The wORLD of the wIREwORK

針金で色々作ってます

偶発性英雄症候群

2010年04月24日 | 日常
昨日聞いていたTBSラジオのキラキラで、アメリカンヒーローのパロディ映画のレビューがありました。
聞いていて、日米間のヒーロー像の違いが浮き出て面白かったので、それについて考えてみます。


とは言え、アメコミのヒーローものといえばマーブル、なんでしょうが、どうにもこのジャンルに弱くって、誰がどんなヒーローなのかも全然わかりません。この前見たウルヴァリンの映画では、ピカード艦長がやっぱり麦人の声だったこと位しか楽しめなかったほどです。どちらかと言うとマーブルよりもブルマーd、別に言わなくてもいいか。
また、日本のヒーローものと言えば、仮面ライダーかウルトラマンですが、まだ三次元の耐性がついていないせいでしょうか、やっぱりこれも苦手なジャンルで、ほとんど知りません。次回作では、仮面ライダー熊としてイケメンライダーになる準備は既にできているんですが、まだオファーg、これ前にも言ったな。

今の私、及び当ブログのパラメータは
アニメ:20
ビジュアル系:15
特撮:0.5
社会適合性:F
総論:好きなことに打ち込むのは良い傾向ですが、周りに溶け込むことが苦手なようです。二学期も頑張りましょう
といった所でしょうか。

軽くトラウマを思い出したところで、部外者なりに頑張ってみようと思います。通信簿にそんなことを書くな。

さて、アメリカと日本のヒーローで特に違っているのが、その出自です。データマイニングで重要なのは、平均値を読み取るのではなく、異常値にまず着目することです。
アメリカのヒーロー、日本のヒーローがどのように生誕したか、これが大きな違いのようです。言い換えると、その後はバンクとルーチンが多発するから一話目は重要なのです。変身シーンで何分もかけるプリキュアの話は、今はしていません。

アメリカは自己申告制です。日本製ヒーローは偶発的です。

奥ゆかしい日本に比べて、自己主張が強いお国柄が出ていますね。本当か? 日本の奥ゆかしさなんて外国人が発見した幻想だけどな。

上記の映画評論も話題になっていましたが、アメリカンヒーローの多くが、強い力を正義のために役立てようとする自警団的な動機があります。クラーク・ケントもブルース・ウェインも、同様です。
対して日本は、ハヤタ隊員も本郷猛も、なりたくてなった訳ではありません。巻き込まれてそうなった人が多いことが特徴でしょう。

アメリカのサイトにはヒーローの登録サイトがあるって話ですから、彼の国のヒーローなりたい指数は非常に高いのでしょう。
我が国のヒーロー事情はというと偶発的というか、受身というか、なんだか、不倫している女性が腕を絡ませて、男性はコートに腕を突っ込んで、女が勝手に組んできたアピールをするような他人事感があります。

そういえば、女性が、こちらでは「行く」のに対し、向こうではCOME(来る)ですね。関係ないか。
関係ないついでに、海外ではバットマンの相棒ロビンは小姓(性的な意味で)として見られる視点もあるそうですね。エリート攻め×年下誘い受けってことでしょうか。なんだこりゃ。
話が纏まってないな。


アメリカのヒーローが自警団としての側面を持っているように、犯罪者や悪人たちも、好きであの格好をしています。
本来犯罪者は、足がつかないように覆面や手袋をして匿名性と没個性を目指すと言うのに。
ゴッサムシティでは、素人があんな格好やこんな衣装を纏い、犯罪し、それを取り締まっているのです。
なんだか狂気を感じますね。
それに比べれば、日本の三姉妹がレオタードで怪盗やってるのなんて大したことないな。

あ、コナンも正体隠してるし、犯罪者は全員タイツで終盤になって敵討ち的な言い訳をペラペラ喋ってて日本的だなあ。


私のヒーローは、といえば初期美味しんぼの山岡さんですが(現在の山岡さんは山岡さんの皮を被った偽者の二代目です)、彼はダークヒーローとトリックスターを兼ね備えた魅力たっぷりのキャラクターでした。
権力や押し付けがましい理不尽な常識を、既成の料理フレームワークを破壊するデモニックでパンキッシュな性格でした。

グレートファーザーとしての海原雄山とトリックスターとしての山岡士郎。地母神なき世界にあって栗田さん(初代)というアニマの助けを借り、時には妖精の一助を、時には愚者の啓蒙をする、神話的な様相がかつての美味しんぼでした。
これらを全て過去形で語らねばならないのが非常に辛いのですが、結婚を機に、彼らは楽園を追われました。

結婚が悪いのでありません。栗田さん(二代目)という伴侶が悪いのです。
彼女は首が太くなるにつれ、山岡蔑視、海原リスペクトを押し付けてきます。
かつて山岡さん(初代)が敵として見たのは、「過剰な傾き」です。何かに偏ることを是正することが、彼の働きであり役割であったはずです。
しかし、伴侶としての栗田さんはいつの間にか率先して「常識」を押し付けるように成り下がりました。山岡さんもこれに従います。
彼女はフィレモンを気取ったリリスでありユダです。増長し堕天することとなったサタンとなんら変わりがありません。
また、山岡さんは、築き上げた威光を全て逆転させるアンチのアンチのような存在として今はあります。

全ての「常識」に対し疑問と破壊をぶつける眼と翼は失われました。
堕天した彼らは、今まで唾棄すべき存在だった自らの常識に囚われる者として地上にいます。

決別すべき「敵」と似た姿になってしまうのは、憎悪の本質なのでしょうか、それとも単なる怠慢なのでしょうか。
私には判断をしかねますが、今の山岡夫妻は破壊の後に何も生み出しはしないでしょう。
それは、単なる暴力です。

そして、今の美味しんぼは単なる栗田思想のプロパガンダです。


あれ、何言ってんだ? 好き過ぎて冷静さを失ってしまいました。
ちなみに、私のグルメ度は富井副部長クラス、昼飯にはセブンの120円カップラーメンを毎日美味しく頂いてます。

ヒーローもの→美味しんぼ、統一性がないな。

最新の画像もっと見る