昨日は長い一日でしたね。
我が家の記録のために書き留めたいと思います。
7時58分。
私と長男はまだ自宅。
主人と娘はすでに大阪に入っていたようでした。
娘は大阪の乗り換えた駅を電車が出発してすぐくらいで緊急停車したので
駅のホームが後ろに見える位置で止まってるー。とメッセージがきました。
末っ子は(市内)調べると乗ったと思われる電車の学校最寄駅到着時間は59分。
テレビで言ってる地震発生時間は58分ごろ。
うーん。電車降りれたのか?
途中で止まってしまったか…?微妙なところ。
LINEしてみても既読にならず。
校門入るところでスマホの電源を切る規則なので
既読つかないってことはきっと電車は降りたんだろうな。
そのうち長男の大学の友達から線路を歩く写真が送られてきて
神戸の各電車も止まってしばらく動かないことを知る。
だんだん最初に思った以上に大きな影響がある事に気がつく。
有馬高槻断層帯は兵庫までまたがる断層で
まだ大きな余震や実は本震があるかも…
テレビで情報収集しながら
猛スピードで家事をやって夜ご飯の支度をして
娘と連絡をとる。
娘は初めて自分が体験する地震と交通麻痺ですごく不安だったそう。
一時間弱で電車から降りれた。と連絡が入り…
でも家に帰ることも学校へ行くことも出来ない。
「ブルーな気持ちなのでぽてまるの現在の写真ください」とLINEが来た。
それに対して送ったのがこちら
ボクはご飯を食べてました ゴメン
呑気なぽてまるに癒されたかどうかはわかりませんが
その後娘は友達と落ち合って何とかしのぎ、
夕方やっと動きだした電車を乗り継いで帰って来たそうです。
二時間ほど歩いた事もあり、私が仕事から帰宅した時は
ソファで倒れるように爆睡してました。横には高校卒業時に学校からプレゼントされた記念品?の防災ヘルメットが転がっていました。
そんな日ですが私は徒歩通勤のため、休む理由がなく、午後からパートでした。
家を出る直前に 電車が止まって高校から徒歩で無事帰宅した末っ子とお兄ちゃんにぽてまるを託して?。
行きの駅周辺のバス停は長蛇の列でした。
帰りの7時過ぎ、いつも賑わっている駅の近くのコンビニやドラックストア、大型のショッピング施設が閉まっていてビックリ。
そしてパン屋さんのパンはほとんど売り切れて何もない感じでした。
いつもと全然違う光景です。
そんなこんなで私はただ、いつものようにパートに行って帰っただけだったのに
どっと疲れてしまいました。
災害に対する準備はわりと考えてはいるほうだと思いますが
今一度 確認してみたいと思います。
いつか来るであろう地震に備えて。