問題なしでしたが、休日まで止まっていると非常事態です。
いつものプチ引きこもり生活に支障があっては、いけません。

デフォルト設定で風邪状態、休日はネット弁慶、そんな私。体言止めですよ。

紗綾さんから貴重なコメントを頂いたのに、返すことができませんでしたね。
年下の可愛い人からIPODの購入を勧められたそうですが、いいじゃんいいじゃん、買っちゃえ買っちゃえ\(^o^)/! 
内容がアレなので返信も少し雑ですが、音楽をたくさん聞けるのは良いことだと思いますよ。私みたいに爆音でアニソン聞いているのと、実は音漏れって時に恥ずかしいですけどね。

さて、私は、各営業所まで訪問する仕事をしていますが、先週訪問したお客様に個人で印刷関係をの仕事をされているお客様がいらっしゃいます。
仕事上必要なのか、事務所の蔵書量が半端ないことになっているので、行くたびに本棚を注視していました。

その中に、新潮文庫の星新一が網羅された一角ががあったので、ついつい「本がお好きなんですね」と口にしてしまいました。
普段は本棚から人柄を推測するだけだったのですが、星新一があっては黙ってられねーよ。べらぼーめ! 私の家は三代続けて東京都下に住んでいる二級江戸っ子なので、たまに気が早くて宵越しの金は持ちません。

おお、お客様は睨んだ通り、この方は日本の正しいインテリおじさんでした。分別があって落ち着いているけど、得意分野は語っちゃうタイプ、でした。マルクスとかソシュールとか難しそうな人たちの本を全集で読んでるもんなあ。

曰く、現代の若者は「教養」が足りないそうです。


現代的な意味での「教養」、つまり高尚な知識という意味ではなく、本来の意味である知らないと話が進まない常識、という意味での「教養」だそうです。
議論への参加資格とでも言うんでしょうか。大学の一般教養科目の「教養」ですね。

なるほど、自分の狭隘な知識だけで物事を語っちゃう手合いが増えているようにお客様からは見えるんですね。経験値の少なさを自覚せずに「神、神!」とすぐ言っちゃう輩が増えましたもんね。それは私のことですか。

確かに、知っていれば知っているで得意げにはなりますが、知らないからといって躊躇するような繊細さを、私たちの世代では敢えて美徳にはカウントしていないような気がします。
それどころか、貯めることよりいかに、どのように表現するかに腐心しているようにも思えます。

私は、知識がストック型からフロー型へと変化した結果だと、形態は変わっても質量は保存されたままだと暢気に思ってましたが、乏しい知識で自らの感覚に拠って語ることは、見方によってはエゴイズムの現れとも取れますね。
万人の胸を打つことは、まるででたらめ矢を全て当てるように難しいことです。

教養の意味の変化(どれだけ本来の意味から離れたか)を縦軸に、時間の変化を横軸にすると、右肩下がりなグラフが書けそうですが、これはそのまま、私たちの議論において共有すべき知識を共有すべきと認識している意識の減少を表していると言えましょう。


お客様の話では、昔の大学生は知らないことでも知っていることを装っていたそうです。なんだか今から考えれば肩が凝りそうな話ですが、知的な
キザと考えればそのメンタリティは好ましいもののように思えます。そういう見栄張りは大好きです。

また、議論に対して、「知らなきゃいけない知識」が共有されていたことは、ルールを守って参加するスポーツと一緒で、有意義なものになりえましょう。私たちの世代は、変な相対主義が蔓延して、あいつはあいつ、俺は俺、というルールのみが共有されていてずっと平行線を辿る議論にもならない議論をしがちです。

隠者の倫理とでも言うんでしょうか、そういう私たちのルールは衝突はないけれども、理解も止揚もないものです。それは大切なことですが、同時に限界も考えなければならないものでしょう。


星新一は、私にとって中学時代そのものです。ヒマさえあれば読んでいました。なんといっても内容も量も中学生にも読みやすい。その上、中学特有の読書を楽しめる知的な私、というありきたりな自意識を的確に演出できます。
昔は、星新一から入って筒井康孝、かんべむさし、そして各自自由行動というコースが日本の文学的少年時代の定番でしたが、『ショートショートの世界』なんかの本を読むと違うみたいですね。識星新一率の驚くべき低下に、私なんかは時代を感じます。
これこそ「教養」だと思うんだけどな。

中学生的な過剰な自意識を遠く離れ、今や諦念の塊のような私が、今、星新一を読み返してもやはり面白いと思います。
昔のように全てが面白いってだけではなく、駄作もあるし、星新一独特の文体も発見して面白がっている自分が面白かったりして、作品に対して再読に耐えるということは実に優れた褒め言葉なんだなあ、と今は思えます。

ちなみに、私の中でショートショートで一番面白い作品は「処刑」だと思います。

最新の画像もっと見る