あまりの暑さに久々更新です(汗)
とはいえ暑いので大したことは書けません。
以前Twitterでボソボソ言っていた話をまとめたものです。
先月来、喧しく議論されていたヤマト2l99の主題歌ですが、私は変更されて良かったと思います。
というか、最初からオリジナルとは別の歌を準備すべきだったと思っています。
なぜならば、オリジナル主題歌と2l99の内容の乖離があまりにも甚だしいからです。
オリジナル主題歌を、大雑把ですが三つの部分に分けてみましょう。
冒頭から「今飛び立つ」まで、「銀河を離れ」から先の、アタマとオワリの部分は「このヤマトというフネはどんな目的でどこへ向かうのか」という状況説明ですね。
これは基本的に2l99でも変わっていません。
しかし、問題なのは真ん中のパートです。
ここには歌の真髄である「心情」が述べられていますが、これが2l99には描かれていない場面を想定した決意なのです。
「必ずここへ帰ってくる」と「手を振る人に笑顔で応え」ていないのに、その言葉を毎回オープニングで聞くことは、なんだか大事なところを誤魔化されたまま丸め込まれているような、とても複雑な気持ちを抱いてしまいます。
「必ずここへ帰ってくる」、この言葉を沖田艦長は何度も心に誓います。
特に印象的なのは、第2話の「行って、帰ってくるのだ!」、第10話の「さよーならぁー!」からの流れでしょうか。
沖田十三という人にとって、ヤマトの旅はこのシンプルな決意に全て集約されています。
そして、「行って、帰ってくること」が有する大きな意味は、物語の中で何度も繰り返し強調され、最終話では「地球で待つ皆と心が通じている」「自分は孤独ではない」「だからこそ地球を一目見るまでは死ねない」という、沖田の「生」そのものとなって、あの胸を打つラストに繋がっているのです。
(ここでの「皆」には、亡くなった沖田の息子も含まれているのでしょうね)
その印象的な場面、二つとも、2l99では描かれていません。
でもまあ、これは私だけの小さなこだわりに過ぎません。
問題は、「手を振る人に笑顔で応え」です。
出発の行進をオミットした真意は、制作者に尋ねてみないことには分かりませんが、主題歌に謳われているシーンを外した以上、オリジナル主題歌が2l99の物語世界を象徴するものと見なされることはありません。
「そんなの大した問題じゃない」とお思いですか?
でも、歌っていうのは「こころ」を乗せているからこそ歌なんじゃないかと、私は考えるんです。
「鉄腕アトム」や「ゲゲゲの鬼太郎」がリメイク作でもオリジナル主題歌を使うことには、何の問題もありません。
アトムや鬼太郎の場合、歌とキャラクター・物語には何の齟齬もありませんから。
しかし、「ヤマト」と「ヤマト2l99」には、歌われている心情に於いて、真逆と言っていいほどの違いがある。
ならばやはり、2l99はその物語にふさわしい主題歌を作ってもらうべきだったと思うのです。
で、「Fight For Liberty」。
まずは良い曲だと思います。
そして、2l99後半の「気分」にはとても合った曲だとも思います。
2l99は、地球側もガミラス側も「男女の愛」が物語の大きな部分を占めていますから。
「君を思えば」「超えられないものなんてない」だから戦う、そういう話だよと言われれば、「うん、たしかにそうですね」と答えるしかありません。
そういう意味で、とても似つかわしい曲です。
でも一番合ってるのは「進撃の巨人」だよなあ、とも思っちゃうんですけどね。
ある意味、2l99はとても不幸です。
物語にピッタリとマッチした主題歌を得ることができなかった、という意味で。
しかし、それはアーティストのみに責任を求めることが出来る話でもないと感じます。
そのために、総監督氏はアーティストとどれだけの話し合いを重ね、ストーリーとテーマをきちんと理解してもらう努力をしたのかなあ、と。
オリジナル主題歌を作詞した阿久悠さんは、依頼にやってきた西崎プロデューサーの並々ならぬ情熱に驚き、その熱に浮かされるようにあの歌詞を書き上げたと述懐しています。
それほどの情熱と思いが込められた歌詞は、やはりオリジナルのヤマトだけに与えられた冠であろうと、私は思います。
とはいえ暑いので大したことは書けません。
以前Twitterでボソボソ言っていた話をまとめたものです。
先月来、喧しく議論されていたヤマト2l99の主題歌ですが、私は変更されて良かったと思います。
というか、最初からオリジナルとは別の歌を準備すべきだったと思っています。
なぜならば、オリジナル主題歌と2l99の内容の乖離があまりにも甚だしいからです。
オリジナル主題歌を、大雑把ですが三つの部分に分けてみましょう。
冒頭から「今飛び立つ」まで、「銀河を離れ」から先の、アタマとオワリの部分は「このヤマトというフネはどんな目的でどこへ向かうのか」という状況説明ですね。
これは基本的に2l99でも変わっていません。
しかし、問題なのは真ん中のパートです。
ここには歌の真髄である「心情」が述べられていますが、これが2l99には描かれていない場面を想定した決意なのです。
「必ずここへ帰ってくる」と「手を振る人に笑顔で応え」ていないのに、その言葉を毎回オープニングで聞くことは、なんだか大事なところを誤魔化されたまま丸め込まれているような、とても複雑な気持ちを抱いてしまいます。
「必ずここへ帰ってくる」、この言葉を沖田艦長は何度も心に誓います。
特に印象的なのは、第2話の「行って、帰ってくるのだ!」、第10話の「さよーならぁー!」からの流れでしょうか。
沖田十三という人にとって、ヤマトの旅はこのシンプルな決意に全て集約されています。
そして、「行って、帰ってくること」が有する大きな意味は、物語の中で何度も繰り返し強調され、最終話では「地球で待つ皆と心が通じている」「自分は孤独ではない」「だからこそ地球を一目見るまでは死ねない」という、沖田の「生」そのものとなって、あの胸を打つラストに繋がっているのです。
(ここでの「皆」には、亡くなった沖田の息子も含まれているのでしょうね)
その印象的な場面、二つとも、2l99では描かれていません。
でもまあ、これは私だけの小さなこだわりに過ぎません。
問題は、「手を振る人に笑顔で応え」です。
出発の行進をオミットした真意は、制作者に尋ねてみないことには分かりませんが、主題歌に謳われているシーンを外した以上、オリジナル主題歌が2l99の物語世界を象徴するものと見なされることはありません。
「そんなの大した問題じゃない」とお思いですか?
でも、歌っていうのは「こころ」を乗せているからこそ歌なんじゃないかと、私は考えるんです。
「鉄腕アトム」や「ゲゲゲの鬼太郎」がリメイク作でもオリジナル主題歌を使うことには、何の問題もありません。
アトムや鬼太郎の場合、歌とキャラクター・物語には何の齟齬もありませんから。
しかし、「ヤマト」と「ヤマト2l99」には、歌われている心情に於いて、真逆と言っていいほどの違いがある。
ならばやはり、2l99はその物語にふさわしい主題歌を作ってもらうべきだったと思うのです。
で、「Fight For Liberty」。
まずは良い曲だと思います。
そして、2l99後半の「気分」にはとても合った曲だとも思います。
2l99は、地球側もガミラス側も「男女の愛」が物語の大きな部分を占めていますから。
「君を思えば」「超えられないものなんてない」だから戦う、そういう話だよと言われれば、「うん、たしかにそうですね」と答えるしかありません。
そういう意味で、とても似つかわしい曲です。
でも一番合ってるのは「進撃の巨人」だよなあ、とも思っちゃうんですけどね。
ある意味、2l99はとても不幸です。
物語にピッタリとマッチした主題歌を得ることができなかった、という意味で。
しかし、それはアーティストのみに責任を求めることが出来る話でもないと感じます。
そのために、総監督氏はアーティストとどれだけの話し合いを重ね、ストーリーとテーマをきちんと理解してもらう努力をしたのかなあ、と。
オリジナル主題歌を作詞した阿久悠さんは、依頼にやってきた西崎プロデューサーの並々ならぬ情熱に驚き、その熱に浮かされるようにあの歌詞を書き上げたと述懐しています。
それほどの情熱と思いが込められた歌詞は、やはりオリジナルのヤマトだけに与えられた冠であろうと、私は思います。
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