仮題 ゴルフ場に犬を連れて行く

日常の取るに足りないこととか、、過去に某機関紙に投稿したエッセイを中心に掲載しています~~~◎

15 ショートエッセイ 二編

2021-11-10 | エッセイ

ショートエッセイ 二編

職人さんのサラメシ(1)

  「ヒルメシなんてなんでもいいのです」と食に拘らないことを美徳としている職人さんがいる。道具にも拘りがないという。その割には11時半頃、空いてる時間を狙い近所の街中華で温かいタンメンや味噌ラーメンなど次々とメニューを制覇している。その後、車中で仮眠をとる。彼は「温かいものなら・・」という前提を言い忘れている。

  僕なら前日にスーパーでおにぎりとカップヌードルを買っておく。できればチリトマトかシーフードヌードルがいい。休憩に車に戻ったついでに予め用意してきたポットから湯を注ぐ。おにぎりはカップのフタに載せ冷めないようキルティングのカバーをかけて置く。1時間以上経って伸びきり固まりかけたシーフードヌードルは最高だ。そして彼より15分余計に昼寝をする。

 

職人さんのサラメシ(2)

 先々の現場近くで噂のこってり美味しいラーメンを食べてはインスタグラムに投稿する職人さんがいる。

この人、数年前に建材営業マンから床系職人に転職したがSNSは大得意。「職人のグルメキング」とか「成人病街道まっしぐらの軌跡」とかコメントして冷やかしているがまだ40代前半で若いし、馬耳東風ノープレブレム。

カーペットや長尺シートなどいわゆる床系職種は他業種とバッティングしないので単独で静かに仕事をこなせるのだろう。現場監督も来なくここは明日までに終わればいいというような小さな現場なら一人親方、時間もフレックス、早めに抜け出して気分上々、人気店に飛び込む余裕があるのだろう。

*サラメシとはNHKの働く人のランチを取材する番組のことでサラリーマンの昼食の略です。

(2021-1110 未発表)


14 レジ袋の断り方

2021-11-09 | エッセイ

レジ袋の断り方

 コンビニやスーパーのレジで「袋つけますか?」と聞かれると皆さんはなんて答えていますか? 「あります」「持っています」(またはそれとなくマイバッグを先に出しておく)

僕は「不要です」という。しかし「はあ?」と一瞬キョトンとされるのでもう一度「不要です!」と大きく言う。 どうも「不要です」は聞き取りにくいらしい。 最近はカウンター間がビニールでガードされているし。 適切な返事は「ノーサンキュー」がいいと思うが英語はちょっとね。

最近若い人類は「大丈夫です」という言葉を使う。  コンビニのバイト君に聞いたらこれで通じるらしいがイエスなのかノーなのか分かりにくい。「大丈夫です。ご心配なく」 「大丈夫です。あります」なら丁寧で柔らかく解りやすい。

でも大丈夫!! ノーレジ袋が浸透する近未来、当たり前に聞かれなくなるから。 必要な時はこちらから「すみません、レジ袋売って下さい!」と言わなければいけなくなる。

(その後、不覚にもスーパーでマイバッグを忘れレジ袋を買ってしまった。 ああ、これでまた北極圏の氷が溶け、犬ゾリレースのコースも消えてしまう・・・)

(2021-1109 未発表)


13 ワクチン接種

2021-11-09 | エッセイ

ワクチン接種

一回目のワクチン接種を終えた。翌日は一日腕が痛かった。もしかしたら・・・という副反応を案じるワクチンは初めてである。今回、60~64歳が接種対象者だったので 僕は丁度真ん中に位置し二歳上の先輩から二歳年下の後輩までの年代ということになる。解りやすく言うとサザンオールスターズが二歳上の先輩、リアルタイムで彼らのヒット曲を聞き、浦安にディズニーランドがオープンした年に大学を卒業した。ワクチンはとにかく打って貰おう、でも特に急ぐわけでもなく時間のロスも少ない自宅から近い区民施設がいいと思ったら、予約ができたのは接種券が届いてから約三週間後であった。

接種会場に行った。同窓会のような会場。同年代のみなさん、あれからどんな時間を過ごしてきた?すでにリタイアして悠々退職金で暮らしている人、まだまだ現役で職場から抜け出してきた人、子育てを終え孫にジイジバアバと言わせて余裕な人、髪も真っ白のまま苦労の絶えない人、それぞれの人生を過ごしてきた同年代が同じ部屋に集まりワクチンを受け15分体内に浸透していく時間をやり過ごし、何事もなければまた元の人生に戻っていく。マスクをしているのは知られたくない部分の人生も隠しているようにも見えた。そして僕も・・・

(2021-08 機関紙に掲載)


12 箱根駅伝

2021-11-09 | エッセイ

箱根駅伝

 正月は「箱根駅伝」で新年が始まる。しかし来年は新型ウイルスの影響で「無観客開催」で沿道応援は控えてくださいとのことらしい。知人は昔、応援に行ってインフルエンザを貰ってきて以来行かなくなったとのこと。屋外であっても観戦して感染は起こりうるのだろう。

 箱根駅伝をよく見るようになったのはここ十五年位前からである。母校が常連で出ることもあって愛犬を連れて散歩がてら見に行く年もある。そして年に一度、大学に行かせてくれた親に感謝する新年でもある。応援と言っても「にわか箱根ファン」であるから復路十区の蒲田駅付近であり用賀からは環八を走って最短の見物地点である。OBとしては特に優勝までは望まない。毎年シード校として出場してくれたら充分なのである。

 その年のことだ・・・環八交差点前を往路十区のランナーが大声援の中、ピョコンと頭を下げて四位で通過した。優勝は多分無理だがシードは間違いないと安堵で帰途についた。帰宅してTVつけると母校は果たして・・・棄権していた。目の前を通過していった選手はその後、悲劇に見舞われたらしい。蒲田駅付近の線路の溝に脚を挟み怪我、その後も数キロ走ったが棄権したということだった。なんとも無念な・・・二百キロ以上走って最後に悲劇が待ち受けていたとは。今ではそこは高架になってこんな悪夢は起きない。

(2020-12 機関紙に掲載)


11 東京の灯よいつまでも

2021-11-09 | エッセイ

東京の灯よいつまでも

組合の諸先輩ならどなたでも知っておられると思います、1964年に新川二郎が歌いヒットした「東京の灯よ いつまでも」という歌のことです。

♪雨の外苑 夜霧の日比谷  今もこの目に やさしく浮かぶ 君はどうして いるだろか あゝ 東京の灯よ いつまでも~ と改めて聞くと素晴らしい詞ですね。

 僕は地方の出身なので東京の方に当時、どれだけこの歌が愛されたのか想像ができません。「雨の外苑」ってデートスポットだったのか?ラブラブな雰囲気があったのでしょうねえ。しかし、最近僕は幼少からこの歌詞を間違えて覚えていたことが最近判明しました。  ♪雨のらいでん 夜霧の小島~ と。 幼少時育った北海道ニセコの近くで採れる道内では有名なスイカが「らいでんスイカ」といいまして多分当時、大人が替え歌でふざけて歌っていたのでしょうか。これが最近、友人とのメールのやり取りの中で記憶違いだったことが判明したのです。日比谷だって知りません。ああ、記憶違いならいつまでも~♪  しかしそれにしても東京オリンピックといい新型ウイルスといい「ああ、東京の灯よ」というフレーズは古いのか新しいのか・・・なんだか心に沁みませんか?

(2020-09 機関紙に掲載)