パリ6日目
朝まだ暗いうちにアパートを出る。
モンパルナス駅を7時29発のTGVなので
念のため7時には到着予定で
6時35分頃には部屋を出たと思う。
徒歩数分で着くバス停
始発なので早くから乗車できた。
ずいぶん前の席予約したので
ずずーーーっと歩く。
まだ早いので一番乗り。
1年前に比べてかなり落ち着いて乗れた。
スーツケースもないしね。
途中日の出が見れた。
トゥール駅あいにくの小雨。
駅から数分のツアーズに申し込んだので
余裕の時間についた。
しかし、まだ開店していず。
やっと9時になって開店したので
トイレに行きたいというと、
駅のトイレに行けという。
またしてもここでもフランスを感じる。
日本の会社なら必ずトイレに行きたい人は。。。
って教えてくれる親切さがある。
本当に日本の親切、サービスの良さが身に染みるのだ。
仕方ないのでまた駅に行って探すとあったにはあったが
1ユーロ払えときた。外国人が日本に来て
清潔、親切、という理由がよくわかるわ。
さっきのTGVでいっときゃよかったと悔やむ。
さてさて一か所目のお城についたよ。
この左から2番目の人が運転者。
3人目の女性はオーストラリアから来た女性。1人で参加。
4番目の男性はどこから来たか聞かなかったけどめちゃくちゃ笑顔が素敵な人だった。
この人も一人参加。
英語を話す人ばかりのグループだった。
ウィキより
アゼ=ル=リドー城(Azay-le-Rideau)は、フランスのロワール渓谷、アンドル=エ=ロワール県にある城である。1518年から1527年にかけて建設された、ごく初期のフランス・ルネサンス様式の城の一つである。アンドル川の中州に建てられ、城の基礎部分は直接水の中に建築されている。
世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれる。
フランソワ1世治世下で徴税官兼トゥール市長を務めていたジル・ベルトロは、元にあった城を基本にアゼ=ル=リドーの築城に取りかかったが、この土地の一部は彼の妻が相続した資産であった。しかし、実際に中央階段を含む築城の進行を指示したのは、妻フィリッパ・レバイであった。中央階段は「名誉の階段」(escalier d'honneur)と呼ばれ、アゼで最も斬新な建築の一つである。ベルトロは横領の共謀を疑われ、1528年、未完成のアゼ=ル=リドーを逃げ出さざるを得なかった[1]。彼は二度と城を目にすることはできなかった。王は資産を没収し、自分の高級将校の一人に報酬として与える。
幾世紀もの間に、城の持ち主は何度も替わった。20世紀の初め、フランス政府が城を購入して修復した。内装は完全に一新され、ルネサンス期のコレクションが展示された。現在、城は一般公開されている。
入り口で9ユーロ支払う。
なぜか私は窓が気になった。
白いのは暖炉だと思う。
石の階段は滑りやすく。
人がよく踏むところはすり減っている。
小雨が降ってたね。
最初の二か所のお城には黒人のカップルもいたんだけど
途中からいなくなったね~。
あとアメリカから来てた夫婦もいたよ。
スタートは8人だったのね。運転手入れたら9人。