
梅の花が美しい紅や白を見せてくれていますね。
まさに嵐吹くこの街がお前を抱くって感じで、そろそろ桜の開花予想なんて一喜一憂するんでしょう。
さて、春がもうそこまで来てますね。春は「もうそこ」と歓迎ムード一色なのに、夏は「来た」、秋は「訪れた」なんて過去系で語られがちですよね。冬なんて、「冬来たりなば」なんつって腫れ物みたいに扱われて可哀想ですよ。シェリーめ!
とは言いつつも、私は冬、というか寒いのが苦手なのでついつい家から出るのが億劫になります。
あ、引き篭りがちなのはオールシーズンでした。
そんなユニクロのヒートテックタイツ+連邦の白い股引の二段構えな2010年ベスト寒がりストの私も、もう冷え性と感想肌に悩まされることがなくなる、春です。
入社、入学式なんて一年で一番彩りのある季節です。アラサー真っ盛りな29歳には全然関係ないですけどね。
私もほんの10年くらいまでは学生でした。「ほんの」スパンを10年で括っちゃうあたりが加齢の証左に他ならないわけで。
4月といえば、教科書が配られます。一番槍で現国の教科書を読むことが好きでした。そして、もちろん物理、数学は授業中ですら読みませんでした(しんがりは任せろ、です)。
ルロイ修道士の話、好きでしたが今ヤフったら井上ひさしの限りなくノンフィクションに近いフィクションなんですね。また、井上ひさしはいわゆる「進歩的文化人」ということもわかりました。なるほど。
ああ、そういえば教科書ほんの10年くらい前、自虐史観に溢れた歴史の教科書を訂正しようという運動がありましたが、あれどうなったんでしょう。
うーん。確かパオロ・マッツァリーノだったと思いますが右にせよ左にせよ戦前を過大評価するか過少評価するかの違いで、それらはよく似ていると評したはずでした。
過大評価も過小評価も、比重によって物事の重大さを変更していく、極めてクレバーで大人な態度でありましょう。
あんまり子供にそういう大人の都合を押し付ける、ではないですけど言い分を理解してもらおうとするのは教育上よろしくないような気がします。
少し問題が違いますが、昨今の「ゆとり教育」だって、一番迷惑してるのは教育を受けた本人でしょう。
国民の義務であり権利でもある「教育」を受けた結果がご覧の有様だよ、って周りから特別視されても、お前らがやれっつったんだろという感じでしょう。
私だったら理不尽だと思うでしょう。
「私らしく自分らしく」はゆとり教育の目指した目標ですが、この標語のどれくらいが正しくどれくらい間違っているのかは各人の裁量によりましょう。そして、各人の物差を尊重しつつ、自分の物差を押し付ける言動が含む欺瞞性への批判こそ「ゆとり教育」の射程だったように思います。
まあ、なんと言うか、教育問題になるとついつい私たちは子供は純粋で儚いものだと決め付けがちですが、私たちがそうであったように、そこそこ不純でかつ逞しいものです。心配からついつい声がでかくなっちゃいますが、とりあえずこっちの都合だけではなく、信頼して気長に待つのも、私たちがゆとり教育から学べることではないでしょうか。
なんだかまとまりがないですね。(私のようなダメな)大人はこういう錯乱状態でも平然と生きていける恥知らずな生き物です。
現国の教科書は、読み物として非常によく出来ています。私がそうであったように、桜の季節に、新しい知恵と知識にわくわくできるような教育さえできれば、と思います。
では、新社会人、入学式を控えた皆さん頑張ってください。右の人指し指に中指をからめつつ。
まさに嵐吹くこの街がお前を抱くって感じで、そろそろ桜の開花予想なんて一喜一憂するんでしょう。
さて、春がもうそこまで来てますね。春は「もうそこ」と歓迎ムード一色なのに、夏は「来た」、秋は「訪れた」なんて過去系で語られがちですよね。冬なんて、「冬来たりなば」なんつって腫れ物みたいに扱われて可哀想ですよ。シェリーめ!
とは言いつつも、私は冬、というか寒いのが苦手なのでついつい家から出るのが億劫になります。
あ、引き篭りがちなのはオールシーズンでした。
そんなユニクロのヒートテックタイツ+連邦の白い股引の二段構えな2010年ベスト寒がりストの私も、もう冷え性と感想肌に悩まされることがなくなる、春です。
入社、入学式なんて一年で一番彩りのある季節です。アラサー真っ盛りな29歳には全然関係ないですけどね。
私もほんの10年くらいまでは学生でした。「ほんの」スパンを10年で括っちゃうあたりが加齢の証左に他ならないわけで。
4月といえば、教科書が配られます。一番槍で現国の教科書を読むことが好きでした。そして、もちろん物理、数学は授業中ですら読みませんでした(しんがりは任せろ、です)。
ルロイ修道士の話、好きでしたが今ヤフったら井上ひさしの限りなくノンフィクションに近いフィクションなんですね。また、井上ひさしはいわゆる「進歩的文化人」ということもわかりました。なるほど。
ああ、そういえば教科書ほんの10年くらい前、自虐史観に溢れた歴史の教科書を訂正しようという運動がありましたが、あれどうなったんでしょう。
うーん。確かパオロ・マッツァリーノだったと思いますが右にせよ左にせよ戦前を過大評価するか過少評価するかの違いで、それらはよく似ていると評したはずでした。
過大評価も過小評価も、比重によって物事の重大さを変更していく、極めてクレバーで大人な態度でありましょう。
あんまり子供にそういう大人の都合を押し付ける、ではないですけど言い分を理解してもらおうとするのは教育上よろしくないような気がします。
少し問題が違いますが、昨今の「ゆとり教育」だって、一番迷惑してるのは教育を受けた本人でしょう。
国民の義務であり権利でもある「教育」を受けた結果がご覧の有様だよ、って周りから特別視されても、お前らがやれっつったんだろという感じでしょう。
私だったら理不尽だと思うでしょう。
「私らしく自分らしく」はゆとり教育の目指した目標ですが、この標語のどれくらいが正しくどれくらい間違っているのかは各人の裁量によりましょう。そして、各人の物差を尊重しつつ、自分の物差を押し付ける言動が含む欺瞞性への批判こそ「ゆとり教育」の射程だったように思います。
まあ、なんと言うか、教育問題になるとついつい私たちは子供は純粋で儚いものだと決め付けがちですが、私たちがそうであったように、そこそこ不純でかつ逞しいものです。心配からついつい声がでかくなっちゃいますが、とりあえずこっちの都合だけではなく、信頼して気長に待つのも、私たちがゆとり教育から学べることではないでしょうか。
なんだかまとまりがないですね。(私のようなダメな)大人はこういう錯乱状態でも平然と生きていける恥知らずな生き物です。
現国の教科書は、読み物として非常によく出来ています。私がそうであったように、桜の季節に、新しい知恵と知識にわくわくできるような教育さえできれば、と思います。
では、新社会人、入学式を控えた皆さん頑張ってください。右の人指し指に中指をからめつつ。
とりあえず、何年経ってもあなたの文章には笑わせてもらいました。
そんな私ですが、改行に関してはノークレームノーリターンでお願いします。