ムーミンパパの気まぐれ日記

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コンビニ

2005-01-12 | column
 ふと考えてみると、最もよく行くお店はコンビニである。駅から職場までの通り道にあるせいで、ローソンとサンクスに行く回数が多いが、どの会社であれほぼ毎日と言っていいくらいコンビニに行っている。スーパーや商店街などには週末でもなければ滅多に行かないことを考えれば、買い物に行く頻度としては80%から90%くらいは占めていると思う。我ながらよく通っていると感心する。
 それでも、買うものといえば、おにぎりやペットボトル、サッカーのチケット、toto、残業帰りの缶ビールといった程度のものであるから、コンビニなしでは生きていけないというほどのことはない。駅の売店かなんかで買おうと思えば、買えなくもないし、どうしても今買えなくては困るというものでもない。煙草を吸っていた頃は、自動販売機での販売が終了した後にはコンビニで買うしかなかったので非常にありがたかったが、禁煙してもう2年になるので、今はそういうこともない。じゃあなんでコンビニに行くのかと言われても困るが、なんとなくコンビニに足が向く。

 コンビニエンス・ストアというくらいだから、やっぱり便利なのかなあ(なにしろ中国では「便利商店」と表記されているらしいからね)とも思うが、別にそこでなくても買えるものを売っているわけだから、とりたてて便利というわけでもないし、安く売っているわけでもない。もちろん、人によってはコンビニくらいでしか買い物をする時間がないという方も多いだろうから、そういう人にとっては本当に便利なんだろうし、そのこと自体を否定する気はないが、要するに営業時間の長い「よろずや」みたいなものでしかないのではないかと思う。そう思って冷静に店内を見渡してみると、宅配便の取次ぎや各種料金の収納窓口みたいな業務を行っているとはいえ、その本質は極めて合理的・効率的に商品を販売することで成立している業態だから、「よろずや」とは違って店員とのコミュニケーションはないし、例えばコンビニ文化というような新たな文化を生むような土壌とはなりえないような気がする。日本のデパート、というか百貨店が、ある種のライフスタイルや消費スタイルをリードしたり、○○展みたいな催しを通じて文化の発信拠点として自らのステータスを高めてきたのとはまるっきり違うのである。コンビニは、消費する動物としての人間の欲望をただただ飲み込んでいるだけの大きなブラックボックスにしか見えてこない。だからこそ強盗も暴行もコンビニに吸い寄せられるのだろうとさえ思えてくる。そうしたコンビニの隆盛と並行して、都会の中で人との触れ合いを感じさせてくれてきた商店街が、経済合理性の前に敗れ去り、次々とシャッター通りと言われる遺跡になりつつある。日本にもかつては経済、いや金だけが最も重要な価値だと考えていなかった時代があったという歴史的遺産として・・・。そして、そんな感情自体が年寄りの懐古趣味とか負け組の遠吠えと言われる時代になってきてしまっているのである。

 それでもまた今日も私はコンビニで商品を取り、アジアからの留学生アルバイトが並ぶレジで支払いをし、仕事に向かうのである。経済合理性を突き詰めていく日本、その最先頭を行く東京。我々は目標に向かって走っているのではなく、ただ漂流しているのではないかと思うと、ちょっと足元がふらつく思いがするのである。

・・・なんだか、らしくない日記かな?

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1 コメント

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便利とは (hua)
2005-01-12 19:52:47
最近多くの日本人が「はなちゃん、帰国するの?こんな便利な日本に慣れたら、国に帰ると不便じゃない?」と言われる。



不便とか、便利とかどうせ慣れだと思う。

便利さを覚えてしまえばなれにくいと思うけど、町のリズムに合わなければ意味ない。

ゆっくりした田舎の生活リズムにコンビニーがズラリーと並んでもあまり相応しい光景ではないでしょう!!
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