歌詞を味わうブログ

1980年代から1990年代の日本のポップスの歌詞を味わうブログ

『少年時代』 作詞:井上 陽水

2021-08-14 08:40:00 | 歌詞を味わう
リリース:1990年

今週も当ブログを訪問いただきありがとうございます。
今回は、井上陽水さんの『少年時代』を取り上げてみようと思います。
井上陽水さんというと、独自の世界観と言葉を持っているように思いますが、そこで使われる造語は、歌詞を見る者にとって広い解釈を与えてくれるものでもあります。
ですから、私は私なりの見方、考え方を書いていこうと思います。
それではさっそく1番の歌詞を見てみましょう。

「夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれに さまよう
青空に残された 私の心は夏模様」

「夢が覚め 夜の中
永い冬が 窓を閉じて
呼びかけたままで
夢はつまり 想い出のあとさき」

前段の部分は夢の中の心模様を歌っていると思いますが、夏が過ぎても心の中は夏模様なんですね。
そして、後段の部分で夢から覚めて、その夢に呼びかけたまま、夜そして冬になったと解釈できます。
そしてキーワードの「夢はつまり思い出のあとさき」と因果関係を提示するんですね。
続いて2番の歌詞も見てみましょう。

「夏まつり 宵かがり
胸のたかなりに あわせて
八月は夢花火 私の心は夏模様」

「目が覚めて 夢のあと
長い影が 夜にのびて
星屑の空へ
夢はつまり 想い出のあとさき」

「夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれに さまよう
八月は夢花火 私の心は夏模様」

2番の歌詞でも夢の中は夏の夜の部なんですね。
井上陽水さんの少年時代の心の中、原風景とでも言ってもいいのかもしれませんが、それは夏の思い出で、それが夢にも反映されているということかしらね。
まあ、広く解釈できる歌詞なので、それぞれが自分の感性で味わってもらえたらと思います。

ただ、一口に夢と言っても、将来に向けた目標を指す場合もありますし、睡眠時の夢もあります。
私なんかは、悪夢とまではいかないけれど、辻褄の合わないストーリーの夢が多くて、いや、そんな筈はないといったところで起きることが多いんですね。

でも、井上陽水さんが言っている夢は、きっとうたた寝程度の少年時代を思い起こしてる浅い眠りのことなのかもしれません。
私の子ども時代の原風景となっているのは、夏の夜に田んぼや用水路に乱舞する蛍の光。
でも、今では農薬でもう蛍の生きられる環境ではなくなってしまいました。
それでも、本当に美しい風景というものが心に刻まれているから今の自分があるのかもしれないし、子ども時代に虐待や汚い言葉や環境に囲まれて育ったら、もっと別人格になっていたかもしれないと思うと、『少年時代』をどう過ごすかというのは、とっても大事な気がする。

今週も最後までお読みくださりありがとうございました。
今年は、というか今年も全国各地で災害級の大雨による被害が予想されています。こまめに情報を入手して、場合によっては早めの避難行動をとってくださいね。


1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
雲伯油屋ストライベック (グローバル鉄鋼商社)
2025-01-13 03:08:48
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
返信する

コメントを投稿