MINORU NIIHARA "ROCK ME BABY!!!"

Music/Movie/Vocalism/Book
GREETING & 四方山話etc

追伸

2009年01月06日 23時02分48秒 | GREETING
先ほど、メールで情報を頂きました。

「羞恥心」は解散ではなく、正式にはメンバーと紳助さんが時間を掛けて相談した結果、「活動休止」になったとの事です。

情報ありがとうございました。

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羞恥心

2009年01月06日 10時56分47秒 | GREETING
そう言えば、夕方、実家でテレビを観ておると「羞恥心」なる3人組が歌っておった。

名前ぐらいは知っておったが、はじめて「羞恥心」を聴いた。

自分の歌詞のことを棚に上げながら言わせてもらうが、「羞恥心」のあのありえないほどひねりの無いまっすぐな歌詞を、なんの迷いもなく、ためらいもなく歌いきり、尚且つ「様」になるのはあの3人以外いない。

そう言う意味で、あの3人のタレント性は群を抜いていると思う。

このプロジェクトが大いに売れたのは、この3人のタレント性につきるだろう。

まぁーその辺のことは置いておいて、さて、テレビを観ているとメンバーの一人が突然泣き出しているではないか。

(おいおい、どーした?)

歌手が歌いながらステージで泣くのは尋常ではない。

僕は親父が亡くなった夜、仙台のライブだったのだけど、その時始めてステージで泣いた・・・。

要するに、そのぐらい何かヘビーなことでもない限り、歌手はステージでは普通は泣かないと思う。

テレビを観て進むと、どうやらこの「羞恥心」の最後らしい。

歌い終わって、紳助さんが神妙な面持ちで語り始めた。

「CDがNo1で売れまくっている今解散するのが美しいと思うから、「羞恥心」はこれで終わりにします」(こんな内容だったと思う)

僕はこのコメントを聞きながら心で思った。

(はぁ~?)

紳助さんよ、それは彼等の望んでいることなのか?

紳助さん、あんたの美学はよく分かった。

だからと言って、今や「羞恥心」はすでにあんたのものではないのだよ。

スタートさせたのは紳助さんかも知れない。

「羞恥心」スタート当初は確かにあなたの操り人形だったとは思う。

しかしね、今やあの3人のタレントパワーがただの「操り人形」から立派な「3人組み歌手グループ」へと成長させ、脱皮させておるんよ。

実は歌うことの素晴らしさに目覚めて、もっと歌いたいのかもしれないだろう。

彼等の歌声をこれからも聴けるなら、応援するファンの方もみんな幸せになるじゃないか?

たとえ、今ほどの売れ行きが無くなっても良いではないか!

売れなくなって解散したとして、「美しくない姿になったな」と誰が非難するのかね?

(売れたとこで解散や!美しいやんけ、格好ええやんけなぁ~!!)

言わんとすることは分からんでもないけれど・・・

でもね、はっきり言って音楽をやることや歌う姿に「美しい」とか「汚い」とかありえんだろう。

歌うこととはそんな低次元なものじゃないんだよ。

紳助さんよ、「夢」を与える歌を歌っている「羞恥心」が、こんな下劣な理由で辞めさせられる姿を子供達が観てどう思うのか考えたことがあるのか?

子供に「歌手は売れなくなったら汚いの?」「なんで「羞恥心」はお歌辞めるの?」と問われたら何と答えるのだ?

「羞恥心」に夢中になって応援してきた子供達に最後にもっとも汚い大人の汚水をぶっかけたのだ。

身を引くべきは「紳助」さんであり「羞恥心」ではないのだよ。

『「羞恥心」は僕の手から立派に巣立ちました。今日から僕は「羞恥心」から離れます。今後の活躍を陰ながら応援していきます。みなさん「羞恥心」をどうぞよろしく!』と宣言していたら、あなたは「神」だっただろうに。

紳助さん、あなたの発言は死に物狂いで音楽やっている人間に対する「冒涜」ではないのか?

と、まぁ~こんなことを書いたら、「二井原、売れてないからと言ってみっともないよ~~」とかメールが来るんだろうな・・・。

お手柔らかに。

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今年もよろしく!

2009年01月05日 13時47分45秒 | GREETING
新年の挨拶が遅れました・・・ごめんなさい。

実は、元旦早々酷い風邪を(恐らくインフルエンザだと思われ)を引いてしまい、39度の高熱、ガクガク震える悪寒、咳き込むたびに胸が酷く痛み、文字通りもがき苦しむように寝込んでおりました・・・・(泣。

昨日、ようやく熱が平熱に戻ったので急いで東京へ戻ってきました。

5日に片付けないといけない仕事があったので。

まだ病み上がりで少しフラフラしておりますが随分と回復しました。

正月だと言うのに、おせち料理を食べる食欲もなく、お酒も呑めず、当然初詣にも行けず、ただひたすら大阪の実家の布団の中で苦しんで寝ておりました。

75才になる母親が甲斐甲斐しく看病してくれて、まだ自分が実家で暮らしていた頃を思い出しました。

母親にすれば、息子がそばにいて、息子の世話を焼くことの方が何よりも喜びだったのかも知れません。

風邪は辛かったですが、久しぶりに母親にどっぷりと甘えられたのはある意味良かったです。

実は、京都に着いた大晦日の晩、まず最初に長男が発熱で寝込んだ。
子供の具合があまり良くないので、子供達と嫁を京都の嫁の実家へ残し、僕一人で大阪の実家へ帰省。
そしたら元旦に僕が発熱。
二日には長女が発熱。
比較的元気だった嫁も3日目に発熱で寝込む事態となり、ついに二井原ファミリー全滅ですわ!

嫁の実家で同居する義理の弟君も子供の風邪がうつったのか、3日に酷い咳と発熱で寝込み、彼はすぐに病院へ行ったところ、「インフルエンザ陽性」と出た。

おじーちゃん、おばーちゃんにうつらなかったのが不幸中の幸いです。

健康には気をつけないといけませんなぁ~!!

今年も色々とよろしく!!

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