歌詞を味わうブログ

1980年代から1990年代の日本のポップスの歌詞を味わうブログ

『ZUTTO』 作詞:亜伊林 リリース:1990年

2021-03-27 12:27:00 | 歌詞を味わう

歌い手は、あまりにも有名な永井真理子さんですが、作詞は亜伊林こと三浦徳子(みうらよしこ)さんです。ちなみに作曲は藤井宏一さんです。三浦徳子さん名義の作品ですと松田聖子さんの『青い珊瑚礁』が有名ですね。
でも、この記事では作詞家がこの名義で作詞されていることを尊重して、亜伊林さんと表記しますね。
その亜伊林さんの作品のうちからこの作品を選んだのは、かなり以前からとても歌詞の内容に違和感があったからなんです。
作詞家がどんな思いで書いたのか、ではなく、この歌詞から自分はどう感じたのかを書いていきたいと思います。

まずは、リフレインの部分を省いて1番と2番の歌詞を見比べてみましょう。

「ほどけた靴ひもそのままでいたい夜
Heart の字幕孤独にしといてなの
あなたはそれをわかってくれる
たった一人の人
知らんぷりして明日のことを話してる」

「ガラスに映ったソファーへと沈む頃
あなたが入れたエスプレッソ飲んでいた
2人は違う人間だから
一緒にいられるの
そばにいてもね別々の夢見られるよ」

1番と2番の歌詞に共通しているのは、主人公がかなりお疲れの様子だと言うことでしょう。
誰しも、靴ひもを結び直す気力さえないぐらいぐったり疲れるときもあるでしょう。
だからパートナーの方も、それを気遣ってそっとしておこうという配慮をするときもあると思います。

それでリフレインの部分はというと

「ずっとずっとねェこんな風にしてね
ずっとずっとねェ生まれる前からね
Zutto・・・」
となっています。

でもね、その配慮が一時的なものでなく「ずっと」、しかも将来に向かってだけではなく過去にさかのぼって「生まれる前から」「ずっと」ということになっているのですよ。この歌詞は。
私はね、かなり前からこの歌詞に違和感を持っていて、ペンライトや体を揺らしながら歌う人たちが、どんな気持ちでこの歌を歌っているのか知りたかったんですよ。

2番の歌詞にあるように、「2人は違う人間だから一緒にいられるの」というのが一見2人の間のパラレルな関係、あるいはライプニッツのモナド的個人や予定調和を示唆しているようにも見えるけれども、個人が他人との関係性や会話を通さずして自分の実存を自分で立てているかのような錯覚はもはや、愛とは言えないのではないでしょうか。

本当に相手のことを考えるからこそ、相手に「それは違うよ」「靴ひもを結び直したら」と言うことも必要だと私は思います。たとえ「小姑」だの「パターナリズム」だの言われようとも。だから私は「ずっと」はあり得ないと思うの。

もしかしたら、ほどけたのは靴ひもじゃなく、互いに関心を寄せ合う人間関係じゃないかな、とも思う。







『M』 作詞:富田京子 リリース:1988年

2021-03-21 16:43:00 | 歌詞を味わう
「いつも一緒にいたかった」
「となりで笑ってたかった」
で始まる『M』は、PRINCESS PRINCESSの代表曲とも言えるのではないでしょうか。
作曲は奥井香さんですが、作詞はPRINCESS PRINCESSのドラマーの富田京子さんです。
イニシャルのMが誰かということには全く興味ありませんが、富田さんに関係しているのだと別のサイトから知りました。
冒頭の願望が「叶わない夢なら忘れる勇気だけ欲しいよ」とする気持ち、よくわかります。
自分も引きずる方だったので。
と、ここまでで3つの願望があることに気がつくと思います。
 1 いつも一緒にいたかった
 2 となりで笑ってたかった
 3 1と2の夢が叶わないなら忘れる勇気だけ欲しい
別の箇所でも作詞家は「星が森へ帰るように自然に消えて」と願っています。
つらい想い出だから消えて欲しいのでしょう。しかし、星は実際には森へ消えたのではなく、見えなくなっただけなのです。
心の葛藤を比喩的に表現した言葉だと思います。
でも、忘れようとしたり、消し去ろうとしたり、すればするほどそうはできなくなるんですよね、きっと。
なぜなら、大上段に構えて言うならば、このような苦しみの原因は願望の奴隷状態にあって、人と人との関係性において自由じゃないから。
それらの願望から自由になれた時に、「いつも一緒にいること」「となりで笑っていられること」と条件を課している窮屈さに気づくんじゃないのかな。
まあ、そうは言っても、若い頃は使えるお金も限られているし、会いに行く電車賃にさえ事欠くことがあるから、会えなくなる寂しく苦しかった気持ちは忘れようとするのではなく、そういう苦しみを知っているからこそ自由な関係性が大切だと心に刻んでおくためにも、覚えておいていいと思いますよ。
私自身、つらい時期に、同じような思いを持っている人がいるんだと、励まされたので、この詩にはとても感謝しています。
最近は甘いリンゴばかりになってしまって酸っぱいリンゴが見当たらなくなってしまったけど、成熟した言葉ばかりでなく、とても恥ずかしく青臭く酸っぱい想い出を綴った詞があってもいいと、私は思います。
このブログの読者の方も、メロディーから離れてひたすら歌詞そのものを味わってみてはいかがでしょうか。


はじめまして!しょうじょうこです

2021-03-21 13:00:36 | 歌詞を味わう
はじめまして!
しょうじょうこと申します。
主に1980年代から1990年代の日本のポップスの歌詞を味わう記事を書いていきたいと思います。
作詞家の方の中には、若かりし頃に生み出した作品を、もう廃盤にしてほしいと願っていらっしゃる方がいるかもしれません。
例えば、言葉を生み出したその時は、「結婚とは、終わりのない優しさの始まり」と表現して、後からあんなこと書かなければ良かったと思うかもしれません。私自身、そんな後悔の繰り返しです。
でも、詩人とは、その時感じた事を言葉にして世に生み出すのが仕事でもあり、苦悩の中から生み出した言葉たちには、傾聴する価値があると私は思います。
完熟した甘い言葉だけでなく、若かりし頃に苦悩の中から生まれた青臭く酸っぱい言葉たちも、立派な味わいのある作品です。
味わうからには、「美味い!」だけではなく、食レポのように一つ一つの素材を味わうように、言葉を吟味して、自分の言葉で表現したいと考えています。
更新は週に1回程度を予定していますが、そうできない場合もあるかもしれませんので、あらかじめご了承ください。
それから、著作権は侵害したくないので、歌詞のテキストは歌詞を紹介しているサイトでご確認いただければと思っています。引用程度になりますが、その点もご了承ください。