仮題 ゴルフ場に犬を連れて行く

日常の取るに足りないこととか、、過去に某機関紙に投稿したエッセイを中心に掲載しています~~~◎

10 叔父のこと

2021-11-09 | エッセイ

叔父のこと

 

 父には年の離れた二人の弟がいた。父の気がかりは数十年も音信不通のすぐ下の弟だった。僕の記憶では小6の時、祖父の葬式の時に会って以来である。いや、僕ら兄弟が上京した時に相模原まで訪ねてきてくれたらしい。僕はその時不在で弟が喫茶店でナポリタンをご馳走になったということだった。叔父は若い時に北海道から上京、埼玉に住み化粧品会社に勤めているはずだった。

 今から9年前の2012年、父に埼玉県下の市役所から連絡があった。叔父は市内で保護され、グループホーム(*1)に入居しているとのこと。入居後に役所が親族を調査したことで父に行き着いたらしい。父と40年ぶりの面会に行った。グループホームはほぼ新築で個室も与えられ完全介護で生活には何の心配も要らない様子だった。叔父は74歳とのことだった。家族と離別し転々とした後、脳梗塞も患ったようで認知症と判断されたようだった。父と下の弟の名前は覚えていたが遠来から兄弟の訪問に感激するわけでもなく淡々と質問だけに答えた。父はただ肩を叩き再会を喜んだ。

 その2年後に父は85歳で霊山に旅立った。死期を覚悟していた父から病院で一つだけ頼まれたことがあった。「弟は身寄りのない可哀そうな奴だ。この先亡くなったら遺骨を引き取り家の墓に入れてやってくれないか。頼む。」と頭を下げた。もちろん快く引き受けた。その後、叔父のホームに数回面会に行ったが兄の様子を聞かれるような会話はなかった。

 それから7年が経った今年2月末の父の命日に後見人のUさんから僕に連絡があった。叔父は急に体調が悪化し検査入院したがそのまま末期ガンと診断され入院したとのことだった。父とよく似た胆管癌との診断で本人も悟ったのか手術を辞退したということだったがその1週間後に亡くなった。

 後見人の社労士さんと市役所福祉課と葬儀社の手厚い仕事で叔父の人生は滞りなく済んだ。連絡があったら僕は遺骨を受け取りに行くつもりでいたが外出自粛のこのご時世、葬儀社からの配慮でゆうパックで送骨(*2)されてきた。遺骨には最低限、死亡届と火葬許可証の事務所類が入っているのみだった。僕がパソコンで面会時の写真を探し、遺影と位牌を作った。

まだひとつ仕事が残っている。時期をみて父の待つ北海道の墓園に納骨に行くことだ。 兄弟、春の日差しでゆっくり雪を溶かしていくよう積もった話もあるだろうがその雪が解けてコロナも落ち着くまで待ってほしい。

 それがこの3月の事だ。 並行して東日本震災から10年、随分被災地復興の報道が流れたが津波で流されまだ見つからない2500人余りの人がいる。突然目の前で家族を失った現実も受け入れられないまま、まだ捜索も続けられている。埼玉から人の手を経て大切に運ばれようとしている遺骨もあればまだまだ海底をさ迷っている人もいる。

 

(*1)グループホーム   認知症対応型共同生活介護の高齢者用専門施設 (*2)送骨(そうこつ) 「遺骨」を送る事で日本郵便のゆうパックにてのみ許可されている

 

(2021-07 某機関紙に掲載)

(2021年9月末 叔父の納骨が完了した)


09 双子の見分け方

2021-11-09 | エッセイ

双子の見分け方

 八年くらい前にマンションの隣室に越してきた双子の男子が今年、高校に入学した。小中同じ学校に通っていたがこの春から兄は西へ10分の高校、弟は北へ15分の高校に進学した。

二人は全く同じ顔をしていたが兄の口元にホクロがあることで見分けることが出来た。そして言葉を交わしてくれる愛想がいい方が兄だった。中学に入って同じバスケットボールに入って一緒に行動していたがどちらかがメガネをかけ始めてどちらかが洋服に凝り始めた。自転車は赤と黒だったが成長して昨年から白と黒に変わった。丁寧に駐輪しているほうが多分兄だった。

 ところが去年からコロナ禍になってマスクを着用し始めると全く見分けがつかなくなった。別々に訪ねてくる同級生を見て兄か弟か見分けるようになったが春先になって「高校合格しました!」と報告してくれたのは弟の方だった。これからは紺のブレザーだがネクタイやエンブレムデザインで見分けられる、グレーのスラックスの方が・・あれ、どっちだっけ?と思っているとまもなく通学用自転車に高校の登録シールが貼られた。黒い自転車が兄である。

(というエッセイを書いたのは5月の事でそれから半年、隣室の4人家族と愛犬一頭、時を同じく4階の5人家族も近所に越していった。その2家族に共通しているのは父親が同居していないことだったが・・・自転車置場から多分、合計8台の自転車が消え、元気に通学して行く子供たちも消えた。やれやれ・・・)

(2021-11 機関紙に掲載)


08 丸太のスツール

2021-11-09 | エッセイ

丸太のスツール

 昨年、あるビルの改修工事に立ち合ったらテナントの残置物に立派な丸太の切り株が八本ほどあったので二本分けてもらった。これから撤去処分される運命のもの。気の利いた業者ならリサイクルショップに持ち込むとかあるのだろうけど。 丸太は直径約三十三センチ長さ六十センチほどでハイスツールかサイドテーブルとして使用していたらしい。

この丸太、調べたら「青森ヒバ」らしい。樹齢は百年以上かなあ。この頃、化粧材は突板、集成材から木目調という印刷へと変身を遂げた。高価であると言われるために無垢材や丸太の使用は珍しくなった。そして家具は、軽くて移動が楽で折り畳めるものや、安価で配送が楽な組み立て式が主流になった。森には充分、木は繁っていて別に不足しているわけではない。

  さて、一本は自分の寝室のサイドテーブルにした。こっちは木目が曲がっていて元が幾分広がっている。風雪に耐えてきたのだろうその歴史あるワイルド感もいいが背割り側を室内に向けて置いた。年輪を横切るスリットが形を引き締めいい感じになった。生涯日陰で育った側がこれから日の目を浴びるとき。そして木の香りも時折うっすらと漂う。

  そしてもう一本は心あるインテリア好きの友人に使ってもらうよう送り出した。まもなくリビングサイドで圧倒的な存在感を持って鎮座している写真が送られてきた。ずっと前からそこに居たみたいに馴染んでいた。

(2021-01 機関紙に掲載)


07 令和コロナ時代の新住宅様式 ⑴

2021-11-08 | エッセイ

建設従事者必読     令和コロナ時代の新住宅様式 ⑴

 

新コロナ感染予防で推奨される新しい食事形態は横一列並び又は壁に向かってカウンター形式となる。 家族横並びのダイニング風景は 映画の「家族ゲーム」を思い出す。

テーブルは少なくとも60x180センチ以上、手前には調味料やサラダボウルが乗せられたキャスター付きのワゴンがあって左右行き来する。あれとって❗ これ食べる? はなくセルフサービスで寡黙に食事をする。パパが娘の残り物を貰うときも注意しなければならない。

座席は間隔を開けて1個おきが望ましい。例えば家族3人が座るとなると長さは3メートル以上必要となる。4人の場合は4.2メートルとなる。従って長テーブル導入のプラニングには今後、容積率の緩和も望まれる。

建築基準法の改正も必要なのだ。

(*家族ゲームは1983年 松田優作 主演の映画)

(2020-06 機関紙に掲載)


06 PP分離について

2021-11-08 | エッセイ

PP分離について

建築計画において「PP分離」という用語があります。

「PP分離とは、パブリック(P)とプライベート(P)の分離化をいいます。住まいの中を、LDKや客室などのパブリック空間と、寝室や浴室、子供部屋、書斎などのプライベート空間を上手く分離させて生活動線が交錯しない間取りをいいます」

 昔、学校の設計課題において住宅設計では「PP分離は孤高の四番打者」とされていてこれが出来ていないと評価が低かった。ところが僕が実務につくようになってきた80年代後半から様相が変わってきて、個人主義を基盤とする欧米から取り入れたPP分離に日本の慣習が付いていけず、PP分離は陰り始めた。子供への目が届きにくく親子間の断絶や引籠りや犯罪など少なからず家の間取りが家族生活に影響していることがわかってきた。それでわざとリビング経由しなければ個室に行けないとかオープンな階段をリビングの一画に据えるとか意識的に家族が気配を感じ取れるような巧妙な住宅が作られるようになる。最近ではPPが適当に交じり合うのがいい間取りであるとされている。

【PP分離が出来ていない具体例】

 僕が子供の頃住んでいた家は社宅扱いのチープな民家だった。和室に敷物を敷いた茶の間が中心にあり、玄関からまずここを経由して勉強部屋やトイレに繋がるという昔からよくある間取りだった。お客さんがきていると「こんばんは」と挨拶し居間を横切り部屋へ行く。逆に来客時にはタイミング間違うと親も無視するものだから茶の間に挨拶に出にくくなる。トイレを我慢し息を潜み客が帰るのを待つということもあった。応接室もない小さな家は食事時になっているのに、気が利かない来客が居座っていると夕飯は後回し、腹を空かせてご帰宅を待つのが当たり前だった。北海道の豪雪地帯、家に電話もなく突然吹雪の中でも訪ねてくる来客を親は大切に扱った。

【PP分離が出来ている具体例】

 大学の時、同級生の家に遊びに行った。建築士であるお父上が設計されたという2階建のモダン住宅だった。1階に玄関とホール、子供部屋と浴室類、そして二階には明るい開放的なリビングダイニング&キッチンと両親の寝室がありしかも上下2か所に洋式のトイレがあった。初めてみた廊下などない画期的なPP分離の家だった。それまでみたPP分離された大抵の家は1階の居間があり長く暗い威厳を保った廊下が左右への室へ導き、二階への階段に続いていたものだ。同級生はある日ガールフレンドを家に招く。夕方になって「じゃあ母さん、彼女を駅まで送ってきます~」と元気よく家を出る。しばらく時間を見計らって二人で腕を組んで戻ってくるが彼女は忍び足で1階の個室に駆け込みそのまま一泊するというPP分離がなせる技を友人は最大限利用していたのだ。  

(2021-09 未発表)